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三十二章 静止した時の中で



「え……これは?」

 目の前の弟の唇は閉じず、白い乳歯を見せたままだ。慌てて顔を上げ、辺りを見回す―――ほっとするエル達も、未だ不安げに遠巻く不死族の人々も、心底悔しげに彼等を睨む神父さんも―――誰一人動いていなかった。いや、


「あなたは……!!」


 純白の法衣。豊かな水を思わせる蒼く澄んだ長髪。そして背中の両翼。見間違えなど有り得ない―――聖王にして神の御使い。四天使、ジプリール。

 操作盤の前に立つ彼女のアイスブルーの瞳は、しかし私とは別の方向を捉えていた。

「まだ未浄化とは、流石は『華の天使』の息子。その穢れた魂の業は相当に深いようですね」

「ジプリール!!」

 処刑台の上の相手は縛られた両手をジタバタさせ、縄を無理矢理引き千切ろうとした。薄茶色の両眼に宿るは、心の奥底で沸騰する憤怒。

 天使は涼しげな微笑のまま視線を逸らし、時の止まった美希さんを眺める。

「愚かな娘。主を捨てた“信仰者”には何れ重大な神罰が下るでしょう。そして―――エルシェンカ。折角御許へ招かれたのに、何故拒んだ上新たな異教徒を生んだのです?私には到底理解出来ない」

 私には彼女の言い分こそ理解し難い。友人は愛する人を命懸けで救った。それの何処がいけないの?

「大父神しか見えていないお前には一生分からねえよ」

 ペッ!壇上から地面へ唾を吐き捨てる。

「成程、ならば構いません。近い未来に異教徒は悉く淘汰され、“信仰者”達が織り成す理想郷が新生する。そのためにはウィルベルク、いえ―――『華の天使』の息子ウィルネスト。お前の存在は致命的な障害です」

「!?何故お前がその名を!?」

「その魂は主の御手の内より永久に抹消されなければならない」

 返答が無い事に慣れているのか、友人は冷静になるため大きな溜息を吐く。

「“死肉喰らい”ばっかの世界が理想?見たくもないな、そんな宇宙は」

「それは表層しか見えていない証拠です。彼等の本質、輝ける精神はお前達より遥かに高次の存在。私はただ主の御言葉通り、選ばれた人々に進化の道標を示しているのみ」

「詩野さんも首狩り娘も、皆まーくんの“黒の燐光”を狙ってきた。手前の布教のせいだな?」

「お前も分かったでしょう、“あれ”こそ災厄の根源であると。現に今もここで“絶望”を巡り醜い争いが起きている」

「絶望、だと?」

「そう、“黒の絶望”。今は正しく名のままに、しかし選ばれし者が使えば希望へと転ずる力」

 絶望……本当なの、燐さん?

「俺も聞いたのは初めてだ。けど、どっちでもいいだろぶっちゃけ?」

 確かに。呼び方を変えた所で、この胸に埋まっているのは事実だ。災いなのも……。


「何が災厄だ!希望だ!?巫山戯るのもいい加減にしろ!!」


 ウィルは怒りのままに叫び、上から四天使をねめつけた。

「手前がやっているのはただの手の込んだ大量殺人だ!平和に暮らしていたまーくん達を騙し、自分の意志とは無関係に殺し合わせる。一体何時になったら終わるんだ?彼の心臓が抉り取られる日か?それとも子供を失い我を忘れた“炎の魔女”が全てを焼き尽くした日か?いいや。理想郷なんて聖書の中だけの幻だ。永遠に来る筈が無い」

「そう疑う大多数の存在が迫害と愚かな現実を生むのです。信じる、ただそれだけが何故出来ない?」

「そんな神様を信じるぐらいなら、螻蛄でも崇めた方が数百倍マシだ。少なくとも誰も死なずに済む」おけらって、虫?

「話になりません」

「同意見だ。―――一つだけ答えろ。何故“燐光”の保有者にまーくんを選んだ?おっと、主の御意志とか下らねえ濁しはいらないぞ。俺が聞きたいのはきちんとした理由だ」

「捨て置くに危険な存在だから、お前と同じく。それで充分です」

「危険って、自分からそうしておいてよくも抜け抜けと!!」

 と、ここでようやく自分が指一本動かせない事に気付く。意識があるのを伝えようにも、停止した時間の中では声を出すどころか瞬きすら出来ない。

「どうやら俺達はお呼びじゃなかったらしいな。これも奇跡の為せる技って奴か?―――って、待てよ。この空間で実質奴しか動けねえって事は……!」

 私も燐さんに一瞬遅れて気付く。まさか、あの位置に天使が現れた理由って!!


 駄目!ウィル、早くそこから逃げて!!


 頭の中が焼け付く程強く思うが、肝心の彼には届かない。命の危機にも気付かず、憎々しげに天使を鋭い視線で射抜くばかりだ。

「何故主が先見の目を与えたか、理解出来ますか?」

「何?」

 蒼い髪を優雅に掻き上げる。

「それが生前の罪に相応する罰と判断されたからです。御力を魂の奥底から望んだ時、罪は浄化され、加護も消え去る」

「!!?傷が、見えなくなる……?」

 思わず頬を緩ませかけた彼に、天使は哀れみの微笑を浮かべた。

「けれど、それは最早永久に叶わぬ事。何故ならウィルネスト―――お前の積み重ねた罪は、もうその死でしか償われないからです」

「っ!!?」

 遅蒔きながら気付き、彼は操作盤と刃を交互に見た。

「望むと望まぬとに関わらず、お前は今この時を以って死ぬ。しかし―――しばらく牢獄へは送らないであげましょう。宇宙が正しき方向へ歩むのを、無力な魂の姿で見ているといい」


 ギィッ。ジプリールの白魚のような指が一つのボタンを押すと、時に固定された刃が一度小さく揺れる。


「止めろ!!」止めて!!

「主は寛大な御方です。最後に一度だけチャンスを差し上げましょう。―――お前自身が今この時を以って“信仰者”として生きると宣誓するのです。勿論最初の使命は、その堕教者の後を継ぐ事」硬直したままの美希さんを示す。

「俺の手でまーくんを殺せと?断る!!」

 拒絶した彼は敵から視線をキッパリ外し、正面を向いて目を閉じた。

「殺したいならさっさとやれ!あいつに手を掛けるぐらいなら、手前の思惑に嵌る方が百万倍マシだ!!」

 そんな……何を言ってるのウィルは?自分の命より不死の、それも迷惑しか掛けない私を選ぶなんて……。

 彼はこちらに向かって小声で何かを呟いた。唇の動きを数えるに五文字。しかし形から『さようなら』や『ありがとう』ではなさそうで余計混乱する。

「チッ!んな事言うぐらいなら命乞いでも何でもしやがれ!俺との特訓の話はどうした、あぁ!?」

 暴言を吐く様子を見るに燐さんには伝わったようだ。到底訊ける雰囲気ではないけれど。


「矢張り更正は無理でしたか。では」死刑執行ボタンに指を置く。「さようなら、『華の天使』の息子」





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