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六章 滅亡の炎



「っ!!!?」


 弟が指差した先、樹々の隙間を抜け開けた場所。船着場のある辺りが、夕刻でも起こり得ない鮮やかな赤に彩られ―――轟々と燃えていた。

「な、何で……!?」

 余りにも非日常的な光景に、弟を抱いたまま呆然と立ち尽くす。が、熱を孕んだ風に乗って今にも呑まれそうなか細い氣を感じ、ハッと我に返った。

「中にまだ人がいる!助けに行かないと!!」

「兄様いけない!!あれは、あの炎に近付いちゃダメ!!!」幼子は渾身の力で私の腰を掴み、千切れそうな程首をブンブン振る。

「見殺しなんて出来ないよ!早く助けないと死んでしまう!!」私もつられて叫び返す。「お願いだから放して!!」

「嫌だ!!僕の方こそ一生のお願いだよ!このまま後ろを向いて全速力で走って!!『あいつ』が僕等を見つける前に、早く!!」

 体格差があるとは言え、健康で血の足りた弟の力は私より強かった。止むを得ない。


「ごめん!」バシッ!


 右手で氣の壁を張り、強制的に腕を振り払った。弾かれた混乱の隙を突き、熱源へ走り出す。

「おいこの馬鹿!餓鬼の言う通り行くな!引き返せ!!」

 肉体に同居する魂、燐さんも警告する。但しいつものように頭の中で、ではなかった。

「誰!?ねえ兄様!今誰が何処から喋ったの!!?」

 あっと言う間に追い付いたオリオールがキョロキョロしながら尋ねる。

「今は誰でもいいよ!」

 昨日も利用したばかりの船着場は今、私達の目と鼻の先で焼け落ちかけていた。取り残された生存者ごと、骨まで燃やし尽くそうとするかのように。

「うっ……」

 近付く度に強くなる熱気が皮膚を焼く。それに何、これ……?今までも危険な事件に何度か巻き込まれてきたけど、ここまで激しい憎悪は初めてだ。駄目……はっきり意識を持っていないと、今にもまた気絶してしまいそう。

 入口は既に炎に包まれ、少なくとも視界に人影は無い。しかし、奥で着実に弱っていく氣が一つ。これは、まさか「サチさん?」

「え?知ってるの?」

「うん。前に教会で治療した村の人」

 知人が巻き込まれていると分かっては、もういても立ってもいられなかった。恐怖を押さえ付け、私は燃え盛る建物へ自ら飛び込んだ。

「待って兄様!」

 火の粉で髪の毛が焼けるのも構わず、勇敢な弟は私の後を追って来る。彼と自分を守るために掲げた右手の奇跡を貫く熱に顔を顰める間も惜しく、二人で彼女を捜した。


「いた!!」


 倒れたサチさんに近付き、仰向けて脈と呼吸があるかを確認。どうやら煙を吸って意識が朦朧としているようだ。急いで癒しの奇跡を掛け、侵された呼吸器を楽にする。

「……あなた……奇跡使いの………」

 瞼をゆっくり開け、思ったよりしっかりした声で呟く。

「ええ。もう大丈夫、すぐに外へ運びます。オリオール、背負うから手伝って」

「え?平気?僕が大きく」

「早く!」

「う、うん!」

 弟の手を借り、重傷者を背中へ。重いなんて言ってられない。私は脚をひたすら動かし、速やかに脱出した。業火から遠い樹の幹の下へ、以前よりふっくらと健康的な彼女を横たえた。瞬間、一気に全身を脱力感が襲う。

「はぁっ……!」

 思わず左手を幹に突く。背負った事だけではない。常とは違う、激しい攻撃的な氣に間近で晒されたせいだ。  

 あれだけの大火の中にいたにも関わらず、奇跡的にもサチさんに目立った火傷は見られなかった。勿論自力で歩ける状態ではないが、取り敢えず一安心。

「小晶さん、手が……!」

「ああ」すっかり忘れていた。降り注ぐ火をまともに浴びた右腕は真っ赤を通り越し、早くも炭化し始めていた。「大丈夫、私は不死族です。核さえ傷付いていなければすぐ治りますから」

「そう……?でも、余り動かさない方が……」

「ええ。心配してくれてありがとうございます」

 重傷には違いないが、有限の人命には代えられない。

(ウィルが帰って来るまでに、少しは治癒しているといいけど)

 こんなのを見せられたら、幾ら大好物でもケーキなんて咽喉を通らないだろう。優しい人だから……。


「おーい!誰かいるか!?」


 村の方角から数人の男性達がこちらへ走ってきた。先頭は見覚えのある中年の農夫。ウィルの友達のオウグさんだ。

「お、サチじゃねえか!二人が助けてくれたのか?」

「ええ、危ない所でした」

 私達の火傷、とりわけ私の右腕を見て、彼等は一様に息を詰めた。

「んな大怪我してまで……」「大丈夫なのか?」「痛くは」

 先程のサチさんと同じ説明をし、軽く動かしてみせてどうにか納得してもらう。

「それで痛くも痒くもねえって逆に怖えな」「無理するなよ坊や」「そっちのチビもだぞ」

「はい」「ありがと、オジサン達」弟と並んで頭を下げる。

 石と木製で出来た建物はいよいよ炎に耐えかね、奥の改札の方から崩落の音が聞こえてくる。と、森を迂回した教会の老牧師さんが現れた。

「駄目だ!どうやら到着した定期船が火元のようじゃが、火勢が強過ぎて裏からもとても近寄れん。あの分では恐らく乗客は全員既に……」

「着陸に失敗したのか?幾ら何でも普通じゃねえぞ、この火事は」

「いや。きちんと定時に停泊したのは何人も見ている。燃料の爆発事故ではない」

 常識では考えられない、天災にも似た業火―――まさか、これって……。「“炎の、魔女”……」

「坊ちゃん?」

「新聞で見た事があるぞ。街一つを易々と焼く、常軌を逸した女……」私の呟きに牧師さんが応じた。


「っ!皆さん、急いで離れて下さい!!」


 氣が拡散していない。と言う事は、恐らく“魔女”はまだこの中にいる。このままいては何れ出てきた彼女と鉢合わせしてしまう。

「けど、まだ生きてる奴がいるかもしれねえってのに」

「少し待って下さい」目を閉じて意識を再び火焔へ投じ、懸命に命の光を捜す。が……一分後、黙って首を横にした。

「嘘だろ?乗客だけじゃねえ。船着場の職員や見送りの人間だっていた筈」

「オウグ」牧師さんは苦虫を噛み潰したような顔をし、荒れ狂う炎から目を逸らした。「残念だが彼の言葉は嘘ではないじゃろう。この火の中では最早誰も……皆、一度村まで戻るぞ。街からの応援を待って鎮火作業だ。警察や聖族政府にも連絡せんと」

 普段温厚な彼も、流石に苦々しげな表情で拳を握り締める。「ああ。取り敢えずサチを家まで運ぶぞ」

「そうだな」「折角生き残ったんだ」「まずは手当てしてやらないと」

「彼女の事はオウグと儂に任せてくれ。他の者は先に川へ行き、消火用の水を運んで来るんじゃ。誰か、倉庫に仕舞ってあるポンプ車を運んでこい」

 指示を受け、村人達は一斉に森の外へ散った。残ったオウグさんが逞しい背中に眠ったサチさんを乗せ、落ちないよう牧師さんが後ろに手を添える。

「ここからは力仕事だ、お主等も一緒に戻るぞ。サチを助けてくれた礼もしたいしな。その火傷も……出来るだけの治療をさせてくれ」

 彼が責任を感じる必要など無いのに。深く腰を屈められ、思わずおろおろしてしまう。


 気にしないで下さい、そう言おうとした瞬間、突然生命の息吹を感じた。「!!?」


「どうしたの兄様?」

「今、中から人の氣が……まだいるんだ、生きてる人が!」

 しかもまだ灯火は強い。今から行っても助けられる!

「何?おい!坊や!!」「止めるんじゃ!!」「兄様!!?」

 三人が止めるのも聞かず、私は再度火中へ身を投じた。もう可燃物は粗方炭化しているのに、熱波は更に酷く全身を打つ。呼吸だけで肺が爛れそうだ。

 氣を捜して船着場の奥、崩れた改札を抜けて元宇宙船へ。この火の塊の何処かに人が……?でも、どうしよう。中へ入ろうにもステップは完全に焼け落ち、開いた入口へは全力でジャンプしても届きそうにない。

「生存者なんて放っとけ!早く外へ出ろ!!本気で死ぬぞ!!」

「でも……誰か!いたら返事をして下さい!!」

 焼けた咽喉が潰れそうな程叫ぶが、轟々と炎が壁を舐める音ばかりで返答は無い。


「兄様!!」


 まごまごしている内に弟が追い付く。彼も服があちこち焼け、手足には痛々しい火傷が出来ていた。

「さっきからどうしたの!?一人で喋ったりして……とにかくここは危ないよ!逃げよう!!」

「言われなくても分かってる!おい餓鬼、引き摺ってでも連れてけ!!」

「へ?あ、兄様?」呆気に取られつつ、人差し指で自分を指す。「ガキって、もしかして僕の事?」

「他にいねえだろうが糞餓鬼!」

 言うなり私にしか見えない両腕で背中をぐいぐい押す。不自然な体勢に、弟は更に目を丸くする。

「ど、どうなってるの??まるで後ろに透明人間がいるみたい―――え?身体の中にもう一人?あ、そう……随分口の悪いお兄さんだね。僕吃驚しちゃった」

 首を傾げつつも納得し、オリオールは私の手を掴む。

「兄様、お兄さんもこう言ってるし、とにかく出よう?助けたい気持ちは分かるけど、幾ら何でももう手遅れだよ。このままだと僕等まで焼け死んじゃう」

 弟の真摯な蒼目と未だ船内に感じる氣に、良心が激しく痛んだ。そして、


「―――済みません」


 氣の方向に頭を深く一度下げた後、家族へ向き直る。

「ごめん、行こう。聖樹さんの所へ戻る前に火傷の治療をしないとね」

「ちゃんと兄様の分もだよ?忘れないでね」

「うん。分かってる」

「ウィルのお兄さん、見たら腰抜かすだろうな。兄様の手、綺麗だって褒めてたもん……そもそも今日帰って来られるのかな?船着場、こんなになっちゃったのに」

「さあ。でも多分、エルが何とかしてくれると思うよ」

 話しながら二人で出口へ向かい始めた、その直後だった。


「え?」ブワッ!


 背後で一際激しい焔が噴き上がり、救出を諦めた生存者の氣が一気に近付く。

(まさか、自力で出て来た?)

 有り得ない。いや……一つだけ、可能性が無くはない!どうして飛び込む前に気付かなかったんだろう!?

 恐る恐る振り返る。―――この牧歌的な田舎には酷く不釣合いな白いドレスに、真っ赤なハイヒール。一筋も燃えていない赤いウェーブの長髪と、意志の強そうな同色の瞳。深紅のマニキュアが塗られた爪先で、まるで生きているかのように羽ばたく炎の鳥を留まらせた女性が立っていた。明らかに救助を待つ無力な一般人などではない。


「―――あなたが、“炎の魔女”?」

「兄様逃げてっ!!」


 彼女と私の間に、弟が短い両腕を精一杯広げて立ちはだかった。次の瞬間、緋色の目に恐ろしい程明確な殺意が宿る。


「やっと見つけた。手癖の悪いケダモノ……即刻焼却処分してやるわ!」

シールっ!!」


 圧倒的な恐怖に蹲った弟を抱え、咄嗟に最大限の氣の壁を張った。一拍置いて熱波が周囲を吹き荒れ、石床が高温で溶けていく。これまでがそよ風と思える程激しい、灼熱の嵐が私達を襲う。

「うっ……!!」

 奇跡を使う右腕と、体勢上僅かに背後へ伸ばした左脚がブスブス音を立てて焼かれる。熱い。でもこれ以上奇跡の範囲を広げたら、腕の中の弟にまで被害が……!!

(耐えるしかない……)仮令この身が灰となっても、オリオールだけは絶対に守らないと!

 突然、彼女は攻撃を止めた。こちらへ歩いて来るのが見えたが、精神的にも肉体的にも限界の私には最早止める術が無い。


「うっ……ぁ……!」ドサッ!


 奇跡を解いた途端、完全に炭と化した右腕が重力で床に叩き付けられる。見えない左脚も動かない。どころか、無事な右脚で立ち上がる事さえもう……。

 熱風に因るダメージでぼやけた視界の中、真っ赤なルージュの唇が動いたが、よく聞き取れない。私は最後の力を振り絞り、無事な左腕と胴体で震えるオリオールをキツく抱き締めた。


「お願いします……!どうか、どうか弟には手を出さないで下さい……!!」


 そう言い終え、意識が暗転した―――恐らくは、永遠に。

(ごめんねウィル……ケーキ、一緒に食べたかったのに……)




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