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その後の物語  作者: 水花
13/17

誰かからの伝言

ここから小話です。話ごとに視点が違いますのでご注意ください。

どうかどうか、ただ一つ願いが叶うのならば。



 ……これは夢だと頭の片隅で気づいていた。

 夢と知りつつ見る夢の中。

 自分は誰かに手をひかれ、薄暗い廊下を歩いている。

 自分は腕を精一杯上に伸ばし、誰かの大きな手をぎゅうっと握りしめていた。

 そう……まるで子どもになったかのように視界が低い。

 暗い廊下も黴臭い空気も、握り返す大きな手があるから怖くなかった。

 握った手の主はどんな危険からも自分を守ってくれると、当たり前のように信じていたから。

 この手の主は誰だっただろう。

 ごつごつとして大きな手のひら。自分の小さな手をそおっと握っている。 自分は顔を見上げて何か話しているようなのに、交わす言葉は聞こえず、相手の顔も霞みがかかったように見えなかった。

 奇妙な夢だと思いながら……いや夢に整合性を求めても仕方がないかと諦める。

 やがて、大きな扉の前に立ち止まる。

 握った手が離され、その代わりに背中を優しく押されて中へ入るようにと促された。

 広い部屋は物置のようで、大きな家具らしきものには覆いが掛けられている。他には額縁に入った絵や蜀台や、置物や……様々なものが雑多に置かれていた。

 それらの間をすり抜けて、自分は布の掛った大きな鏡の前に連れてこられた。


 ほら、ここだ。ここで話せるんだよ

 

 明瞭な声が聞こえた。懐かしい、とても懐かしい声に涙が出るかと思った。厳しくも優しい声だった。


 だれと?だれとお話できるの?


 舌足らずな幼い子どもの声が答える。この声は自分の声だ……幼い頃の。

 そしてこの部屋にも見おぼえがある。夢だと思っていたが、これは昔の出来事なのだろうか。


 ……お前の事をずうっと守ってくれる人と、だ


 ……え?

 

 さて、このような会話を、確かに自分は交わした気がする。

 首を傾げている間に鏡の前から布は取り払われ、光る鏡面が露わになった。凪いだ水面のような面が揺らめいたかと思うと、そこへほっそりとした女の人が映り、やわらかな声が聞こえてきた。


 こんにちは、お久しぶりですね。お元気そうでなによりです


 ああ、きみも変わりないようで何よりだ。今日は息子を連れてきたんだ


 あらまあ、もうこんなに大きくなったんですね。時間が経つのは早いこと。はじめまして、これからよろしくお願い致しますね

 

 向けられた優しい笑みに、惚けたように目を見開く。


 どうした?ぼんやりして


 鏡の中からお話できるの?どうやって?


 それは秘密です。知りたかったら、時々わたしに会いに来て下さいね。そうしたら教えてあげられるかもしれませんよ?


 絶対だよ!じゃあぼくここに来てお話してあげるよ!


 暗い所が苦手なおまえが、一人で此処まで来られるか?


 来るよ!

 

 途端に視界が高くなる。体を持ち上げられ……いや抱きあげられたのだとわかった。目の前には端正な顔に笑みを浮かべた……父の顔があった。


 そうか。それなら安心だな

 

 わからなかった。知らなかったのだ、あの時は。父の浮かべた微笑みの意味も、鏡の中に映る彼女のことも。

 ただ、目の前の不思議に心を奪われて。


「夢をみていたのか」

 浅い息をつきながら目を開ける。まだ夜は明けておらず目を凝らしても暗闇が広がるばかり。

 自分は暗闇を怖がる子どもではとうになく、まして父は既にこの世の人ではない。全ては遠く遠くなってしまった。

 あの夢も……夢の中の彼女すらも。

「……すまない」

 誰にも伝わらない、もう伝えられない言葉が零れた。彼女とはもう長い間話をしていない。あの部屋はそのまま誰にも触れさせていないから、薄暗い部屋の中でしずかに鏡は在るだろう。布をかけられて、黙したまま。

「……すまない」

 父がなぜ安心したように笑ったのか、今はわかっている。それでも……。



 あら、お久しぶりですね。お元気そうで安心しました


 うん、久しぶり。ごめんね、長いこと来なくて


 いいえ。あなたたちが変わりなく過ごせておられるのでしたら、いいんです。わたしのことはお気になさらず

 

 殆ど誰も訪れない城の奥。そのさらに奥まったある一室を訪れていた。

 積み上げられ、覆いをかけられた家具や調度品が所狭しと置かれる中。

 布の掛けられた大きな鏡があった。

 部屋に敷かれた絨毯には埃が白く積もったままであり、それだけの時間、誰もこの部屋へ入っていないことを示していた。

 布を取り去り、長いこと口に上らせていなかった彼女の名を呼んだ。

 まだこの声は彼女のもとへ届くだろうか。

 すると。ひとしずくの水が落ちたように。凪いだ水面のようだった鏡面に波紋が広がってゆく。

 大きく揺らめいたあと、やがて像を結ぶ。現れた彼女は……目を瞠ったあと紅く色づく唇を綻ばせた。

 あれから何年も経っているのに、彼女は少しも変わらない。

 幼いあの日、初めて会った時と全く同じ姿で鏡の向こう側に居る。


 ……僕が王位を継いだよ


 ええ……存じております。ご即位おめでとうございます。災いが降りかからないよう、あなたを守護いたしましょう……わたしの力が及ぶ限り


 それが、契約だから?


 そう、ですね。契約であり、私の望みです


 その契約を、もう僕が望まないと言えば破棄できるの?


 ええ……もうこの契約が必要ないということでしたら。次の契約の更新時に

 

 契約は数年おきに更新されることが初めに定められていた。契約の更新や破棄は出来るけれども、その時期だけは厳密に定められ、誰にも変更ができないようにされていた。

 そのような互いにとっての不利益となりかねない契約を何故彼女と自分の先祖は結んだのかわからないけれど。

 契約は延々と更新され、そして今、自分が引き継いだ。

 契約の破棄を尋ねても彼女は表情一つ変えず淡々と答える。


 契約を破棄したら、あなたは僕に会いに来てくれる?


 機会があればお会いすることもあるでしょうが。何分辺鄙なところで暮らしておりますと賑やかな場所は気疲れするばかりですのでね

 

 来るとも来ないとも言わない彼女。契約を破棄したとして彼女は自分たちの前に現れないことがわかってしまう。

 破棄したとたん、彼女はもう自分が不要になったと判断して、どこか遠くへ行ってしまうだろう。

 それがわかるから。


 僕の守護をよろしく


 ええ……私の力の及ぶ限り

 

 咲き初めの花のように、彼女は微笑んだ。それが彼女を見た最後だった。



 たゆたっていた思考が明瞭になる。

 そこで、浅い眠りの中で夢を見ていたことに気がついた。

 縺れて額に纏わりつく髪が不快で、手をのばして払いのける。視界に入る手は節くれだち、皺が刻まれ染みが浮き出ていた。

 あれから何年何十年が過ぎたのか。

 夢の中の自分は王位を継いだばかりの若輩だった。

 今では老いと病により明日をもしれぬ身になっている。

 

 王位は息子が継ぎ、政は補佐や側近に助けられながらも恙無く執り行っているようだ。王位を譲った後は口出しを控え身の回りの世話をする者数人を連れて城から離れた離宮に移り住んでいる。

 息子には全てを伝えたのだ。

 ならば己が傍に居てもよい事はあるまい、と。

 全て……いや、ある一つの事、だけは息子には伝えていない。


 今も城の奥、誰も行かぬ部屋にはあの鏡があるだろうか。

 引き継がせるべき約束事、契約などを全て息子には伝えた。その中に彼女との契約も含まれては、いた。

 けれど自分は、かつて父が彼女と自分を対面させたように、息子を彼女と引き合わせたりはしなかった。

 契約の内容は、守護を受けるかわりに彼女には棲む土地を与えるというもの。

 更新され続けたそれを知っても、息子は当の契約の相手方もこちらと同じように代替わりを重ねていると思うだけだろう。

 守護というのも、まじない程度の軽いモノとしか受け取らないだろう。

 その程度のものならば、無駄な契約としていつ破棄するかもわからない。

 それとも既に破棄されてしまったか。

 頭をもたげ、城のある方向を見やる。よく晴れた日で、白っぽく霞んだ空の向こう、聳える尖塔が見えていた。

 そしてその遥か向こうに、彼女の住む土地がある。

「……」

 何かを言おうとして、しかし言葉にならなかった。

 結局契約を破棄することはできなかった。

 彼女を失うとわかっていたから。

 彼女と再びまみえることも出来なかった。

 触れあうことすらできないとわかっていたから。

 優しい眼差しで見つめられたいと望んでいたのに、手の届かない彼女を見るのがもう辛くなっていた。

 そして父との約束も果たせずじまいになってしまった。


「いつか誰かが叶えてくれる、だろうか……」

 

 自分で彼女を隠すような真似をしておきながら、いつか誰かが彼女のもとへ辿りつけばいいのにとも思う。


 どうか、そのときは。

 彼女が二度とさびしい思いをしないように。

 誰かが彼女の傍にいてくれればいいと思った。

 見えない何かに願うように。




                                         END



                        



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