6
留学していた王妹が帰国したとあって、城内はひときわ賑やかになった。 王妹に随行していた者たちも共に帰国し、慰労を兼ねてささやかながら夕食会を開くことになっている。
城内で働いている者たちも、城で暮らす王の家族が再び増えることは嬉しいようだった。
王の側近は長い回廊を歩きながら、ついと眼鏡を押し上げた。
決済済みの文書の入った小箱を脇に抱えている。
書類仕事を面倒がる王を宥めすかして処理させたのだ。
頭の中でこの後の算段をしながらも……レアルはふとため息をついた。
帰国した王妹は、国を離れていた数年の間にますます美しくなっていたが、やはり兄妹と言うべきか。
「何でああも突拍子もないことを言われるのか……そもそも、本当に可能と思っておられるのか」
ぶつぶつと呟きながらも、レアルは早足を止めない。
すれ違う城内の者たちは、レアルが独り言を言いながら歩き回るのは、いつもの見慣れた光景であるため、もはや誰も何も言わない。
ああまたかと思い、何事もなかったように会釈してすれ違う。
王と王妹が交わす会話に疲れ、早々に退出してきたレアルは、何故クローネがあんなことを言い出したのか戸惑っている。
国元を離れていたとはいえ、彼女にも王宮内における微妙な均衡は知っているだろう。
他国の王女を娶るか自国の有力貴族の娘を娶るか……情勢を考えるとどちらを選んでも、全てが丸く収まるわけではない。
選んだこと自体が、新たな火種となる危険性を孕んでいる。
そうであるのに、なんの後ろ盾もない、今は表舞台から姿を消しつつある魔術師の女を伴侶にしたところで、何の益もなかった。
それどころか多大なる不利益をもたらす。それを知らない王でもないし王妹でもないのに。 まして。
「あの人が、わかりやすく王の寵愛と権力を欲しがる人であれば、話は簡単だったんですがね」
不躾な言葉を投げた自分に、彼女は怒るわけでもなく、反論するわけでもなく。
あなたのような人があの子の傍に居てくれてよかった。
そう微笑んでいた。
見た目はまるで少女なのに、瞳には長い年月を生きた者が持つ、ゆるぎない光があった。
それに気押されないようにするのに、必死だった。
こんな状況でさえなければ、もう少しでも状況がよければ、彼とても王の望みに反対はしなかっただろう。
建前として苦言を呈することはしても。
そして王やその周りに心を配る彼女の様子から、彼女の気持ちも推し量れようというものだった。彼女は自分の心の内を明かさなかったけれど。
彼女を選んだ王が悪いわけではなく、彼女自身が悪いわけではない。
言うなれば状況がそれを許さないのだ。
「算術の公式のように、綺麗に割り切れればよかったのに」
そして早く彼女がこの城から去ればいい。
そうすればこの罪悪感も少しは薄らぐに違いないと、レアルは思うよりなかった。
「あなたは彼女のことをどう思いますか」
書類を片づけに行った先で、レアルはシエナと出くわした。
これからお茶にするところなんだけど付き合ってよと強引に誘われ、彼の仕事部屋へと引っ張り込まれた。
文書官、などという重要書類を扱う仕事をしている癖に、どうもこの青年は大ざっぱでいけない。
机の上には書類が山積みで、またそれが乱雑に積まれているものだから、今にも崩れやしないかとレアルはひやひやしていた。
よくこれで書類を失くさないものだと思う。
今に大事な書類を失くしてしまいますよ、きちんと整理しなさいと何度も何度も忠告しているのだが、彼はわかったよと返事はするものの、一向に改まる気配はなかった。
今では半ば諦めながらも、注意するのが口癖のようになってしまっていた。
部屋の隅には、仕事部屋にはいささか似つかわしくない、ゆったりと腰かけられるソファとテーブルがある。
ソファに腰掛け、お茶の入ったカップを手にとってレアルは問いかけた。
向かいに腰かけた文書官の青年はお茶を一口飲んでから、カップをテーブルに置いた。
「彼女って、ナギのこと?どうって? う~ん、可愛いよねっ。なんか反応が初々しいっていうか。ちょっと変わった所はあるけどねえ」
「いえ、そういうことを聞きたいのではなく。陛下が彼女とですね……」
どう言おうか口ごもるレアルに対し、青年はあっけらかんと言い放つ。
「ああ、結婚したがってるってアレでしょ?いいんじゃない別に。ランド、彼女来てから浮かれてるしね~。難しいカオしてるより、楽しそうな顔してる方がいいんじゃないの? 」
ランド、いっつも怖いカオしてるけどさ、この間なんて鼻歌歌ってたんだよ。なんかこう、ゆるんだ顔しちゃってさ。きっとナギへのプレゼントでも考えてたんじゃないかなあ。でもねえ、着る物とかはナギの趣味に合わないみたいでさ、衣装箱に仕舞いこまれたまんまなんだよ。彼女が一度も着てくれないってこぼしてたし。可哀そうだけど、ちょっと面白いよね。
にこにこと笑いながら語られる内容に、レアルはがっくりと肩を落とす。この……自分とあまりに違う認識に、シエナとの相互理解は難しいと思い知らされた。
いえ、昔からそうなのはわかっていたんですけどねとレアルは心の中で呟く。
実のところ、ランド……王とシエナとレアルは、幼馴染であり、それゆえに今でも気安い部分があるのだけど。
レアルは流石に立場を気にして振る舞うが、シエナは変わらないままだった。一応人目がある場所ではそれらしく振る舞うのが救いではある。
「そうではなく。彼女をそもそもここへ置くわけにはいかないでしょう。今さら魔術師として契約するわけにはいかないでしょうし、まして結婚相手と認められるわけもないでしょう」
お茶と一緒に準備してきたらしい、焼き菓子を口に放り込んだまま、シエナはきょとんと眼を丸くする。
咀嚼しお茶を飲んでから、のんきに言い放った。
「なんで~? 別にいいんじゃないの? ランド、ナギが好きなんだし、ナギのほうも、まあ嫌ってはないよね、ていうか、好きだよね~。じゃなかったら、ここまで来なかったろうし」
シエナはランドからの書状を見た時の彼女の様子を思い出す。
幾重にも張り巡らされた壁が、一瞬綻んだように……心細げな表情を見せた彼女。
それはすぐに底知れない微笑みに隠されてしまったけれど。
何の思いもなければ、心を動かされたりはしないだろう。
「あなたは……何でそう、簡単に考えるんですか」
今の状況を知っているでしょうにとレアルが言ってみても、シエナはのんびりとした笑みを浮かべて答えたのだった。
「難しく考えたって仕方ないでしょ? それにねえ、物分かりのいい振りして自分の本当の望みを曲げちゃったら、絶対後悔するよ」




