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さて、どうしたものでしょうねえ。
ナギはこっそりとため息をつく。
城から出て行こうとするのを引きとめられてから、何となく立ち去る機会を失ってしまった。
今も上機嫌でお茶を飲んでいる王妹の相手をしている。
クローネに気付かれないように、ナギはもう一度ため息をつく。
クローネは度々自分の部屋に来ては、何が楽しいのか話をしたりお茶を飲んだり、時としてナギを着せ替え人形にしたりして、帰っていく。
彼女と過ごすのは楽しいけれど、レアルに話したようにここから立ち去るべきだという思いも変わってはいない。
いつまでもここに居てはいけない、そう思うのにいつの間にか時間は過ぎている。
三度ため息がこぼれそうになった時、クローネが言った。
「あら、私と居るのは退屈かしら」
「いいえ、そんなことはありません。すみません、ちょっと考え事をしておりました」
「あら、一体どんなことかしら」
「家を長く空けているので、どんな様子か心配でして」
これは嘘ではない。衝動的に家を出てきてしまったため、よく考えてみると戸締りもしていない気がする。
まあ盗られるものはないし、危険な薬草などの棚には己以外が開けられないように魔術で閉ざしてある。
それでも置きっぱなしの食材は腐り果てているだろうし、畑で育てていた野菜も収穫時期を逸してしまった。精魂込めて作ってきたそれらを無駄にしてしまったことが悔しいとは思う。
村でよくしてくれた人たちにも何も言わずに出てきているから、心配しているかもしれないとナギは思った。
「ああ、そうよねえ。これからますます帰れなくなるでしょうから、今のうちに一度帰っておく? 」
この言葉に、ナギは困惑するしかない。
どうもクローネは、自分がここへ残ることを当然のように思っている節がある。
最初から随分と好意的に見てくれていましたけど、とナギは首を傾げる思いだ。
疑問に思いながらも、今まで尋ねた事はなかったが一度聞いておいた方がいいかもしれない。
「あの……あなたはなぜ、私によくしてくださるんです? 」
思い切ってナギが尋ねてみると、クローネは一瞬目を丸くした後、秘密、と可愛らしく言った。
「まだ内緒。でも一つだけ答えてあげる。あなたでしょ? お兄様に色んな話を聞かせてくれたのは」
色んな話。
ナギは首を傾げ、そうして思い出した。
鏡を通して、王が幼い頃にはたくさん“お話”を聞かせてあげた。
そうしてそれを、妹姫にも聞かせたと王は楽しそうに話していた。
不思議な話、綺麗な話、怖い話……幼い子供が、親から聞かされるような、他愛ない、様々な話を。
幼い王の顔が浮かび、すぐにそれは成長した今の顔にとって換わる。
他愛ない話が必要なくなったように、自分ももう、不要であるはずなのにと苦い笑みが浮かんだ。
唇を開きかけ、ナギはふと眉をひそめた。
ちりちりと首筋のあたりに感じる違和感。
この城には、かつて自分が張り巡らした防御網が敷いてある。
“契約”を初めに交わした王に請われて為したものだ。
“この城に居る限り、安心していられるように”
その当時は魔術も当たり前のように在ったから、呪いや魔術による殺害を防ぐためにと。
また武器による暗殺にすぐ気付けるようにと。
もちろん永続する術なんてない。
当時に比べれば力は弱まっているが、今でもその力は生きていた。
「一体誰が……」
“眼”を凝らしても定かには見えない。当然だ、これは契約外の力の行使だから。
それでも見続けているとぼんやりとした像が浮かぶ。
ランドの背後から忍び寄る人影と、ぎらりと光る剣が。
その剣がランドの背中を切り裂いたと思った瞬間、ナギはためらいもせず力を使った。
その結果己がどうなるか、よくわかっていたけれど。
「一体誰に指示された! 言え! 」
ランドを背後から切りつけた賊は、両手を後ろ手に縛りあげられ、ランドの前に押さえつけられている。
見たところ、成人したばかりの青年だ。
知らせがいったのだろう、レアルもシエナも息をきらして駆けつけていた。ランドは再度声を荒げ、青年に詰め寄るが返ってきたのは無言。
レアルはおやめなさいとランドを押し留め、引き倒された青年の顔を見る。
「大臣の家の者ですね、顔に見覚えがあります。これは大臣家の意志ですか」
青年は悔しそうに顔を歪め、違うと首を振った。
「それは関係ない。なんで家の姫さまをないがしろにするんだっ。何処の馬の骨とも知れない女を連れ込んでいるそうじゃないかっ」
しんと静まり返る場に、青年の声が響く。
「うちの姫さまが正妃になるんだと思っていれば、その女に入れ込んでやがるっ。そんなに具合がいいのかよっ」
黙れ、と底冷えがするような声がしたかと思うと、次の瞬間青年の体は横ざまに吹っ飛んでいた。
ランドが渾身の力を込めて殴り飛ばしたのだ。
緑の目にはぞっとするような光が浮かんでいる。
これ以上はまずいとレアルとシエナは目配せした。
王は頭に血が上っている。青年のした事は重罪であるが、背後関係を調査するまで、口を聞ける状態で居てもらわねばならない。また、このことによる動揺が広がらないうちに収めなければならなかった。
「それくらいにしておきなさい。大臣家には申し入れをしますし、場合によっては大臣家も何らかの処分を下さねばならないでしょう。この者についても相応の咎を与えます。貴方はまず治療を受けてきてください」
切られたはずでしょうとレアルが言っても、ランドは青年を睨みつけたまま低く唸る。
「たいしたことはない。まずはこいつの処分からだ」
「それは後ほど詮議にかけます。この場は収めて下さい。背中の出血が酷いですよ」
「たいしたことはないと言っているだろうっ!……あ?」
怒鳴ったあと、急に訝しげな顔になったランド。
背中に手を回して傷を確かめる仕草をしたのち、茫然としたように呟いた。
「傷が消えている……」
なんですってとレアルが聞き返したとき。クローネが駆けこんできたのだった。
「ナギが血を流して倒れたのっ。誰か来てっ」




