9
「さて、今日はこの辺で宿をとりましょうかね」
街道沿いの宿場町で馬を降り、ナギは周りを見回した。
街道と街道がが交わる位置にある街の為、多くの人で賑わっている。
日が暮れかけており、ぽつぽつと灯りも灯りはじめていた。
通りには屋台が並び、夕飯を買い求める人でごった返していた。
馬を引いて歩きながら、ナギは宿を探した。
「あまり安いところでは泊めてくれないかもしれませんし……仕方ないですね、少しいい所に泊まりましょうか」
宿賃は高めだが、その分余計な詮索を受けることがないうえ、安全である。
そう思って、街でも上の下くらいにはいるだろう宿へ向かった。
カウンターには初老の男性がいて、彼女が入ると顔をあげた。
「泊まりたいんですけど、部屋、空いてますか」
「空いとるが……お前さん一人かね」
「ええ。一晩お願いしたいんです。おいくらですか」
男性はじろりとナギを眺めた後、宿代を口にした。
「ええ、それで構いません」
おそらく相場より高いのだろうが、ナギは構わなかった。
それなら部屋はと男性が言いかけた時、宿の扉が開いて、彼女は後ろから肩を大きな手で掴まれた。
「お前、一人で行くなよ。探したぞ。親父、俺はこいつの連れだ、同じ部屋を頼む」
「おや、そうでしたか……それなら」
男性が口にした代金を、ランドはすぐに支払い、ナギの腕をとった。
「部屋は二階の角部屋です。ごゆっくり」
男性の前で騒ぎを起こすことも出来ず、ランドに腕を取られたまま彼女は二階へあがるしかなかった。
二階の角部屋に入ると、ランドはなかなかいい部屋だなと設備をあちこち見ながら言った。
清潔そうな寝具、ふかふかのベッド、掃除の行き届いた室内や、浴室など。
現れる筈のない人物の出現に、ナギはまだ混乱しているというのに、だ。
この呑気さ加減は何なのだろう。
部屋の中央に立ちつくしたままのナギだったが、ランドに腕をひかれ我に返る。
そのまま有無を言わさずベッドの上に座るよう促された。
「顔色が悪い。まだ傷が治っていないのに無理をしたせいだろう。取りあえず座ってくれ」
頼む、と静かな声で言われては、従うしかない。
大量の血を失ったせいで、確かに体はだるかった。
ナギの横に腰を下ろすと、ランドは懐から封筒を取り出した。
それはナギが残してきた手紙だった。
「なんのつもりです。私はもう不要でしょうに。お互い古いしがらみから解放されて結構なことじゃあありませんか」
「本当に、そう思うのか? 」
「当たり前でしょう? 第一、このご時世もう魔術師は流行らないんですよね、薬師に転向でもして暮らしていきますからどうぞご心配なく」
あなたは綺麗なお妃さまでも迎えて、仲良くやってくださいな。大臣の姫か隣国の姫か、それは私の預かり知らぬ所ですけれど。
にこりと微笑むその顔からは、ナギの真意は読み取れないが……ランドは手紙を彼女の前で広げた。
「それなら、この手紙は何のつもりだ?白紙しかないぞ。あなたは綺麗な方とお幸せに?ふん、それならそう書けばいいじゃないか」
ランドはばさりと手紙をナギに放って寄こした。
ナギの膝の上に落ちた便箋には、一言も……ただの一言も書かれてはいなかった。
ナギはそれを拾い上げると、あら、と声をあげ細い顎に手をあてた。
「あらいやだ、私ったら間違えて白紙を入れてしまったんですね。ごめんなさいね。でもたいしたことは書いておりませんから。わざわざ追ってこられることはなかったんですよ」
それなら、とランドは静かに問う。
「それなら、入れなかった手紙には何が書いてあった?」
白紙の手紙をナギはそっと折りたたみ便箋に戻す。
「さあ……何を書きましたかね。たしかお世話になりましたとかお元気でとか、そんなことを。ね、ほらたいしたことじゃあありませんでしょ?」
「嘘だな。お前ははじめから白紙を封筒に入れたんだ。どんな言葉も書けなかったから。“綺麗な方とお幸せに”も、“さよなら”も、書きたくはなかったんだろう。違うか?」
「何故、そう思うんです?」
ナギはランドの顔を見返した。
ランドは口の端で笑うと、彼女の頬を両手で包み込んだ。
「お前の考えそうなことくらい、俺にだってわかるさ。一体何年の付き合いだと思ってる。にこにこ笑いながら意外に根暗なことも知ってるし、底意地が悪いってことも知ってる。それから、なかなか本心を言わないってこともな」
じいっと瞳の奥を覗きこまれ、心の奥まで覗かれる気分になり、ナギはうまく答える事が出来なかった。
「酷い言われようですね。それであなたは、私に何が言いたいんです? 」
心のどこかで、悲鳴のように軋む音がする。
唇は笑みを浮かべられているだろうか。
王の側近に語ったとおり、ナギは彼の傍から離れた方がよいと思っているのに、心は欺けない。
苦しい寂しいと泣いているようで。
ナギはどうかあと少しだけ持ちこたえて欲しいと思った。
望んで一人になったはずだった。
それでも、一人は寂しかった。それを埋めてくれた彼と鏡越しであれ、ともに過ごすのは楽しかった。
触れあえなくても、それで十分だったのに。
彼もいつか、他の王たちと同じように、鏡には見向きもしなくなる。
その日が来るのが少しでも先でありますように……そう願ったことなど、知られないように。
今触れている手のひらの熱が、なんと心地よい事か。
それでも……これは自分の受け取るべきものではないから。
不意にランドの顔が歪んだ。
とても悲しそうに。ナギが言葉を口にする前に、彼女の体は広い腕の中に抱き込まれてしまう。
「そんな顔で笑うなよ……俺は、お前が自分の望みなんか口にしない奴だってことも知ってる。でも、自分のしたくない事は絶対しない奴だってことも。傍に居てほしいって俺は言った。でも、それがお前の望まないことだったら、初めから俺の望みをかなえたりはしなかっただろう?」
「そうだとしたら、何だって言うんですか」
暖かい腕の中に抱きしめられるのは存外気持ちのいいものだと、今では知っている。
「俺はお前に傍にしてほしい。でも、お前が俺の顔も見たくないほど嫌いって言うなら、俺はもうお前の前に顔を出さない」
はっきり言ってくれ。そうでなきゃけりがつかないんだとランドは言う。しかしナギの口は凍りついたように強張り、言葉を紡ぐ事が出来なかった。
一言で済む。
あなたの事なんか嫌いです。
そう言えば済む話だ。
そうしたら、彼は自分と関わることのない人生を送れる。そう思うのに、言葉は喉の奥で張りついたように出てこないのだ。
自分の望みじゃなくても。彼の望みじゃなくても。
彼のためには“嘘”をついた方がいいと頭ではわかっているのに。
つかえた言葉のかわりに、涙があふれてナギの頬を濡らした。
酷い、と涙交じりの声でランドを罵った。
「ひどい、私に何を言わせたいんです。“契約”を破棄したのはあなたでしょう。“契約”がなければ……何もなくては、私は貴方の傍には居られません。それなのに」
鏡ごしでもよかった。貴方とともに過ごせるならとナギが呟けば、ランドは顔をしかめる。
「俺はよくないぞ。もう“契約”は要らない。お前が俺たちを守ってくれた事には感謝する。でもお前を縛りつける契約はもう要らないんだ」
いいえとナギは首を振る。
あの契約によって、私自身も守られていたんですと。
それには同意しかねるランドだったが、ナギが涙を零しながら言葉を紡ぐ様は、あまりに哀れで胸が痛くなった。
「何もなくては……私は傍に居られません。この力以外で、私は貴方にあげられるものはないのに」
それは違うとランドはナギの耳元でささやく。
“契約”によって守られるより前から、ランドは彼女からたくさんのものを貰っていた。
他愛ない会話や彼女が聞かせる話が、どれほど心を慰めてくれたことだろう。
それを告げても彼女は頑なに頭を振る。
両親が早くに亡くなり、子ども二人が広い城に残された。
飢えたこともないし凍えたこともない。そういう意味では恵まれていることをよくわかっていながら……いつもどこかが寒かった。
彼女に会って初めて、寒さから解放されたのだ。
彼女と共に在る時間を望み、契約の更新時を待ち続けた。
彼女が頷いてくれさえすれば、自分はどんなことだってできるのに。彼女は“傍に居る”それだけのためには、一緒にいられないと言う。
それならば、とランドは彼女の背の傷に触れないよう、そっと抱きしめた。
「それなら、どうか結婚してくれないか。これも“契約”の一種だろう」
ナギは信じられないと目を見開いた後、ふるふると首を横に振った。
「何を莫迦な事を言ってるんですかっ。私と結婚なんかしてみなさい、隣国や国内からだってそっぽ向かれますよ。周りからも反対されるに決まってるでしょうに! 第一……跡継ぎはどうするんですか」
ナギはランドの言葉に驚いて顔をあげ、言いつのった。
状況の厳しさよりなにより、王の義務の一つは次代へ血を繋ぐこと。長く生きてきたナギは、自分にはおそらくその能力がないと思っていた。
ランドはこともなげに言い放つ。
「後継ぎは妹の子どもを養子に貰うさ、そう話はついている。状況の悪さもわかっている。なあ……俺と少しでも一緒に居たいと思ってくれるなら、頷いてくれないか」
「……仕方ありませんね。そうまで云うなら、“契約”してあげますよ」
痺れがきれそうなほどの長い沈黙の後、ナギが答えると、ランドは歓声をあげて彼女の顔じゅうに口づけを降らせたのだった。




