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三十五章 黒き城内にて




「かあさま」


 聞き慣れた愛しい我が子の声にハッと気が付く。ここは……お屋敷?

 左側にいた息子のマシュマロみたいな右手を握り、視線を上にして驚愕した。幼子の左手を繋ぐのは紛れも無い。


「ウィル、ネスト……?」


「むかえにきてくれたんだよ、とうさま」蕩けそうな笑顔で言い、「ね?」常の癖で小首を傾げ、父親に向き直る。

 夢、だったのかしら……?暗黒に建つ城で坊やと暮らしていた日々。恋人のいない、何処か歪んで空虚な長い年月は。


「どうした?」


 低いアルトの心地良い声。耳に届いた次の瞬間、無意識に彼へ縋り付いてしまっていた。

「おい」

「ごめんなさい。少しだけこのままでいさせて……」

 こんなにも愛していたのね、私……仮令夢でも、離れてみて初めて思い知った。ぽっかりと穴の空いた心は、どんなにまーくんと一緒に過ごし、着飾って気に入りの物で満たしても決して埋まらない。

「しょうがないな」彼の手が髪を撫でて後頭部を押さえる。「お前の気が済むまでしててやる」

 繋いだままの右手を放し、坊やの首を抱き締める。くすぐったそうにキャッ、女の子より可愛い声を上げた。

 お願い神様。少しの間でいい、終末へ向かう時間を止めて。この温もりで悪夢の残滓が溶けて無くなってしまうまで……だって悲しいでしょう?最後の記憶があんな、


 ドサッ。「え?」


 瞼を開ける。離れた体温が目の前で大量の血と共に失われていた。愛息も彼の腕の中で冷たく―――。


「あ、ぁ………!」


 恐る恐る視線を上げる。血走った両眼で二人の死体を睨んでいたのは―――。




「いやあああああっっっっ!!!!!」


 飛び起きて十数秒間、自分の置かれた状況が分からなかった。ようやく精神が現実へ帰って来て辺りを見回す。私が眠っていたのは食堂の端に据え付けられたソファ。以前アンティークショップで衝動買いした、羽毛のクッションがよく利いた物。花柄の白い端正な刺繍レースは坊や、まーくんもお気に入りだ。

「奥様、大丈夫ですか?」私達親子以外唯一城に住む建築士、ワームレイが気付けのブランデーを持って現れる。「随分魘されていましたが」

「ええ……!そうだ、まーくんは!?」

 ウィルネストに抱えられて逃げる最後の光景、そのはっきり怯えた表情を思い出す。嫉妬と憎悪に駆られ、記憶喪失で何も分からない愛息を怖がらせてしまった。母親失格だ。

 差し出されたブランデーを瓶から直接一口。強いアルコールが寝汗で水分の抜けた身体を強制的に覚醒させる。

「坊ちゃまは城下へ降りられました。しかし、どう言うつもりかまだ“黒の都”に留まっているようですよ」

 窓辺に置いた愛用の双眼鏡を示し、私の拙い説明より、直接御覧になられた方が早いかと、と続ける。

(一体どう言う事なの……?)

 一度ならず炎に巻かれ、恐怖は骨身に染みている筈。なのに何故まだ遠くへ逃げていないの?悲しい限りだけど、息子には私と過ごした全記憶が無い。当然未練が芽生えるなどと言う事も有り得なかった。

 城が完成してすぐの頃、建築士に買い与えた双眼鏡を手に取る。彼はこれで城下の様子を覗くのが日課だ。人々の平凡な営みを観察する不具者に昔、城下で暮らす気は無いのか尋ねた事がある。彼は黙って小さく首を振り、生業の壁塗りに戻った。

 レンズを覗き、まずはメインの通りを確認しようと頭ごと動かす。


 ドンッ!


「地震……?」

 すぐに揺れは収まったが、頭上のシャンデリアが一分程カタカタ高音で鳴り続ける。

「また“黒の森”かしら?」

「いえ、連中の騒ぎにしては一瞬過ぎます。?ちょっと貸して下さい」

 引っ手繰るように双眼鏡を掴み、城下を確認し始める。「何て事を……!!」

「どうしたの?」

「ぼ、坊ちゃまが……こちらへどうぞ」

 両手で固定されたレンズを覗き込む。教会の三角屋根の向こうに、普段は無い大掛かりな装置が設置されていた。外界でも偶に使われる断頭処刑具、ギロチン。優雅さの欠片も感じられない無骨で凶悪な刃の下で―――無残にも我が子が上下に引き裂かれていた。


「いやあっ!!!!」


 叫びつつもレンズから目を外せなかった。シャツの前を血で染めたウィルネストが、例の蒼髪の子供を背負い階段を登ってきたせいだ。

(怪我……?でも私、斧を突き立てた記憶なんて『少なくとも』さっきは……)

 自らの苦痛も構わず抱き起こし、父は介抱を始める。その表情は昔と寸分違わず愛情に満ちていた。

(見間違えじゃなかった。やっぱりあなただったのね、ウィルネスト……)

 愛しさが込み上げると同時に、右腕に埋め込まれたルビーが激しく熱を持って疼いた。

(“緋の嫉望”!お願いよ、今は暴走しないで……!)

 我を失った怪物相手に、瀕死の重傷の子を抱え、自分も傷を負った彼がまともに戦えるとは思えない。

 胸はともかく腕の痛みはどうにか治まり、一旦双眼鏡を外す。

「どうなさいますか?」

 尋ねた建築士の手には以前私が壊したティーカップ。今度買ったセットは充分気を付けながら扱っている。太陽の下、健康的に笑う天宝商店の看板娘さんを思い出しながら。また割ったらとても顔向け出来ないわ。お腹を切られてまで探し出してくれたんですもの。

「……しばらく様子を見るわ。あなたも手出ししないで。あ」

 周りの傍観していた不死達が突然機敏な動きを見せ始める。少し目を離した間に、処刑台の上は三人増えて随分手狭になっていた。内一人は不死族。様子から想像するに、まーくん以外の誰かが住民達へ発破を掛けたようだ。


「奥様!“黒の森”が!!」

「えっ!?」


 慌てて双眼鏡を構え、窓の端から郊外を覗く。―――樹々よりも巨大な闇が、怪しく蠢き始めていた。





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