中庭にて
さて、本当に囚われたのは、どちら、だったのだろう……?
自分の想像はあながち間違っていないと思うのだ。何故なら。
「何を考えているんですか?」
目の前に湯気の立つカップを置かれて初めて、自分がもの思いに沈んでいた事に気がついた。
夢から覚めたように瞬きを繰り返して、やっとここがどこかに思い至る。
そう……城の奥、密やかに造られた中庭の東屋に自分はいたのだった。
東屋の周りは色とりどりの花々で埋め尽くされており、風が吹くたび甘やかな香りを運んでくる。
降り注ぐ強い日差しの中、風に花弁が揺れるさまは、まるで波が陽光に煌めくように眩しかった。
明るい日差し、鮮やかな花々と、沈み込んでいた思考との落差があまりに激しくて、戸惑ってしまったらしい。
なんでもないさと答えて、爽やかな香りのするお茶を口にする。
彼女は首を傾げたものの、それ以上問うことはせず、自分の隣に腰を下ろした。
そして自分で淹れてきたお茶を啜り、同じく持参した焼き菓子を齧る。
途端にふわりと顔が綻ぶさまは、まるで子どものようで。思わず笑うと彼女は唇を尖らせる。
「何でいつも、そうやって笑うんですか。どうせ私はお菓子に目がないですよ。子どもっぽくて悪うございました」
別に悪いなんて思ってないし、ただ可愛いなと思ってるだけだと答えると、彼女は頬を赤くして、ついと横を向いてしまった。
「あなた、ねえ……何でそう、恥ずかしげもなく言えるんでしょうねえ……。あなた、もう少し振る舞いに品があれば、嫁いできたがる方は多かったでしょうにねえ……」
呟く彼女の言葉に、今度は自分が首を傾げる番だった。
恥ずかしい事を言った覚えはないし、嫁いでくる女など、現に彼女を妻にしている以上、仮定しても意味はない。自分が乱暴者と周囲から見られていることだけは自覚しているが。
仮定にせよ、彼女以外の“妻”を思い描かれる事が面白くなくて、彼女を自分の膝の上に引っ張り上げる。
頓狂な悲鳴をあげて彼女はもがき、跳ね上がった足がテーブルに当たってカップから茶が零れてしまう。
茶器の音に慌てて大人しくなった彼女。気に入りの茶器なのだろう、割れていないか不自由な姿勢で覗きこんでいる。
小柄な体を後ろから抱きこんで、うなじにふうと息を吹きかけると、ひくり、と面白いように細い体が跳ねた。
「ちょっと、昼間っからヘンな事はしないでくださいっ」
まだ何もしてないだろう、そんなに毛を逆立てるなと言うと、彼女は喉の奥で唸りながらも大人しく腕の中に収まってくれた。
もぞもぞと動いて、楽な姿勢を探しているようだ。自分は彼女の腹の前で両手を組んだ。
変な事始めたら、殴ってでも止めさせますからねと彼女は言い、菓子を摘んでいる。
安心しきったように身を任せてくる彼女の体を抱きしめていると……慌ただしかったあの日々がまるで夢のように感じられた。
二度と体験したくない出来事もあったが……それでも、それらの出来事があって、その先に現在があると思えば、忘れるわけにはいかないとも思う。
彼女の肩に顎を埋める格好をすれば、くすぐったいですと身をよじられた。
ざあっと風が吹き、木々や花々を揺らす。
百花の波のようで、綾の波のようで。
声も無く見ていると、彼女も見入っていたのだろう、波が収まると、ほう、と小さな吐息をこぼした。
小さな中庭は彼女が此処へ棲むようになった時、初めに通した部屋から通じているものだった。城の奥まった場所にあったため、彼女が雑音を気にせずすむだろうと考えたのだ。
城の他の部屋とは様子が異なる、簡素な設えと秘密の花園めいた空間が、少しでも彼女の気晴らしになればと思って。
彼女が此処へ初めて来たとき、驚きみはられた眼と……異なる何か混じりあっているように感じたのが胸の中にいまも引っ掛かっている。
「この眺めは昔から見事ですね……」
昔から、と彼女の言葉を鸚鵡返しにすれば、彼女はあら、お話していませんでしたっけと首を傾げた。
「私、ずうっと昔に、こちらでお世話になっていたことがあるって、お話はしました、よね?」
それは確かに聞いた。
彼女と初めに契約を交わした王の時代、この城で暮らした事があると。
「その時も、この部屋を使わせてもらっていたんです。東屋は建て替えられているみたいですけれど、此処からの眺めはあの頃のままですね。花も……いくつかはあの頃私が植えたものの子孫がいるみたいで」
懐かしいですと彼女は眼を細める。
そうか、それは知らなかったなと答え、ようやく腑に落ちた。
あの表情は懐かしさゆえのものか。
しかし彼女にとっては懐かしさしかなくとも、自分にとっては複雑な思いを抱かせる。何故なら……。
ふいに彼女が小さな笑い声をあげたので、再び思考に沈み込む事は避けられた。
楽しそうな様子に、何だと尋ねると彼女はあおのいて自分の顔を見上げてきた。
「あの頃は……こうして花を眺める日が来るなんて、思いもしませんでした。不思議ですねえ」
そう言う彼女こそが、花のように笑うので。
風に浚われてしまわないよう、きつく抱きしめたのだった。
彼女は自ら望んで檻に囚われ、檻を開けるカギは自分たちの手に在り続けていたはずだった。
けれど。
本当に囚われていたのは誰、だったのだろう。
『彼女を契約から解放するべきだったのに』
(契約で縛りつけて、どこにも行けないように)
『父が、いつか彼女を解放してやれと言い残していたのに……彼女を檻に閉じ込めるのかと憤ったのは、他でもない自分だったのに』
(その“父”も本当に彼女を自由にしてやるつもりだったか?)
『二度と触れる事も出来ない、抱きしめる事が出来なくても……どうしても手を離せなかった』
(何処にも行かないで、誰も見ないで)
『彼女を置き去りに去らねばならない』
(どうかどうか忘れないで、本当は)
『いつか……誰か、彼女を解放してやって』
(ただ、そばに居てほしかった)
本当に囚われていたのは自分たちの方。
かつての王たちと似ている自分にはそれがわかる。
檻の中に彼女と二人、いられればそれでよかったのだ。
互いに触れあうことが出来なくても、彼女が寂しい思いをしても。
いま、檻は壊れ、彼女はもう何処へでも行ける。
そう思うと時折どうしようもない暗い衝動がこみ上げてくるけれど……それに呑みこまれることはない。
彼女がくれた言葉と微笑みが、防いでくれるから。
そうでなければ自分も、かつての王たちが抱いたような、相反する思いに呑みこまれていただろう。
どうかどうか、彼女の笑顔を望んだ自分が、彼女の顔を曇らせることなどないように。
ともに居られる最後の時まで、どうか……と名前も知らない何かに願ったのだった。
『契約は破棄した……お前はもう、何処へだって行ける』
(お願いだから何処にも行かないで。どうかどうか、此処に居ることを望んで)
ようやく手をとりあうことが、できたのだから。
END




