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ひそやかに、まるで時の隙間に落ち込んだような風情で、その中庭はあった。
何代にも渡り改築を重ねたためか、迷路のように複雑に入り組んだ石造りの城の奥のこと。
幾つもの回廊や巧みに配置された植込みを越えたところに、色とりどりの花が咲く庭があった。
たまたま見つけた者は、こんなところに何故と首を傾げるに違いない。
それほど奥まった場所であり、また迂闊に近づけない場所である事は、想像に容易いからだ。まるで人目を避けるように、誰かのためにひっそりと作られた花園のような空間。
ここは誰のための場所なのだろうと、怪訝に思うに違いない。
その庭の中心には簡素な東屋が設えられており、花はその東屋を取り囲むように咲いている。咲く時期の異なる花を植えているのか、一年を通して花が楽しめる趣向のようだった。
もちろん、この中庭に面した部屋からでも花は楽しめるが、外の風に吹かれ、花の香りを楽しめるこの東屋に居る方が気持ちいい……と、ナギは黒い目を細めて花々を眺めていた。
ゆったりとした異国風の、袖口が広い衣装を身につけ、風に揺れる艶やかな黒髪は、肩に届かないほどの短さだ。
女性は成人すると、長く伸ばした髪を結いあげる。この国においては、子どもでも“女”であれば髪を長く伸ばしているのが常識であるから、ナギの様子はある意味異様と言えるのもしれない。
人と顔を合わせる時、フードを被っていることが多いナギだったが、それでも何かの拍子の時素顔を晒すと、大抵の人は驚いた顔をしてまじまじと見てきたものだったから。
ただナギの見た目は、成人もしてないような少女のものであるし、顔だちも身にまとう衣裳も異国風のものであるから、異国人ゆえのものかと勝手に思ってくれるのかもしれない。
東屋には木製のテーブルとベンチがある。部屋からポットとカップを持ち出して、ナギは一人お茶を飲んでいたのだが。
誰も見てないのをいいことに、行儀悪く片手で頬杖をつき、もう片方の手でカップを持ちながら呟いた。
「……いい加減、花を見ているのも飽きましたねえ」
綺麗ですけどね、薬草に出来る花が一つもないなんて。何かあればいい暇つぶしになったでしょうに。
この季節、家に居れば色々することもあったでしょうにねとナギは唇を尖らせて、誰にも吐きだせなかった不満を呟いた。
ナギはこの国と契約をしていた魔術師だった。その契約は定期的に更新されてきたのだが、この度は諸々の事情の結果、更新はされず契約は終了した。そうである以上、ナギがここへとどまる理由はなかった。
王に引きとめられるまで。そして。
王の願ったとおり、自分はここへとどまることを約束したけれど。
「こうもさっぱり何もすることがないなんてねえ……」
ナギを引きとめた王は政務で忙しいのか、しばらく顔を見ていない。
そもそも、ここへとどまった当初から、顔を合せたのは片手で足りるほどの数しかなかった。
自分で引きとめておいて放ったらかしとかありえませんよとナギは思う。 あの時頷いた自分を今は責めたい気分だった。
そして……ナギは城内を流れる不穏な噂を耳にしてしまった。
「そろそろ去り時ですかね。仕方ありません」
ここでは私がする仕事もないですしねえ。
無駄飯ぐらいというのも何やら肩身が狭いです。
もとの住処では、くるくると忙しく立ち働いていたナギにとっては、何もする事がないというのはかなり苦痛だった。
のんびりしましょうかとゆったり構えていられたのは、ほんの数日だけ、だった。
まあ働かないと食べていけないからという理由が大きいのだが。国との契約だけでは食べていけなかったし。
一応客人の扱いをされているから、好き勝手振る舞うわけにはいくまいと思って。ひたすら大人しく過ごしていたのだが……そろそろ“その時”が来たのだろうとため息をこぼす。
ふと人の気配を感じてナギは後ろを振り返った。
あら、丁度いい所にと呟いた声は……彼には聞こえなかったらしい。
「ええと三日ぶり? 元気だった? 」
はい今日はこのケーキだよ! 干し葡萄と胡桃が入っているよ、食べてね!
がさがさと植え込みをかきわけて、賑やかな声とともに明るい茶色の髪と目の青年が姿を現した。
にこにこといつも機嫌よさそうに笑う彼に、いつもと変わりありませんよと笑顔を返しながら、まさかこんなことになるとは、縁とは不思議なものですねとナギは思っていた。
彼……シエナは、彼女の住んでいた土地へ、王からの手紙を携えて現れた青年だった。
“この国の王”と魔術師であるナギが交わした契約の、破棄をしたためた、書状。
長い長い間、更新しつづけられた契約を、その書状ひとつで破棄される事に、ナギは納得できなかった。何としてでも王に会い真意を問いたかった。 自分が不要になったのならはっきりそう告げればいい、そう告げてくれれば……何を感じても納得する、そう出来ると思った。
けれどナギは普通の方法では王の前に姿を現すことが出来ない。そう……契約時に取り決めてあったからだ。
ナギはシエナの言質をとり、シエナの体を媒介にして城を訪れることができたのだ。
『私は守護する貴方たちの傍へは、近づくことができません』
そう……契約をしたからだ。守護する彼らを、自分自身が傷つけてしまわぬように。
シエナを利用した結果になったのだが、彼は何ら気にした様子はなく、それどころか何故かナギに構いつけるようになった青年は、ナギの元を何度も訪れてくる。
それこそ、彼女がここへ留まることを望んだ王よりも余程頻繁に。
訪れる時には必ず甘いお菓子を持ってきてくれるので、貰ったお菓子をお茶うけにお茶を飲むのも習慣になってしまった。
「あら、いつもありがとうございます。こう、することがないと食べることだけが楽しみになってしまいますね」
にっこり笑って言う言葉から、棘を感じ取ったらしいシエナは、眉を情けなく下げながらごめんねえと言った。
「ちょっとね、色々と難しい事を言う人たちがいてね~」
「どうせあの人が色々無理難題を言っているんでしょう? 契約もしてない魔術師ですからね、城内にとどめるのは危険と言う人がいるのが当たり前ですよ。おまけに今の私の状況ときたら、本当に無駄飯食らいですものね」
「……ええと、そっちじゃないんだけど……」
そこからなの、一体何してるのランドはと思わず呟いてしまったシエナに、ナギは怪訝そうな目を向けた。
「は? 何か言いました? 」
ううん、なんでもないよとシエナは慌てて首を横に振った。
ここで自分が下手に口出しするよりも、本人に言わせればいいのだと思ったからだ。
余計な事を言ってと、怒られるのも御免だったし。
ケーキ食べようとね言って持参したナイフで切りわけ彼女に勧める。
美味しそうなお菓子に目を輝かせたナギは、シエナの呟きを気にとめてもいなかった。
そして。ケーキを食べお茶を飲み干した後。
ナギはにっこり笑って宣言した。
「私、ここを出て行きますので、陛下にその旨お伝え願えますか」
あなたはだあれとたずねても、そのひとはただ優しく笑うばかり。
名前を訊いても答えてくれない。
ただ優しい声で話を聞いてくれた。
色んな話を聞かせてくれた。
他愛ない……話すそばから忘れてしまっても構わないような、やわらかくて優しい話を。
あなたはだあれ。
どうしてそこにいるの。
間近に見えるのに、けして触れあえない。
温もりも伝わらない鏡ごしに、問いかける。
何度も、何度も。
いつかあなたにはわかりますよと。
返ってくるのはいつもおなじ、その言葉だった。
いつかあなたには、わかりますよ。




