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ナギとの対面が許されたのは、数日が経ってからだった。
あまり長く話をしてはいけませんよと城に常駐している薬師は、ランドに釘を刺した。
ナギの体からは大量の血が失われ、一時意識を失い、危険な状態だった。
まさしく血の海に横たわるナギを抱きあげたとき、うっすらとナギは眼を見開き、ほのかに笑いさえした。
すぐに瞼は閉じられ、駆け付けた薬師が彼女の手当てを始めた。
傷の消えた自分と、まるで身代りになったかのように背中を鋭利な刃物で切り裂かれた彼女。
ナギが何かしたのだろうと想像はついた。
ナギの部屋に入ると、先触れがあったのだろう、彼女は既に寝台の上に身を起していた。
顔色はあまり良くない。ランドは横になるように言ったが、ナギは首を横に振った。
ランドは寝台の傍に置かれた椅子に腰かけ、ナギの顔を見おろす。
「俺は斬られたはずだった。お前、一体何をした?」
ナギはきつく結んでいた唇を解き、ため息をこぼした。
「……今までしていたことを、ついやってしまっただけです」
それだけですと答えたナギに、ランドは愕然とする。
『あなたを守護しましょう』
ランドが王位についたとき、彼女は確かにそう言った。
それでは、自分に危機が訪れるたび、彼女はこうして身代りになっていたとでもいうのだろうかと。
どんな災いも、降りかからぬように。
ナギは淡々と言葉を続けた。
「もちろん、私の力で防げる程度のものですよ……魔術というのも万能ではないので。それに、以前はちゃんと“契約”がありましたからね、引き受けた災いを祓う術もあったので……私が怪我をすることもなかったんですが。なにぶん、今は契約をしてないので。あなたの怪我をそのまま引き受けてしまったようですね」
つまらぬ失敗をしました。
そう淡々と告げるナギに、ランドは抑えきれない怒りがこみ上げてくる。 何に対しての怒りかわからないまま、低い声で唸った。
「守ってくれなぞ、頼んでいない」
「ええ、そうですね……これは、私が勝手にしたことです」
だからあなたは気にしないでください。
そう言わんばかりのナギを見ていると、詰る言葉が口をついて出そうになる。
ランドは椅子を鳴らして立ち上がり、ナギに背を向けた。そして吐き捨てるような口調で告げた。
「もう、二度と俺を守ったりするな」
ナギを見舞った後、ランドは城の外に出て、あてもなく城下町を歩いた。 賑やかな呼び込みの声や、元気に走り回る子どもたちの歓声、美味しそうな食べ物の匂いがする。
歩いているうちに次第に頭は冷えてきた。
思えば、ナギには与えられてばかりだ。
鏡を通して話をしていた時も。
“契約”によって守られていた時も。
それなのに、自分は彼女に何かを返せたのだろうか。
“契約”を終了させ、彼女をここへ留め置いた。
それは己の望みであったけれど、彼女の望みではなかった。
こうして、彼女に触れあえる距離にいるのに、鏡を通して話していた時よりも遠いと感じる。
ランドはため息をついて、頭を掻き毟った。
堂々巡りだ。青ざめた顔、血の気の失せた瞼を閉じていたナギを思い出すたび、叫びだしたいような気持ちになる。
そして自分の身を守ってくれた事に礼も言わず、それどころか責めさえした自分を思い出してますます落ち込んでしまった。
守られる事はランドの本意ではない。
ナギの身を危険に晒すと知っては、尚更。
それでも、それを差し引いても己の言動は彼女を傷つけただろう。
彼女の“これまで”を否定するような言葉だったから。何をどう言えばいいのか、ランドはわからなくなる。
ただ、せめて礼と自分の無神経な言葉の謝罪はしたくて、通りかかった花屋で見かけた綺麗な花を買い、ナギの部屋へ届けようと思った。
彼女が少しでも喜んでくれればいいと。
城に帰ったランドを出迎えたのは、難しい顔をしたレアルだった。
「彼女はここを去りました。手紙を預かっています」
ランドは信じられないと言葉を失くす。
ただ、この側近はこういうことで嘘は言わない。
どさりと椅子に腰かけ、手にしていた花束をテーブルに投げ出した。
ここから出て行きたい、確かに彼女はそう言った。引き留めた自分の言葉は、重しにはならなかったか。
「挨拶もなしってか。お前もなんで引き留めないんだ」
「私にはそうする理由がありませんから。ああでも、彼女の体の様子からしても、まだ遠くへは行ってないでしょうね。貴方が馬を飛ばせば追いつけるかもしれませんよ」
レアルの言葉が終わるやいなや、ランドは飛び出した。そのまま馬を駆るつもりだったが、ふと思いついてナギが暮らしていた部屋へと足を向ける。
城の奥、木々と花々に囲まれた東屋のある庭。季節が二つ巡る間、彼女はここにいたのに、触れあえる距離にいたのに、ここへランドが足を向けたのは数えるほどだった。
触れれば消えそうな気がした。
手をのばせば揺らめいて消えてしまう、水に映った月のように。
確かに目には映るのに、手には掴めない幻のように。
長い間あまりに大事に思ってきたから、触れるのが怖かった。
その代わりのように、たくさんの衣装や本や、彼女が喜びそうなものを贈ったけれど、それらはすべてこの部屋に残されている。
与えられるモノはひとつも要らない、そう言われている気がして悲しくなった。
何を差し出せば彼女は喜んでくれるのか、わからなかった。
彼女を追いかけたところで、それは己のためであり、彼女の望みではないのではなかろうか。
このまま彼女を行かせたほうがいいのでは、と思ってしまう。
吹く風が庭に咲いた花を揺らす。花が揺れ、まるで色とりどりの波のようだった。
「お兄様、追いかけなくてよろしいの? 」
クローネが静かに部屋に入ってきた。
「あいつと共にいる事は俺の望みだったが……この城に置くことがあいつの為によくないなら……まして、それを望んでいないと言われたら、俺にはもうどうしていいかわからない」
「このままだと、彼女はきっと、二度とお兄様の前には現れないわ。それでもいいの? 」
「よくない。それでも……もし今回みたいに、あいつが俺を庇って傷を負うようなことがあるかもしれないと思えば、俺は恐ろしくて仕方がない」
離れてしまえば、契約から解放された彼女は自分を守らなくて済む。
余計な怪我を負うこともなく、望むままどこへでも行ける。
それが彼女のためにはいいのだと己を納得させようとしているのに。
「あら、お兄様らしくないわね、諦めるの?私、知ってるのよ、執念深く何年も彼女を好きだったでしょう」
「お前、なんでそれを……」
うろたえるランドに、悪戯っぽくクローネは笑う。
「お兄様の後をつけて、城の奥に行ったことがあるの。ご先祖様の日記も読んだわ。ねえ、彼女と私たち、今まで触れあうことが出来なくても……さびしくはなかったわ。彼女でしょう?お兄様にたくさんの話を聞かせてくれたのは。私、お兄様からお話を聞くのが好きだったわ。やっと彼女に会えたのに……今、とても近い所にいるのに、こんなに寂しいのはなぜかしら」
“あのひとに、これ以上寂しい思いをさせないであげて”
それは彼女を解放してやれなかったかつての王たちが残した言葉。
彼女が“契約”を望んでいたとしても、長い間一人で。
今はその意味も忘れられた契約を、ただ更新させてゆくことが、悲しくなかったはずはない。
自分に会った時、あんなにも嬉しそうな顔をしたのを覚えている。
また今度、と別れの言葉を口にするたび、ほんの一瞬寂しそうな顔をするのも。
「そう……だな、あいつは自分が寂しいって気付いてない大馬鹿者なんだから、俺が連れ戻してこないと駄目だな。待ってろよ、今にあいつを“義姉上”と呼ばせてやるよ」
「期待してるわ。ああそれとお義姉様に伝言いいかしら?“跡継ぎはご心配なく。私が何人でも生んで差し上げます”ってね」




