二十六章 まどろみの中で
(眠い……)
何故かとてもだるかった。呼吸さえ億劫な暗闇の中、耳に音が入ってくる。
―――さっきはごめんね。
―――藪から棒に何だよ?
―――チューを邪魔したの。
―――はぁっ?
弟と友人が話をしている。でも、何の話?そもそも現実?何だか頭がふわふわして……そうだ。これはきっと夢。
―――アイ・ラブ・ユーなんでしょ?でなきゃ“都”まで来ないよ普通。
―――っな!?子供のくせに……悪かったな。本人には秘密だぞ。
―――?どうして?言えばいいじゃん、エルのお兄さんみたいに。
エル?どうして急に政府館の友人の名前が?
―――駄目だ。これ以上まーくんに負担掛けられない。俺はお前等の隣にいるだけで充分だよ。
―――えー何で?もしかして赤ちゃん欲しいの?
―――アホ。子供ならもうここに一人生意気なのがいるだろうが。
赤ちゃん??ますます話が見えてこない。夢だから支離滅裂なのはしょうがないのかな。
―――あ、そっか。じゃあどうして?男同士だから?でも兄様、道で擦れ違うと二回に一回は『オジョーサン』って言われるよ?
―――だろうな。俺も初めて会った時は危うく見間違えた。―――とにかく内緒だぞ、いいな?
―――はぁい……それぐらい言っちゃえばいいのに。ちぇ、大人って変なの。
弟の不貞腐れた声と同時に、意識がフッと落ちた。暗黒の中で何分経ったのか、今度はしっかり浮上する。
「う……ぅっ……!」
濡れタオルの被さった瞼を開ける。口を開いた途端咽喉が焼け付き、空気が気管を通るだけでも苦しかった。
「まーくん?おい、オリオール!目を覚ましたぞ、早く水!」
「うん!」
私の隣には水が半分入った桶。触ると温い。どうやら気を失っている間、二人がこれで全身に浴びた熱を取ってくれていたようだ。
パタパタッ!友人の立つ入口から、少年が両手にコップを持って駆け込んできた。「はい兄様、お水」
「ありがと……」
ゴクッ、ゴクッ……冷気が熱を中和し、ようやく落ち着いた。
「大丈夫か?」
弟が入ってきた扉を薄く開け、外を見張るウィルが心配そうに言う。
(さっきの話について訊こうかな……ううん、まだ安全な場所じゃないみたいだし、止めておこう)それに多分夢だから、話しても困らせてしまうだけだろう。
「うん。もう平気……私、どの位気絶していたの?」
「四、五時間って所だな。随分魘されてたぞ」
彼の説明に因ると、“黒の都”へ降りて来た私達は運良く誰にも見つからず無人の小屋へ辿り着いた。部屋を見回してみれば、壁にシャベル等の日曜道具類が整然と立て掛けられている。どうやらここは街の共同物置らしい。
でも、何故まだ危険な“都”に留まっているのだろう?燐さん、知ってる?
「お前だよお前。他に無えだろどー考えても。熱波を浴びた直後は体温が五十度近くあったんだぞ。先に熱取らねえと“燐光”がオーバーヒート起こすって俺が忠告したんだよ」
つまり、また私が足手纏いに。
「まぁどっちにしろ、救援の連中と合流するには何処かで時間潰す必要があるだろ?そう落ち込むなよ」
役目を終えた空コップを人差し指と中指でブラブラさせ、オリオールは私の隣へ座った。氣が疲弊していたので、安らぎの奇跡を使い回復させる。
「元気出た?」
「うん。まだ“聖樹の森”まで先は長いもんね。ありがとう」
「ウィルも治すよ。ちょっと待ってて」
少しふらつきつつも立ち上がり、戸口の傍の彼の元へ。再度意識を集中させ、氣を帯びた左手を心臓の前へ翳す。
「―――はい、終わったよ」
「悪い」
僅かに頬を赤く染め、彼は再び常夜の街へ目を向ける。
「今の所、不気味なぐらい“魔女”の追って来てる気配が無いな。さて、どうやって“都”の外の詩野さん達と合流したもんか……向こうもぼちぼち到着する頃だろ?」
街の周囲の“黒の森”は文字通りの危険地帯。避けて入口まで行くには不死の人達の使うメインストリートを通らなければならない。確実に人目を引く私を連れて、だ。
「そうだ!ちょっと乱暴だけどオリオール、元の姿に戻って私達を運んでくれない?」
「一角獣に?うーん……そうだね、皆を振り切るにはそれしか無いかな」
少年はピョンと立ち上がり、人二人は乗せた事無いけど、兄様が軽いから多分大丈夫、と呟いた。
辺りに誰もいないのを確かめ、私達は小屋の外へ出る。
「いい?じゃあいくよ」
弟が小さな両掌をピッタリ合わせ、目をギュッと瞑って意識を集中させ始める。全身が光を帯びて輪郭を徐々に溶かし、人型から額に角持つ馬へと変貌した。
蒼い目と鬣の白馬は首や四本の脚を確かめるように動かし、私達に跨るよう言った。片腕の私をウィルが下で支え、先に跳ね回る尾の側へ乗せてくれる。
「よっと。どうだ坊主、走れるか?久し振りなんだろ?」
「全然平気。振り落とされないようにしっかり掴まっててね」
「ああ」
パカッパカッ。片腕だとやっぱり少し不安定だ。ウィルの背中にしがみ付いてても、時折重心が左右へ振れそうになる。
「―――変だな、誰もいない」
行進時は道端に何十人といた住民達が、今は何故か一人として確認出来ない。
「寝ている時間?」
「ううん。一応時計は外界に合わせてるから、まだ皆起きてる筈だよ」弟が大きく太くなった首を傾げる。「お城への集合にしても、兄様はここにいるのに。おかしいな」
何だか厭な予感がする……人々の氣を探ってみよう。
「警戒しつつ進んでくれ」
「うん」
蹄の音を立てないよう、弟は慎重に通りを歩く。やっぱり変だ。民家の中にも氣が無い―――「あ!」
「どうしたまーくん?急に手を離したりして危ないぞ!」
注意に応えず、私は人差し指でメインストリートの右側を示した。
「あっち。不死族の人達、皆教会前に集まっているみたい」
「?神父様が有り難い説法でもしてんのか?まあ、それなら見つかる心配は無いな。誰もいない今の内に抜けさせて―――」
言葉が途中で止まり、彼は唸りながら口元に手を当てた。
「まーくん、リュネの氣は探れるか?」
「え?えっと、ちょっと待って。もう一回意識を集中させるから……あ、いた。他の人達と一緒に……え?何、これ……?」
「どうしたの兄様?」
オルテカで行動を共にした時とは異なる、本来でない憤怒と恐怖の波動。すぐ傍にもう一人いるが、こちらは治療が必要な程衰弱していた。感じたままを二人に説明すると、
「オリオール、ストップ!」「わわ!」「きゃっ!」
突然の急停止命令。二人と一頭が一瞬前のめりになる。
「ちょっと!転んだら危ないでしょ!?」
「悪い!オリオール、まーくんと先に“都”を出ててくれ!後で必ず追い付く」
タンッ!馬上から飛び降りた団長はそう告げる。
「え!?だ、駄目だよお兄さんがいなきゃ!僕一人で兄様を守れって!?」
「おい糞餓鬼。一応俺もいるぞ」憮然とした口調で燐さんが言った。「あのアマ、しくじったな。まさか手前、助けに行く気か?」
「当たり前だ。このまま見て見ぬ振りしてて処刑されたら、宇宙全体の大損失だぞ?」
単語を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。
「処刑!?ど、どうしてリュネさんが……?」
そう言えばさっきの電話も様子が変だった。約二週間前に別れた時の姿を思い出し、不安で胸が苦しくなる。
「説明は後だ。二人共、“魔女”にはくれぐれも気を付けろよ!」
「あ、待って!!」
背を向けて走り出した彼を追い掛けるため、私は意を決し馬上を飛び降りた。着地は辛うじて成功したが、右腕が無いせいでバランスを崩してしまう。
「きゃっ!」
落ちる!と衝撃に身を硬くした一瞬、不思議な浮遊感に襲われた。「え」トンッ!
「まーくん!?」「兄様!!」
ウィルがUターンし、弟も慌てて子供の姿に戻る。打ったお尻を押さえながら立ち上がり、土を掃いつつ辺りを見回した。―――あ、やっぱり『いる』。
「無茶するな!折れたらどうする!?」
「もー!降りたいならちゃんと言ってよ、兄様の馬鹿ぁっ!!」
二人は全然気付いておらず、私の無茶に対してプンプン怒った。
「ごめん。だけど一人は危ないよ。ウィルは聖族だもの、見つかったら捕まえられちゃう」
「そうだよ!今の状況じゃ泥棒扱いされてもおかしくない」
「……だろうな。神父様は二百パーセント白を切るに決まってるし、ついでで極刑食らわすぐらいはしそうだ」弱々しく首を振り、「けど、まーくん達までいたら余計ややこしくならないか?」
「“燐光”狙いの本物の盗人だもんね、どう見ても。うーん……僕は今の内にお姉さん達の所へ向かった方がいいと思うけど、兄様は違うんだよね?」頷く。「だってさお兄さん。取り敢えず見つからないように行ってみようよ」
「こら、勝手に決めるな……仕方ねえな。但しオリオール、何時でもまーくんと逃げる準備だけはしとけよ」
白鳩調査団長の命令に、私達兄弟は揃って承諾の意を現した。




