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初めて会ったら。会う事が叶ったとしたら。
何を、どんなふうに話そうかと空想したものだ。
これまで話しても話し尽くせなかった、たくさんのこと?
それとも、これから一緒にする事が出来る、沢山の……未来の計画の話しでも?
悲しいかな、それとも、喜ばしい事なのだろうか。
現実は、そのどれとも、まるで異なっていた。
「この手紙はどういうことですか」
初めて直接顔を合わせた彼女の第一声は、恐ろしく淡々としたものだった。
小柄な体をすっぽり砂色のフード付きマントで覆っているため、知らない者が見れば不審な子どもでも現れたように見えるかもしれない。
細い指が懐から紙片を摘まみだし、殊更にひらひらと振ってみせる。
それは自分が使者に託した、彼女への手紙だった。
「……なんでお前がここに居るんだよ」
驚きのあまり返答に時間が空いたのは許容してもらいたいところだ。
何せ自分はたった今、帰還した使者からの報告を受けていたところだった。
使者として遣わした青年……側近、兼幼馴染から、望む様な返事は貰えなかったと聞いたばかりだった。
そのうえで、これを預かって来たと彼女からの手紙を渡されて……開いてみて唖然としたところ、だったのだ。
そこへ、忽然と彼女は現れた。
使者である青年の体を媒介に使うという驚く方法でもって。
声もなく驚いている自分たちを尻目に、彼女は涼しい顔で姿を現し、にこりと微笑みをむけさえした。
ああ、懐かしくも忌々しい笑顔だと、ふつりと湧きあがった思いを飲み下す。
彼女はああ、と首を傾げながら、床に膝をつき、茫然とこちらを見上げてくる青年をてのひらで示した。
「こちらの方が、招いて下さいましたので」
言外に、“契約”により、此処へ入れないはずだろうと含ませると、目深に被ったフードを引き下ろしながら、あっさりと彼女は答えた。
え、なにそれ知らないよと、彼女のもとへ使いに出した青年は、涙目でぶんぶんと首を横に振っていたが、気にするなと手を振って宥めておいた。
どうせ他愛のない言質を取られでもしたのだろう。
言葉ひとつ、たったそれだけでも彼女にとっては、“こちら”へと来る足がかりになる。
それだけの力を持っている。
彼女の力について、詳しく注意をしていなかったのは自分だから、彼を責めるつもりはなかった。
「ご安心くださいね、私の方から“契約”の破棄はしておりませんので、いまだ“契約”に伴う制限は有効ですよ。ですので、私が貴方を害することも出来ません。私はただ、貴方の真意が知りたいだけです」
彼女は手にした手紙を、ずいとこちらへと突きつけてくる。
真意ね、と呟き、彼女へ肩をすくめて見せた。
そんなものを知って、どうしようというのか。
「真意もなにも、そこへ書いた通りだ……“契約”の更新はしない。よって、“契約”はこれで終了する。お前にとっても、悪い話じゃないだろうが。これで古い“契約”に縛られることもない。お前は自由だ。何処へだって行ける。それなのに何故、お前はわざわざこんな所へ来てるんだ」
おまけになんだこれは。
更新拒否を拒否しますって、子どもの書く文章じゃあるまいしと、彼女が使者に預けた手紙を本人の鼻先に突きつけると、ふいっと顔をそらされた。
唇を尖らせている様子なんかは、まるで本当の子どもみたいだった。
勿論、見かけどおりの“子ども”ではないことは、他ならぬ自分がよく……知っている。
傍ではらはらしながらこのやり取りを見ていた使者の目にも、便箋の中央にどどんと大書された字は読み取れたのだろう。
ふえええっと間抜けな声をあげ、目を丸くして便箋と彼女とを交互に見やっていた。使者としては、野をこえ山こえ、辺境まで赴いたあげくがコレでは、力が抜けるのも致し方あるまい。
『更新拒否を拒否します』
何やら子供じみた、それ。
使者が訪れた、此処から遥か遠く離れた彼女の住む地で、彼女がどのような振る舞いをしていたのかは知らない。
けれど自分の想像どおりならば……自分に対して、大抵そうであったように彼女は穏やかで落ち着いた態度であったろうし、そうであるならこの子どもじみた振る舞いとの大きな落差に驚くのも無理はないだろう。
「こちら側には“契約”を更新する意思はない。何処にでも好きな所へ行ってしまえ」
彼女へ突きつけていた手紙を手元に引っ込め、ため息交じりに吐き出すと、彼女はこちらに再び向き直り、物問いたげな目で見上げてくる。
深い深い、水底のような目が何かを探るように細められる。
どのくらい、無言の睨み合いが続いただろうか。
やがて彼女は諦めたようにため息をつくと、自分が送った手紙を懐に仕舞い、フードを目深にかぶりなおした。
小づくりの顔も、肩までの短い髪も、瞳の色もフードの影になり見えなくなる。
「わかりました。それが貴方の望みなのでしたら、そのように致しましょう。“契約”はこれで終了致します。それに伴い、貴方への守護も、そして貴方から先へ続く者への守護も無くなりますが、それでよろしいのですね」
「勿論」
そうですか、と彼女は小さく呟くと、目を閉じた。
しゃりん、ぱりん……硝子が割れるような、鈴が鳴るような微かな音が聞こえたと思った瞬間、彼女が目を開けおもむろに言った。
「これで“契約”は完全に終了しました」
長く長く続いてきた“契約”の終わりは、拍子抜けするほどあっさりとしたものだった。思わずそのままを口にする。
「随分とあっさり終わるもんだな。もっとこう、仰々しいものかと思っていたが」
「こんなの、勿体ぶって格好つけても仕方ないでしょう。呪文も道具も、なけりゃないでどうにでもなるものですよ。……それでは、“契約”も終わったことですし、私はこちらとはもう無関係ですよね。今後お会いすることもないでしょうが、どうかお元気で恙無くお過ごしください」
彼女の声はあくまでも穏やかで静かで、感情の波を伝えてこない。
だが自分は、彼女が声の、言葉の通りの表情をしているなど、少しも思っていなかった。
自分の知る彼女なら、きっと今泣きそうな顔をしている筈だった。
そしてここからすぐにでも立ち去りたいと望んでいる筈だった。
でも、そうはさせないよと密かに呟く。
彼女の言葉が終らないうちに、手を伸ばして自分の腕の中に細い体を囲いこんだ。
“契約”終了と同時に、彼女のかせは外れる。彼女は己の意思で自由に力が使えるようになっているはずだった。空間を跳んで逃げられたら、唯人である自分では追いつける術がない。
追いかけるつもりではあるけれど。
「何をするんです、離して下さいっ」
拳を握り、いやいやと頭を振りながら彼女は抵抗した。
細い腕ながら、なかなかに彼女は力が強くて遠慮なく胸を叩かれると結構痛い。
薬師もしているんですよ、薬を作るのは、結構力が要りますからね、嫌でも力が強くなりますよと聞いたのは、さていつの事だったか。それを自分の体で実感する羽目になるとは……あの頃は予想もしなかった。
が、うかうか感慨に耽る余裕はない。毛を逆立てた子猫のように彼女が暴れているからだ。
危うく頬を張られるのを避けつつ、さらにがっちりと両腕ごと抱き込んでしまえば、彼女はようやくもがくのを諦めて、大きなため息を零した。
散々暴れたせいかフードは外れ、彼女の艶やかな髪が露わになっている。
手のひらでさらりとした髪の毛を撫で、細い肩を抱けば、彼女は震えるような吐息をこぼした。
「……離して下さい。もう私に用はないはずですよね。帰ります」
「帰るな。……ここに、居ろ」
「わけのわからない人ですねえ、“契約”は破棄したでしょうに、なんで私が居なくちゃいけないんですか」
「だから、“契約”はもう要らない。あんなものがあったら、お前は此処に居られないだろう。だが、もうあの“契約”は破棄された」
彼女はぴたりと動きを止め、何やら考え込んでいる様子だった。そうして、まさかですよねとどこか乾いた笑い声まじりに尋ねてきた。
「……もしかしてあなた、私に此処に居てほしいんですか」
「……まあ、そんな所だ」
この後に及んで曖昧にしか言えない自分には呆れるしかないが、それは彼女の方も同じだったらしい。
俯いていた顔が上がり、真っ直ぐな視線が間近から突き刺さる。
「はっきり言って下さらないと、私は帰りますからね。どんなに捕まえていても無駄ですよ」
彼女がある意味拠り所としていた“契約”を、自分の望みのために破棄したのだ。それを叶えるためには……どんな言葉も態度も、惜しんではならないの、だろう。どれほど口にし辛くとも。
流石に顔を見られたままで告げる事は出来ず、彼女の顔を自分の胸に押しつけるようにしてから、耳元で囁いた。
「……ここに居てほしいんだ。だから、帰るな」
「……勝手な人ですねえ……」
仕方ないですねえと彼女はため息をつき、声の調子を改めて、新しい契約が必要ですかと問うてきた。
「要らない」
居るも去るも、お前の心ひとつで決めてくれればいい。
即座に答えると、彼女はとても嬉しそうに笑い、歌うように言ったのだった。
「ならば私は、私と貴方が望む限り、時の許す限り此処に居る事に致しましょう」
それが、後へ続いていく物語の、はじまり。
本編完結です。お読みいただき、ありがとうございました。
小話がいくつかありますので、おつきあいいただけると嬉しいです。




