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四章 唐突過ぎた悲報



 平日の朝の政府館は出勤ラッシュでごった返していた。人の波を縫うようにロビーへ行って来客用スリッパに履き替えた時、ウィルベルク、不機嫌な声で後ろから名前を呼ばれた。

「何だ、第七対策委員か。おはよ」靴を下駄箱へ入れながら振り返らずに挨拶する。

「フン。今日は随分早いな。いつも後ろにくっ付いている精神病者と生意気な餓鬼はどうした?」

「留守番だ。朝飯前に貧血で倒れちまってな」

 簡潔な説明に、シャーゼ・フィクスは無意識にパサついた銀髪へ手をやった。

「残念だったな」貴重な話し相手がいなくて、と心の中で続ける。

「ふ、フン。誰があんな病人など……」

 ん?何か声が若干上ずったような気が。

「ところで母親は達者か?まーくんが時々行ってるんだろ?」

 “泥崩”事件の際、彼女の病室にも正体不明の死者、核の傷付いた不死族ヘイト・ライネスが現れて一騒動起きた。あれ以来、誠は定期的に病院へボランティアの慰問を行い、彼女の病室へも訪れていると聞いている。

「あ、ああ……少しずつ快方に向かっている。信じられないと医者も驚いていた」

「そうか、良かったな」

 階段へ向かおうとすると、何故か奴も後ろを付いてきた。こっちが仕事場なのか?


「あ、ウィルさん」


 三階まで上った所で、清楚な白スーツの女性が下から追い掛けてきた。両手で書類の詰まった革鞄を健気に抱えている。弟のフィアンセ、そして有能な秘書でもある詩野 美希は、俺の目を見て頭を下げた。

「わざわざ御足労頂いて済みません。エル様も、選りに選って誠さんが倒れた日に呼び出さなくても……」

「いや、何だかんだ言って今まで報告をサボってたのは俺だしな。このままあいつの執務室に行けばいいのか?」

「はい」鞄を振り「書いて頂く書類は、全部この中に準備してあります」

「そうか。なら行こう」

「ところで、フィクスさんもエル様に御用ですか?」首を傾げる。「第七対策委員のオフィスは二階だった筈ですが」

 指摘に奴は眉を顰め、わ、分かっている!私はただこいつを案内してやっただけだ!!勝手に逆ギレした。

「まぁ、ありがとうございます。本来なら私がロビーまで迎えに行くべきだったのですが、エル様から朝一番に速達を出すよう頼まれてしまって」

「こんな引き篭もりに気を遣う事は無いぞ、詩野」

 鼻を鳴らし、やれやれ、無駄な時間だったな、そう吐き捨てて階段を引き返して行く。ふと振り返ると、艶のある黒髪を首の上で切り揃えた秘書はくすくす笑っていた。




 コンコン。「ただいま戻りましたエル様。ウィルさんがいらっしゃいましたよ」「ああ、お帰り」


 ガチャッ。開いた扉の先で、二卵性双生児の聖王代理は簡易キッチンに立っていた。どうやら本日何回目かのカフェイン摂取準備に勤しんでいるようだ。黒いコーヒーメーカーから下のペアマグカップへ、芳醇な香りのエスプレッソが数滴ずつ注がれている。実に優雅な朝の光景だ。

「済まないね美希。朝一で郵便局まで走らせちゃって。兄上も無理言って御免。そこに座って少し待ってて。今美味しいコーヒーを淹れてるから」

「じゃあお言葉に甘えて」

 応接セットの革ソファに腰掛けると、早速秘書が鞄から十数枚の書類をテーブルに広げた。白鳩の活動報告書に始まり、捜査許可書、各種機関への事後申告書等々。一ヶ月に四つも事件と遭遇したせいで、初の事務仕事になる俺にとっては一日で終わるのかと思う程膨大な量だ。

「まずはこちらを読んで、終わったらサインをお願いします」

「ああ」

 報告書以外は既に二人が摘要等を埋めてあり、俺は内容を確認して承諾するだけで良かった。それでも十枚近くとなると、普段使わない目とペンを持つ右手の筋肉がだるくなる。


 カチャ。「入ったよ兄上」「ああ、ありがと」


 左手で置かれたカップを掴み、苦い液体を一口啜る。普段飲んでいる紅茶と違い、胃と頭をガツンと覚醒させた。

「今は兄上が定期的に輸血しているんだろ?なのに倒れたのかい?」

「ああ。急に頭上げたせいかな。今朝は家に来た時からふらふらしてたし、多分低血圧」

「あれはキツいね。一般に気温が上がると、血管が拡張して症状が悪化すると言われている。まだ夏までは二ヶ月近くあるけど、充分気を付けた方がいいよ」

「そうなのか」

 今から倒れているとなると、夏本番には暑さも重なって寝込んでいるかもしれないな。ただでさえ虚弱体質なのに。

「“黒の星”は殆ど日が差さず一年中同じ気温だしね。変化する環境に身体がついていってないのかも」

 それはこの間、図書館で勉強のために借りた本にも載っていた。四季どころか昼夜でさえ寒暖の差はほぼ無く、常に十五度前後らしい。

「輸血以外に何かやれる事はあるか?詩野さんとかほら、女性はよく悩まされるんだろう?」

「ええ。私も季節の変わり目と月の物が重なる時に症状が出ますね。対処法としては屈伸運動や散歩、とにかく身体を動かすのが効果的かと。後はなるべく栄養のある物を食べるとか」

「難しい事言うなあ」笑いながらポリポリ、俺は頭を掻いた。「ま、運動は帰って試してみるよ」ストレッチぐらいなら大して負担も掛からないだろう。

 二人は朝食がまだだったらしく、今度は詩野さんが簡易キッチンへ行って調理を始めた。コンロで寸胴の鍋を温めている間に、もう片方にフライパンを乗せて手際良くクロックムッシュを作る。

 弟は自分のデスクで別口の書類を確認しつつ、片手間で俺にアドバイスしてくれる。素直に聞いてようやく一枚目、“腐水”事件の無難な偽報告書を完成させた時だった。


 カタン。「ウィルさん。少し休憩にしませんか?」コーヒーカップの隣へ湯気の立ち昇るクロックムッシュの皿が置かれる。


「俺の分まで用意してくれたのか?悪いな、頂くよ」

「いえ、そんな。一本早い船に乗ってこられましたし、もしかして朝ご飯を食べずにお越し頂いたのかと思って」

「凄い推理力だ!その通り」

 誠の介抱をしつつ電話を入れ、空腹を感じる暇も無く爺達に後を任せ船着場へ向かった。美味い匂いに釣られ、今更腹の虫が鳴く。

「ほら、エル様。幾ら早く帰らせるためとは言え、矢張り急かし過ぎです」しっかり者の秘書は頬を膨らませた。

「次の便は二時間後だったし、一食どうこうしたぐらいで大の男が死にはしないさ」言いつつ頭を下げた。「だけど一応反省するよ。唯一の血縁者と優秀な秘書に嫌われるのは嫌だからね」

「別に俺は気にしてないさ、詩野さん。どうせ輸血中は何も食えねえし」

「ではその肝心の血液が不良品で、誠さんに効果が出なくても構わないと?」

「う……それは拙い。非常に困る」

 三日に一度の高頻度でさえ不調気味なのに、その上効かないなんて論外だ。

「俺が悪かった―――頂きます」

 カリッ。もぐもぐ……「美味い」香ばしく焼かれた食パンに中のベーコンととろけたチーズが絶品だ。頬張る間に、鍋から真っ赤なスープをよそってくれる。具材は豆腐と葱、それに卵。

「スンドゥブと言う料理です。唐辛子が発汗を促して新陳代謝を高め、ダイエットにも効果があるそうですよ。この間故郷の知人に教えて頂いたレシピで作ってみました」

「へえ」

 早速スプーンで賽の目状の豆腐ごとスープを掬って口の中へ。「辛美味」鷹の爪がこれでもかと効き、見る見る顔が熱くなる。ただ辛いだけではなく、出汁の旨味が後を引く。これは甘党の俺も手を動かさざるを得ない。あっと言う間に完食。

「幾らレシピ通りでも、流石に寸胴鍋一杯は作り過ぎだよ美希。二人じゃあ食べ切るのに何日掛かる事やら」

「もう飽きてしまいました?」 

「いや、全然。フィアンセは料理まで上手で言う事無しさ」

 一旦書類を端に寄せ、ふうふう汗を掻きながら口に運び始める。

「実は最近、きちんと三食摂ってるから太った気がするんだ。どう兄上?」青紫色の頬を軽く抓む。「少し肉がだぶついてない?」

「ちっとも」

 変換した“泥崩”のせいか、はたまた職務が忙しいせいか。美味い手料理をたらふく食っているくせに、弟は却って若干痩せたように見えた。

「そう?まあここしばらく体重計に乗っていないから、勘違いって事もあるかもね」

「いや、寧ろ俺には減ったように思えるぞ?」

「え?まさか」

 弟は立ち上がり、何故か再びキッチンの方へ向かった。シンクの端まで行ってカタンカタン。ああ成程。女性の詩野さんが体形管理用にキッチンへ体重計を置いてるんだな。あそこならまず忘れないし合理的だ。

「あれ?え、美希。これ壊れてない?半月前の健康診断より二キロも落ちてるよ」

「いいえ」

「ほら見ろ。お前、秘書が出来たからって余分に仕事してんじゃねえのか?―――無理すんなよ。お前が余計に働く分、詩野さんにも負担掛かってるんだぞ?」

「私なら平気です。ウィルさん、今は仕方が無いんです。“炎の魔女”被害は甚大で、一刻も早く逮捕するために多少のオーバーワークは……」

「ああ、アイゼンハーク家の時も言ってたな。まだ相変わらず手掛かりは無いのか?」

「ええ。でも……実は一つ気になる事があるんです」

 秘書は空のスープ皿をテーブルに置き、クロックムッシュの最後の一口を可憐な唇へ入れる。

「オルテカの警察の話だと、アイゼンハーク家は外から火を掛けられたそうです。しかし……御存知の通り屋敷は煉瓦製で、些細な火種で全焼は有り得ません。つまり―――犯人は単なる放火魔ではないと言う事です」

「おい、まさか」

「そう。“炎の魔女”の可能性が非常に高い。しかも、だ。奴は屋敷を燃やす数時間前に、スラム街でホームレスごと廃ビルを一棟キャンプファイヤーにしている」

「一日で二件の犯行を?しかも同じ街でか?」

「ああ。これまでの行動パターンとは明らかに違う点が幾つも出てきた。犠牲はともかく一歩前進だ」

 デスクをカツカツ、人差し指で叩く。

「まず一件目と二件目の間、犯人がオルテカにいたのは確定的だ。既に現地の警察と政府駐在所には、当日不審人物を見かけなかったか徹底的に聞き込みをさせている。次に大きな相違点は、奴が『初めて』人を殺さなかった事だ」

「確かに……少なくともアイゼンハーク家で火事の死人は出なかった」とっくの昔に死んでいたお陰で。

「そもそも屋敷は封印され、人がいるかどうかも判別出来ない状況だった。一応明かりは漏れていたが、それなら条件は他の家屋も同一。なのに何故か敢えて“魔女”はそこを選んだ」

「前言ってた予想が当たったのか?アイゼンハーク家の遺産争い説」

「ベリークレイジー!鬼籍の人間に相続権を与える程、法律は節穴じゃないよ!!」両手を天井へ向け、珍しく大声で否定する。「そもそも相続する側も全員死んでいる訳だし、夢屋敷の人間と“魔女”に利害関係は無かったと考えるのが自然だ。なら、奴が犯行に及んだ要因は他にある」

「?」

「鈍いな。死者達が出られなかった以上、原因として考えられるのは外からの来訪者」

「つまりウィルさん達白鳩調査団と天宝商店の方々です」

「はぁっ、冗談だろ?俺達の誰かがそんなおっかない大量殺人犯と繋がっているって?」

 理屈としては至極納得出来る。が、正直考えられないし、考えたくもない。

「悪い、些か語弊があったね。仲間と言うより関係性が認められる、可能性があると言いたかったんだ。例えば向こうが誰かを見知っていて、本人側が既知かは別としてね、殺すために火を放ったとか」

「まさか。天宝は至って真面目な骨董屋だし、まーくんとオリオールは“黒の星”を出て僅か二ヶ月程度だ。リュネも滅多に外界へは出ない口振りだった。放火魔の恨みを買う筋合いは無い」

 アイザの母親も最近まで監禁生活だった。まず接触は考えられない。

「兄上自身はどう?」

「あるかボケ!仮令命を狙われてても、見ず知らずじゃ対処のしようが無いだろ?」

「その通り。―――仮に知人だったとしても、肝心の記憶が失われている可能性だってあるしね」


 一瞬、肉親が何を言ってるのか分からなかった。


「―――そんな無茶苦茶な、ある筈が……!」

「落ち着いて下さいウィルさん」詩野さんが両手を広げ宥める。「いいですか?誠さん達が外界へ出てきたのとほぼ同時期に“炎の魔女”は活動を始めています。もしかしたら彼女の目的はお二人と同じ、“黒の燐光”かもしれないんです」

「永遠の命を贖う宝石だ。誰に狙われたっておかしくないだろう?」

「じゃあ奴は、邪魔なまーくん達を亡き者にして宝を横取りしようと?」

 それならオリオールの時折見せる不可解な態度もある程度納得が行く。そんな強大な敵に非力な自分達が狙われていれば……しかし、なら何故リュネと対面した時、素直に保護を頼まなかった?無断外出の罪は焼死の脅威より恐ろしいのか?いや、だが彼女は本当に誠を心配していたんだぞ?考えれば考える程訳が分からなくなっていく。

「そう単純な話だといいんだけどね……」

 奥歯に引っ掛かる言い方だ。それ以外どう説明が付くと言うんだ、こいつは。


 リリリイィン!リリリイィン!ガチャッ。「はい、こちら政府館です。―――え?ま、誠さんとオリオールさんが……!!?」


 ガタン!受話器が木製の床へ落ちた。




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