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二章 暗中の過去と未来




「ほう。それは大変でしたね」


 パタパタパタ……。薄力粉を振るいながら、先週のアイゼンハーク家での事件の話をすると、隣の聖樹さんは白眉を動かして驚いた。慣れない作業でシンクを粉まみれにする私と違い、お菓子作りのプロフェッショナルはいとも簡単に卵の白身からふわふわのメレンゲを作り出す。

「ウィルは言わないんですか、外での事?」

「はい、一切。精々『疲れた』ぐらいです」

 返事を聞いて不思議な気がした。幾ら凄惨な出来事が多いとは言え、唯一の家族に何も話さないなんて。

「プルーブルーの時から、ですか?」

「いえ……あの時は確か、そこに座って数日うわ言を」主の定位置の寝椅子を指差す。「しかし生憎、事件の内容はよく存じ上げません」

 もしかして心配掛けたくないのかな?だとしたら、私がこうしてあれこれ教えるのは迷惑……?正直にそう言うと、口髭を上げて笑われた。

「?」

「心配は要りません誠様。実は私、別に情報源があるのです」泡立て器を置き、立てた人差し指を口元へ当てる。「御主人様達には内緒ですよ?」

「え、ええ。と言う事は、もしかしてさっきのオルテカでの話も既に」

「ふふふ……どうでしょう?」

 意地悪に微笑み、そろそろいいでしょう、卵黄を入れますね、ボウルに入れて再び混ぜ始める。因みに今日作っているのは苺のショートケーキ。私の弟、オリオールのリクエストだ。

 続いて振るった薄力粉を三分の一入れ、さっくりゴムベラを動かす。

「ああ、でも」

「でも?」

「誠様の事は毎日のように言っておられますよ、御主人様」

「?私、ですか?」

 何だろう?活発な弟と違って、記憶喪失の私がそう話題になるとは思えない。

 困惑気味の私を見て、聖樹さんはククッと笑う。

「ええ。朝も出掛ける間際まで心配していましたから」

 彼は双子の弟のエルに呼ばれ、今日一日聖族政府に行っている。何でも白鳩調査団に関する報告業務が溜まっていて、団長のウィルが直接行って書類を書かないといけないらしい。本人は初めての事らしいが、秘書の美希さんが手伝ってくれるそうだし大丈夫だろう。

「あの慌て様と言ったら、天地が引っ繰り返ったかと思いましたよ」

 恥ずかしい話だけど、朝食の準備の最中、久々に気を失った。取り皿を置いてキッチンへ戻ろうとした瞬間、景色がくらっとしたのは覚えている。原因は言うまでも無く貧血。目が覚めた時、既に家主の姿は消えていた。

 寝椅子の上の私へオリオールが言うには、輸血するために慌てて政府館へ遅刻の電話をしてくれたらしい。しかしエルに『なるべく短時間で終わるよう僕と美希で協力するから先に来て。その方が後でゆっくり治療に専念出来るだろう?』と説得され、渋々出掛けたそうだ。

「私とケーキを作っていると知ったら、きっと驚くでしょうね」

「オリオール、ちゃんと苺摘めたかな―――あ、噂をすれば」


 バタンッ!「ただいま!!」


 蒼髪の元気少年の両手には、真っ赤に熟れた苺が一杯に乗った木製の網籠。キッチンへ走り込み、わざわざ背伸びして私達に見せる。

「わあ、沢山摘んできたね。うん……甘い匂い」

「どれも綺麗ですね。流石はオリオール様」

 聖樹さんは籠の中に手を入れ、つぶつぶだらけの円錐を幾つか裏返して傷みが無いか確認した。

「えへへ。まだ半分以上青かったから、まだ他にも色々作れるね」

 小屋の脇の畑で育てられた赤い果実を、弟は先に三粒洗った。内一粒は執事へ渡し、もう一粒を私の口の中へ。「はい、兄様」噛むと芳醇な甘さと酸味が溢れた。

「美味しい!」最後の一つを頬張りながらにっこり笑う。

「これなら素晴らしいショートケーキになりますね。ありがとうございます」

「どう致しまして。今は何してるの?」

 興味深々にボウルの中身を覗き込む。

「ケーキの土台を作っている所だよ。やってみる?」

「うん!」

 私は残った薄力粉を数回に分けてボウルへ、入れる度に弟にヘラで混ぜるよう頼む。

「あくまでさっくりですよ。混ぜ過ぎると上手く膨らみません」

「こ、こうかな?」

「右のダマを均して下さい。―――そうそう。とても初めてとは思えません」

 褒められ、上機嫌でサッサッサッ。慣れてきたのか手付きに迷いが無い。

「それぐらいでいいでしょう。溶かしバターを入れますね」

 予熱されたオーブンの中で温められた黄色い油脂が混ぜられた。独特の芳香が付いた生地を円形の型に流し込み、トントン!余分な空気を抜くために数回落とす。最後にヘラで平らに均し、上の気泡を潰した。

「後は焼くだけです。ふふ、これなら上手くふわふわになってくれるでしょう」

 天板の上に生地を乗せ、今まで数百回スイーツを作ってきた歴戦のオーブン内へ。

「さて。焼いている間、私達は少し休憩としましょう。スポンジが冷めたら生クリームと苺でデコレーションです」

「はい」

 道具を洗って片付け、一度リビングへ。寝椅子に腰掛けてオーブンからの甘い匂いを嗅ぎつつ、聖樹さんの淹れてくれたホットミルクを啜る。ウィルの物に比べると甘さ控えめだけど、シナモンが効いてて身体が温まった。

「誠様がこの森にいらしてから、早一ヶ月以上になりますね。どうでしょう、ここは?」紅茶カップを持った聖樹さんが、背凭れに手を置いて尋ねた。

「とても良い所だと思います。あらゆる生命の氣が真っ直ぐで、清浄で、穏やかで。歪んだ所が一つもありません。村の人達も優しくしてくれます」

「空気が澄んでて、水も綺麗で最高だよ。おまけに毎日色んなお菓子が食べられるしね!」

 育ち盛り(?)の弟は、身体が小さいのに沢山食べる。時折それでも足りなくて、少食な私が残した分までペロリと平らげるぐらいだ。

「喜んで頂けて光栄です。―――では、定住なさる気は?」

「え?」

 ずっと住む?ここに?

「もし宜しければでいいのです。正直、一年中御主人様と二人だけの生活と言うのも味気無い物。誠様達がこれからもいらしてくれるなら主共々、心の底から嬉しいのですが」

 いい、のだろうか?いや「でも、私達には他にやらなくてはならない事が」

 “黒の燐光”。私達の至宝にして永遠の生命の源。何者かに因って奪われた黒ダイヤモンドは、本国に通達が行った現在も未だ見つかっていない。

「そうですか。……では、それが終わった後はどうなさるおつもりです?」

「……」

 先の事など考えていなかった。記憶喪失の身、そんな中使命だけがはっきりしていて……正直、自分がどうすればいいか分からない。唯一、私と共存する小晶 燐さんは帰ってはいけないとハッキリ言ったが。

 この間、同族代表のリュネさんと会って少し話をした。どうやら不死達は多かれ少なかれ外界の六種を嫌っているらしい。でも別れ際、彼女はウィルに頭を下げてこう言った。

『どうか坊ちゃまを宜しくお願いします』

『あ、ああ。勿論そうするさ。だから顔を上げてくれよ、慣れてないんだ、こう言うの』

 過去の迫害が原因で酷い六種嫌いの筈の彼女に何があったのか、詳しくは聞いていない。だけど現の夢化したアイゼンハーク家の中で、彼女に確実な心境の変化が訪れたのは間違い無い。それなら、“黒の星”の他の人達だってきっと、

「有り得ないな」

 二人には聞こえない声で燐さんが呆れ気味に呟いたが、私はそうは思わない。希望は充分ある。

「馬鹿馬鹿しい。奴等が何を代償にのうのうと生き長らえていやがるか知ったら、そんな甘い期待は一発で吹き飛ぶぞ」

 永遠の代価?“黒の燐光”が安全な所に置かれてさえいればいい、と言う話ではないのかな?守護以外にも、彼等は宝に対して何かをしなければいけない?

(違う。今は聖樹さんの質問に答えないと)また貧血かと心配されてしまう。思考を外界へ引き戻した。

「……保留にしておいていいですか?」ダイニングの椅子の上で脚をバタバタさせる弟に目線をやり「オリオールはどうするの?」

「僕は……どっちにしろもう戻れないもん。“都”に帰る資格なんて無い」

 蒼目が不安に揺れる。

「ねえ兄様。“燐光”探しはリュネ様達に任せよう?もう危ないのは嫌でしょ?ここでお兄さん達とずっと……仲良く暮らそうよ、ね?」

 やっぱりそうだ。彼は私を同族の下へ帰したくない。記憶が戻る可能性があるから?それとも宝を守れなかった罰を受けさせたくない一心で?―――ううん、違う。ここまで必死な理由、幼い目に映っているのは―――後悔と、怒り?

「でも、私達が諦めたせいで、もし“燐光”が破壊されたら?被害は私達だけじゃないんだよ。“黒の都”で暮らす何の罪も無い人達が死を取り戻して……耐えられないよ、そんなの」


「ジゴージトクだよ!不死族なんて皆、死んで土に還っちゃえばいいんだ!!」


「え?」

 突然の激昂で呆気に取られた私に、弟は拳を振り上げて更に叫ぶ。

「兄様は優し過ぎる!ずっとあんな酷い事されてたのに、何で!?どうして平気なの!!?」

「オ、オリオール?とにかく落ち着いて。一体何を言っているの?」

 ガンッ!持っていたカップをテーブルに叩き付けるように置き、立ち上がって短い脚で地団駄を踏んだ。

「無駄だよ!兄様に見つけられる訳無いもん!だから止めよう?このまま色んな事件に首を突っ込んでたら、いつか見つかっちゃう」

「?誰に?」

 尋ねた瞬間サッと恐怖に蒼褪め、ピョコン!その場でジャンプで後退した。

「もしかして……不死族の王様?」

 “燐光”が盗まれて、一番困っているのは私達の長の筈。戻った時、無断外出と任務不履行の罰を下すのもきっと、


「!!?ダメ、兄様!!お願いだから思い出さないで!!!」

「待ってオリオール!」


 バタンッ!!衝動的に玄関を飛び出した彼を追って、私も聖樹さんに謝って小屋を出た。




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