見知らぬあなた
ずっとその姿を見てきた。だから、とてもよく知っているのだと思っていた。
しかし、どうやらそれは、少し間違いであったらしい。
「あなたって、意外にひっつきたがりだったんですねえ」
呆れたように、諦めたように言う彼女を、背後から抱きかかえ、膝の上に乗せて、腕の中に囲っている。
手は彼女の腹の前で組まれており、彼女を離す気がないことを示していた。
幾分居心地が悪そうにみじろいだ彼女の肩先に顎をのせると、くすぐったいですと首を竦められた。
さらり、と艶やかな黒髪が、項や肩を滑り落ち、香水ではない何か……花のような香りがする。
「なあ、香水かなにかつけてるのか?」
「いいえ、特には……ああでも、虫よけも兼ねて香草と一緒に服を仕舞っていましたから、その匂いがうつったのやもしれませんね。私は慣れてしまっているので、感じないんですけれど」
そう言って広がった袖口を鼻先に持ってゆき、匂いをかいでいる様子などは、ひどく子どもじみてみえる。
どこもかしこも、小さくて細い。まるでほんの少女のような体つきをしている。
話す言葉や、眼差しや、表情など……それらは以前から知っていたものであったけれど、身の薄さや、肌から香る香りなどは、こうして実際に触れるまで、知りえなかったものだった。
ふうん、と鼻を鳴らす。
「ところで、そろそろ離してくれませんか?私はぬいぐるみじゃ、ないんですけど」
答える代わりに、腕の力を強めれば、抗議の声が上がる。
「ちょっと、苦しいですっ。……ほんとに、あなたがこんなひっつきたがりだとは知りませんでしたよ。小さい頃だって、ぬいぐるみとかに見向きもしてなかったでしょう?」
小さい頃。そう、彼女は自分を、ほんの子どもの頃から知っている。
実際に顔を合せたのは、ついこの間であるけれど、もう随分前から、互いの事は知っていて……彼女の力を借りて話をすることさえ、出来た。
自分の子どもの頃をよく知る相手に、思い出話をされるのは何だか気恥ずかしい。
そして彼女は自分が初めて会ったときから、ずっと変わらない姿でそこに居た。
「なんだか不思議ですねえ。貴方の事、よく知っていると思っていたのに、知らない事も沢山あったんですね。この綺麗な髪の毛が、こんなに柔らかかったなんて、触れるまで知らなかったですし」
鏡越しに話はしても、実際にお会いする機会はないはずでしたのにね、とほのかに笑った彼女の頤をとり、覆いかぶさるようにして唇を重ねた。
そのまま深く深く重ねていると、呼吸が苦しくなってきたのか、彼女が苦しげに眉をひそめてもがくから、腕を緩めて唇を離す。
彼女はもぞもぞと動いて体の向きを変え、少し高い位置から自分を見おろしてきた。
「ちょっと、苦しいですってば。ほんとにもう、なんなんですか。……あのですね、私は何処にも行きませんよ。此処に居ます」
「……うん」
「貴方と私がそう望む限り、そして、時の許す限り、ここに……貴方の傍に居ますから」
うん、と子どものように頷く自分の頭を、彼女が優しく撫でる。
彼女の指先がこんなに優しいことなど、こうして触れ合うまで知らなかった。
そして、ひんやりと胸をよぎる不安も。
それを見て居たくなくて、彼女を抱き寄せ目を閉じた。
END




