決着
勝てない。
個人の技量においてはまさに同等。
目の前にいる相手は松田よりは弱い。だが、こと殺し合いにおいては話が別だ。迷いがない。その精神のありようは、技量の差を容易く埋めてしまう。
「ヌフフフフ……」
オヴァが奇怪な笑い声をあげた。平塚は黙ったまま鼻白む。そして彼女が笑うことによって生まれた隙に相手の懐に飛び込むかを一瞬で判断し、突貫した。オヴァはそれを受ける。
「ヌゥッ」
「【螺貫槍】」
まるで血で血を洗う殺し合いの中で生み出され、長きに渡って研鑽された殺すためだけの技術。戦場にて兵を鼓舞するために魅せるということもなく、ただただ目の前の相手を消そうとするもの。
「面白いわねぇ……」
オヴァは余裕そうに獰猛な笑みを浮かべる。それが平塚にはどうも気に入らなかった。だが、彼の頭はその情報を脳内で言語にして思考することよりも相手を殺すことを優先する。
「【破月】」
「【紅姫狂舞】ゥゥウゥッ!」
刃の如き閃風と鈍器の如き暴風がぶつかり、打ち消し合う。技を出し合うために振り抜いた得物を逆方向に振り直して体勢を整えると同時に相手への牽制を済ませたところで彼と彼女の戦いは続く……かに思われた。
だが、現実には振り抜いて再び攻勢に移ろうとした平塚に対し、オヴァは【颶風】を巧みに駆り後方へと転進して距離を開けた。
「……逃げる気か?」
平塚は警戒を緩めることなく尋ねる。敗走を装って反撃に転ずる技など古今東西幾らでもあり、下手な追撃はしたくない。
だが、意外にも彼女は乱れた髪を整えて大きく息をつくと自身の行動の意図を簡単に答えてくれた。
「その通りよぉ。今のあたしじゃ勝てそうにないから」
悪びれもなくそう告げるオヴァ。彼女が率いるスゥド軍に動揺が走り、クリーク軍に緩みが生まれた。その隙にスゥド軍が彼らに襲い掛かるが、彼女は意に介した素振りもなく続ける。
「攻め切れない上に後方は敗退。左翼が包囲に来ている上に中央から巨大な魔力まで来てるんだからどうしようもないわ」
「……逃がすと思ってるのか?」
「んふふ、あなたがあたしを追いかけて指揮を投げ出すならまだスゥド軍にも勝ち目はあるわねぇ……やってくれるのかしら?」
目は一切笑わずに口だけで嘲笑してみせるオヴァ。その言が事実であることは平塚にもわかっている。平塚以外に彼女と対等に渡り合えるだけの者がこの場にいない。オヴァを捕縛できるだけの将がこちらに来るまでに彼女は逃げおおせるだろう。
(……松田からの報告で、敵に吸収能力があると分かっている以上、下手に人員を割いても……あまり望みすぎるのも得策ではないか……)
個人の感情よりも集団の利益を考えた結果、相手の思うつぼになるとわかっていながら見逃すしかないと苦い表情になる平塚。そんな彼にオヴァは笑いながら告げる。
「賢い男は好きよ。私の旦那みたいにね」
「……どうでもいいから逃げるならさっさと逃げろ。お帰りはあちらの方向だ。二度と来るな」
「あら、つれないわねぇ……」
苦い顔のまま平塚がそう告げるも彼女は不敵な笑みを浮かべながらその場に居座った。オヴァの撤退宣言が虚言ではないかと平塚は疑念を抱くが、目の前で磨り潰されていくスゥド軍の命は本物。
「……何を考えてる?」
「私を止めた相手へのご褒美かしらねぇ……」
「ならその首落とせ。それが一番の褒美だ」
「あら野蛮だこと。クリーク軍の王族には品という物がないらしいわねぇ……」
耳障りな嘲笑を聞こえるように叩きつけてくるオヴァ。血気に逸る兵が彼女に襲い掛かるが彼女はそれに世にも恐ろしきキスという名の精神的な強姦を仕掛けて打ち捨てる。
「おい……ウチの者に手ぇ出すんならこの場で殺すが?」
「先に出してるのはそっちよ」
「戦争仕掛けて来たのはそっちだろうが」
お前と話している暇はないと言いたいところだが、あまり余裕のないところを見せるのは憚られるために適度に対応するしかない。何とも厄介な客がいたものだと戦闘後にやたらと増えた苦い顔を浮かべる平塚。だが、彼女は何かを思いついたらしい。
「あ、決めたわ。ご褒美」
「……碌でもねぇもん寄越す暇があったらさっさと消えろ。何よりの土産だ」
「そんなこと言っていいのかしら~?」
殺すにも隙がなく、この場から離れると彼女が何をしでかすか不明で留まらざるを得ない平塚は嫌そうにおヴぁにそう告げるが、彼女は楽しそうに自分が決めたことを貫いた。
「スゥド国の情報。欲しくないのかしらぁ?」
「……信用できるかどうかもわかんねぇ口だけのものなんか要らないが?」
「本物よぉ? あたしと互角に戦えた平塚ちゃんへのご褒美にゴミを渡してどうするつもりなの」
「言うだけ言ってみろ」
割とまともなご褒美に少しだけ心が揺れる平塚。だが、その動揺を覚られてはならぬと平静を保ちそう返すと彼女はどこまで理解してかは不明な笑みのまま告げた。
「今回の大敗の結果、スゥド軍の北伐はこれから十年はないでしょうね」
「根拠は?」
「南方戦線が芳しくないのよ」
こちらを油断させるための偽報の可能性をふんだんに加味しながら疑惑の目を向けると彼女はしたり顔で事情を説明し始めた。
曰く、先の敗戦に続いて今回の戦いでの失敗が決定的になったことによりスゥド軍の国内情勢に陰りがみられること。
ニード山脈を越えての交易は危険が伴う上、輸送費等のコスト面、海路をクリーク軍とアヅチ族に封じられていることから船での輸送が難しいことなどを理由としてあまり好まれていないこと。
大陸北部の内情を私腹を肥やすための貴族たちに誤魔化され、肥沃な大地が広がっていることが知られていないこと。
そして何より、南方戦線の拡大によりスゥド王国として新たな土地を確保するよりも既得権益を守る事を優先していること。
これらを理由としてスゥド王国軍はしばらくはニード山脈北部地域へと攻め来ないだろうとオヴァは告げた。これに加え、南方戦線が芳しくないとはいえ、まだ大国としての軍事力を行使することはできるため、スゥド王国は滅ばずに南方からの壁となってくれるであろうこともオヴァは説明した。
「……それを俺たちに教えるのは何故だ?」
「あらあら、あたしの好敵手にしては察しが鈍いわねぇ……」
オヴァからの詳細な説明を受けた平塚は疑問を抱いた。だが、それをオヴァは笑う。平塚はかなり苛立ちを覚えたが、努めて冷静に振舞った。そんな彼にオヴァはねっとりとした笑みを向ける。
「スゥド王国に自分たちから攻め来なさいと言ってるのよ」
「なっ……」
まるでこちらから遊びに行けないから家に来てと言わんばかりの気安さでオヴァが告げた言葉に平塚は絶句する。だが、彼女は笑いながら続けた。
「貴方が求める物はなにかしら? 地位? 名誉? それとも富? 何でもいいわ。あなたは今のままで満足してるのかしら?」
「……そうだが? お前たちが来る前の平和な日常に俺は十分に満足してた」
「そうなの」
見当違いの方向に話を持って行くオヴァ。今度は平塚の方が嘲笑して見せたが、彼女は【颶風】を動かしながら平塚に告げる。
「だったら、その今を続けたいと思ってるのね? 平和が欲しいのよねぇ?」
「っ……」
「なら、大陸本土に来る意味があるんじゃないかしら? 隣国に、どう足掻いても太刀打ちできない強大な国家が出来上がる前に。スゥドが勝つにしろ中央連合軍が勝つにしろ……先のことを考えたら、分かるでしょう?」
再び苦い顔に戻る平塚。それだけでオヴァは満足だったようだ。彼女は【颶風】を駆って敵陣へと入り始める。
「賢い男は好きよ。平塚元帥、また会いましょう!」
「オヴァ様、後方が……」
「分かってるわよグリュース……撤退よ!」
オヴァは彼女の夫を担ぎ上げて荷の如く【颶風】に乗せて自由に立ち去った。その後姿は今のクリーク軍には無害と判断した平塚は総攻撃の指示を下す。
ニード山脈北部地域の覇権を争う大戦。趨勢はここに決まった。