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その後の物語  作者: 水花
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秘密の鏡

 そのひとが居ることを、わたしは幼い頃から知っていた。

 知っている……ううん、厳密に言うなら、兄の言葉と態度から想像し、推測したのだけど。


 初めて会ったそのひとは、想像よりもずっと幼い姿をしていて少し驚いたけれど、それ以上に安心した。

 ああ、兄はようやくこのひととじかに触れあえるんだと。

 暗い部屋で、鏡ごしにじゃなくて。

 



 わたしと兄は少し年が離れていたせいか、本当に小さな頃は一緒に遊んだ記憶はあまりない。

 兄は外で走り回るのが好きであったし、年の離れた妹の相手をするには些か乱暴すぎた。

 兄は城で働く者たちの子どもに混じって遊ぶことが多かった。

 それこそ城下の子どもたちと区別がつかなくなるくらい、真黒に日焼けして泥だらけにさえなって。

 それでよく身の周りを世話する女官たちに叱られていたように思う。


 城に参内する貴族たちは、兄と年周りの近い子どもをよく一緒に連れてきていた。幼いうちから兄の傍に置き、あわよくば長じて後に側近として取りたててもらう……そんな考えもいくらかあったのでしょう、とそれこそ今兄の側近として働いている人が皮肉げに言うのを聞いたことがある。

 そんな……そのころ城に連れて来られていた子どものうち、現在兄の傍にいるのは、あまり多くはない。

 側近の青年と、文書官をしている青年くらいのものだ。

 兄の気性は今でも荒い方だけど、子どもの頃はそれがより顕著で、有り体にいえばあまりに兄が乱暴者なので、いかに親に言い含められたとはいえ、兄の遊びに付き合わされた貴族の子どもたちはすぐに音をあげて泣きながら家に帰ったのだそうだ。

 それ以来、乱暴者の気性の荒い王子というのが兄について回るものになったのだけど、わたしに対しては乱暴な振る舞いに出たことはない。

 おそらく年の離れた妹だったから、だろう。

 これが年が近かったり弟だったりすれば、あの兄の事だ、口だけでなく手が出ていたかもしれない。

 言葉づかいは乱雑だったけど、それは兄は“そういうひと”と思っているわたしからすれば、特段気にすることでは、なかった。


 兄が城下の子どもたちに混じり野山や街中をかけずり回っていた頃、わたしといえば城の中でひとりままごと遊びをしていたり、城の庭で花を摘んでいたりすることが多かった。

 兄ほどではないが、貴族の子どもたちが遊びに来ることもあったけれど、同じ年頃の女の子と遊ぶのに慣れていない事もあり、楽しいとは思えなかった。

 だから一人で出来る遊びをしていた。

 それをあの頃は寂しいと思っていなかったのだ。


 

 わたしと兄の母は、わたしが物心つく前に亡くなっていた。

 家族と呼べるのは王である父と、王太子の兄の二人。

 父はわたしが幼いからといって、構いつけるような人ではなく、あの頃他国との間でごたごたがあったから……おそらくそんな余裕もなかったんだろう。顔を会わせるのも月に何日か、という有様だった。

 だから食事はいつも兄と二人きりだった。

 がらんとした食堂で、一度に十人以上も座れるほどの大きなテーブルで……兄と二人だけで取る食事を、美味しいと思ったことはなかったように思う。

 父の子どもはわたしと兄の二人だけだった。

 そして父は側室を持たなかった。

 母が亡くなったあと、後添いを勧められても、がんとして拒んでいたという。

 ずっと以前、この城が賑やかだった頃作られた食堂は、二人だけでは寂しいばかりだった。

 兄も二言三言はわたしに話しかけるものの、その後はふっつり黙りこんでしまう。

 家族なのにとても気づまりで、わたしはひとりでいた方がよほどいいとさえ思ったものだった。

 

 それからどれくらい過ぎたころだろう。

 わたしとロクに口も利かなかった兄が、時折お土産を持ち帰ってくるようになった。

 それは城では見ない花だったり、綺麗な石だったりと、今思えば他愛ないものだったが初めはとても驚き、そして嬉しくなったのを覚えている。

 それとともに、乱暴な口調ではあるものの話を聞かせてくれたり、時々は遊び相手になってくれたりすることもあった。

 兄がしてくれる話は知らない異国のおとぎ話や昔話、すこし恐ろしい話や悲しい話、不思議な話などたくさんあった。

 夜眠るまで傍についていてくれた乳母も、多分色んな話を聞かせてくれたのだと思うけれど、わたしはそれを一つも覚えていない。

 覚えているのは、兄から聞かされた話ばかりだ。


 次から次へと出てくるお話に、わたしは尋ねたことがある。

 なんでそんなにたくさんの話を知っているのと。

 兄は目を丸くした後、すぐに笑った。笑って……何も答えなかった。 

 

 内緒なの?ずるいずるい~っ。

 兄は頬を膨らませるわたしを宥めるように頭を撫でてくれ、ちょっと出てくると部屋を出て行った。

 わたしはそれが不満で、兄のあとをこっそりついて行った。

 兄に気付かれないように、しかも小走りで後を追うのは大変だった。

 兄は剣の指導も受けていたせいか、またもともとの性質なのか……獣のように気配に敏感だったから。

 それでも足音を立てないように気をつけて、後を追った。


 追いながら、わたしは首を傾げた。兄は外へ出るのではなく、城の奥の方……普段は誰も立ち入らないような奥向きへと向かっている。

 次第に空気は淀んで黴臭くなり、また埃っぽくなってきた。

 わたしたちが暮らすこの城は、何代も前の王が造ったものだ。

 その頃は働く人も王の家族もたくさんいたのだろう。そしてこの城を訪れる他国のひとも。

 今はその頃より人が減ってしまっているので、使わない部分は人が立ち入らないようにしている。

 わたしも冒険で来たことはあるものの、すぐに引き返してしまった。

 調度品の上に掛けられた、埃が積もった布……曇り、輝きを失ったシャンデリアや燭台……淀んだ空気などが恐ろしかったのだ。

 兄はそれらに目もくれず、また怖がる様子もなく、埃で元の色がわからない絨毯の上を歩き、奥まった一つの扉を開けた。

 それを物陰から見届けると、ゆっくりゆっくり扉に近づいた。近づきながらふと絨毯の上を見ると、兄の通った後だけ絨毯の色が違う。埃があまり積もっておらず、もとの絨毯の色がわかる。

 まるで、そこだけ細い道が出来ているみたいだった。

 扉は細く開いていて、隙間から中が窺えた。

 埃で汚れた床に、座り込んだ兄の背中が見える。

 それと……大きな鏡が見えた。

 その鏡に向かい兄は楽しそうな声で話をしていた。



『この間してくれた話、あいつ喜んでくれたんだ』

『あら、よかったです。じゃあ今度はどんな話をしましょうか』

『う~んと怖い話!』

『あら、怖い話は苦手だってあなたから聞きましたよ?それじゃあ泣いてしまうでしょう?また不思議なお話にしましょう』

『ええやだ。怖い話がいい』

『それってあなたが聞きたいだけでしょう。いいです、両方してあげますから、妹さんには怖い話聞かせちゃ駄目ですよ』

『はいはい』

『返事は一回です』

『は~い』

 


 優しい声が聞こえる。

 そして普段よりもずうっと落ち着いて穏やかな兄の声

 今まで一度も聞いたことがないほどの。

 兄の秘密を覗いているようで、わたしは何だか落ち着かなくなって、そっとこの場を離れたのだった。


 あそこにはきっとお話をしてくれる妖精さんが棲んでいるんだ。

兄はその妖精さんと友達なんだとわたしは思った。



 妖精さんのことを知りたくないといえば嘘になる。

 けれどそれ以上に兄の聞かせてくれるお話に夢中になっていたわたしは、やがて妖精さんの正体を知ることはどうでもよくなった。

 お話を聞かせてくれている間は、兄は落ち着いた様子であるから、城内では妹姫と一緒の時は気性の荒さは鳴りを潜めていると誤った評判も広まってしまった。

 本当のところ、それは少し違う。

 お話をしている時兄はとても優しい目をしていた。

 けれどそれを向けていたのは、わたしに対してじゃない。

 きっとあの妖精さんを思い出しているんだと、わたしにはわかった。

 妖精さんは一体どんな姿をしているのだろう。

 あの時聞こえたのは優しい声だけ。

 あれから一度も城の奥へは行っていなかった。兄のいない時にあの部屋へ入ってみようかとも思ったけどすぐに思い直した。妖精さんがどこかへ行ってしまったら、兄はとても哀しむだろう。そう思ったから。

 

 

 やがてわたしがお話をせがむ年ではなくなり、色んな行儀作法を身につけるための勉強を始めた頃。

 成人した兄はもう不思議なお話はしなくなったけれど、時々一緒にお茶を飲んだり、城に帰ってきたときには綺麗な花をくれたりした。

 相変わらず乱暴者で通っていた。

 そんな時だ。父王が病にかかり亡くなったのは。

 父の喪が明けた後、兄は王位を継いだ。新王即位に街や城内が浮かれる中、一人城の奥へと向かう兄を見かけ、わたしはそっと後をつけた。

 兄がどこへ向かうかわかっていた。


 兄は今ではすべて同じように埃が積もった絨毯の上を歩き、一つの扉を開けた。兄が中に入ったのを見届けて、そっと扉に近づいた。

 あの時とおなじように、兄の背中が見える。式典用の豪奢な衣裳が汚れるのも構わずに、兄は床に座り込んでいた。その背中越しには鏡が見える。

 そしてあの時と同じように、優しい声が。



『久しぶり』

『ええ、本当に。もうこの鏡の事など忘れたかと思っていましたよ』

『忘れてなんかないさ。……王位を継いだ。今は俺がこの国の王だ』

『ええ……ええ、知っています。ご即位おめでとうございます。あなたに災いが降りかからないよう、守護いたしましょう。この契約が続く限り』

 優しい声に、兄はしばらく沈黙したあと、ああ、頼むとだけ言った。


 

 わたしはそっとこの場を離れた。

 この頃にはわたしは、鏡の妖精が誰であるか知っていたのだ。

 何代か前の王が残した日記、それに鏡の妖精の事、そして妖精が王と交わした契約の事が記されていた。

 その王は契約を悔いながらも解除できない己を責めていた。

 そしてまた別の王は、いつかあのひとを解放してくれと書き残してもいた。

 

『彼女と触れあえないことが悲しい。けれどそれ以上に、彼女を契約から解放してやれない己が恨めしい』と。


『縛るための契約を解除したら……彼女はどこか遠くへ行ってしまうかもしれない。それには耐えられなかった。彼女の顔を鏡越しにさえもう何年も何十年も見ていないけれど……彼女に寂しい思いをさせてしまったこと、それを今では悔いている』と。

 


 兄はどうするつもりなのだろう。

 得意げにたくさんの話をしてくれた兄の姿を思い出す。

 優しい話、不思議な話の数々は鏡の妖精さんからもたらされていたもので……その話はわたしのさみしさを慰めてくれた。

 鏡の妖精さんはどうだろう。淋しくないといい。

 けれどもし淋しい思いをしているのなら。

 



「お兄様ったらすみに置けないわねっ。こんな可愛い子隠しているなんて!」


 きょとんとこちらを見上げる小づくりの顔は、短い髪の毛も相まって本当に子どもみたいだった。

 けれど、彼女にわたしたちは守られていたのだと……今はわかっている。

 細い腕で、じかに触れられることはなくても、優しい声と言葉とで。

 

 兄を通して聞いた彼女の話は、淋しいとも気付いていなかったわたしの心を温めてくれた。

 彼女の話がきっかけでわたしは色んな書物にも興味を持つようになり、兄に願い出て他国へ留学までした。

 嫁入り前の王妹としては異例の行動に、城内では反対意見が多数出たが、兄はお前がそれを本当に望むのなら行って来いと送り出してくれた。

 

 だから今度はわたしの番。

 優しい人が、淋しい思いをしなくてもいいように。


「今後は仲良くしてくれると嬉しいわ」





                                    END


                


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