二十三章 師の遺志
「つ、疲れた……」
二階から六階までの長い階段を上り終え、膝が若干笑う。横をチラ見すると、俺よりもっと体力の無い誠は左手を手摺りに掛け、常より更に蒼白い顔で蹲っていた。
脚の速い少年と何故か付いて来た不具の建築士は、俺達の到着を待たず先程引き返して行った。閉ざされた城主の部屋の合鍵を取りにだ。
「まーくん?おい、大丈夫か?」
肩に手を置こうとすると、突然纏う雰囲気が変わる。バシッ!黒かった瞳が赤く染まり、俺を睨み付けた。
「触るな」
敵意剥き出しの低音ボイス。そう言えばさっき誠が『出て来ていい』と言ってたな。成程。目付きや表情が鋭いせいか、身体は同一だが男にしか見えない。
「触らずにどう介抱するんだよ?」
そう言って再び手を伸ばす。と、奴は一瞬にして残像と化した。直後、背中に衝撃が走る。
「わっ!!?」手摺りにしがみ付き、危うく落下は免れた。「いきなり何するんだ!?」
振り返ると、右脚を上げて追撃を掛けかけた奴は舌打ちする。
「やっぱ五体満足じゃねえと蹴りの威力も無いか」足首から先をぶらぶら。「つうか手前思った以上に弱えな。こうもあっさり背後取られやがって。あいつが相手だったら瞬殺されてるぞ」
「……確かにな」
今の動きは何だ?早過ぎて全く反応出来なかった。
「弱っちい上にホモ野郎って最低だろ。やっぱ外出たら俺達だけで行こうぜ、なあまーくん?」
「おい、勝手な事を言うな!何様のつもりだ!?」
避ける間も無い。高速で胸倉を掴まれ、呼吸を制限された。
「足手纏いは餓鬼一人で充分だっての。それに手前に倒せる程“炎の魔女”は弱くねえ」
正論だ、真っ当過ぎて眩しいぐらい。
「だったら……戻ったら稽古を付けてくれ」「何?」細い眉が上がる。
「修行はハワード爺さんの時以来だが、石に齧り付いてでもやってやる」剣の鞘を握り締める。「活人剣の極意よりはずっと簡単だ」
「え!?今……ハワード、って言った?」
黒曜の瞳に戻った誠は「きゃっ!?」吃驚して襟から手を放した。燐が出ていた間の記憶は一切無いらしい。
「それに剣……もしかしてウィルがゲイル・ハワードさんの後継者、なの?」
『いつか俺を訪ねて来る奴がいたら、出来るだけ面倒見てやってくれ……』
高齢の師の体調悪化により修行は極意を習得しないまま中断。その臨終の席、老人はうわ言で何度も俺にそう託した。しかしその後何十年経っても待ち人は現れず、今この瞬間まですっかり忘れていた。
「まさか―――まーくんがそう、なのか?」
「聞いていたの?」
「ああ。誰、までは言ってなかったが。どうして最初から言って……そうか、オリオールの奴が隠してたんだな?」
少年は記憶の回復を警戒していた。核心である旅の目的を伏せるのも当然だ。下手をすれば一気に全てを思い出してしまい、母親達の待つ“黒の都”へ帰ると言い出しかねなかった。
「悪気は無かったんだよ?話しても私が混乱すると思って敢えて」
「分かってる。誰もあいつを責めやしないさ」
癖で頭を掻く。
「にしても凄い偶然だな。知らず知らずの内に遺言を遂行してたとは」
「あのお墓、百年以上前の物だった。私がもっと早く出て来ていれば……」細い首を小さく横にする。「でも、そうしてたらウィル達には出会えなかったんだよね」
「思い出してはないんだよな?」
「うん。以前の記憶は全部燐さんが。何か訊きたいなら頼んでみようか?」
「いや、いい」かつてここを師が訪れた事実だけで充分だ。
王の私室の前まで進み、休憩しつつ鍵の到着を待つ事にした。純金のドアノブを手持ち無沙汰にカチャカチャ回す。
「駄目だよウィル、ノブで遊んだら」
「あ、御免。つい」
二人きり、しかもちょっと頭を動かせばキス出来そうな近距離。平常心を保つのは至難の業だ。バクバク鳴る心臓を悟られないよう、俺はわざと右側を向いた。それでも気になって空の袖をちら、と視界の端に捉える。
(いつもと同じ平気な顔しやがって。今も怖いだろうに……)
生きたまま炎で身を焦がされた上、目覚めた時には片手足切断。普通の人間なら気が触れてもおかしくない。肉体が無痛なだけで、喪失感や恐怖は一緒な筈。
(綺麗だな)
気持ち短めに切り揃えられた黒髪は以前より艶やかで、壁のランプの僅かな光に照らされて白い輪が浮かび上がっていた。
「?」
「あ、済まない」無意識に触れた左手を引っ込める。「前よりつやつやしてたから、つい」
「お風呂で毎回トリートメントしてくれるから、かあさま」
一束持ち、毛先を眺める。
「散髪しながら吃驚してた、枝毛が一杯だって。外だと私、入浴に殆ど時間を掛けなかったから」
俺の家でする安物のシャンプーとリンスだけじゃな。保湿しなければ毛先も分かれるだろう。
「手も潤ってる」何時までも触っていたくなるスベスベ感。
「あ、うん。食事の度にハンドクリーム塗ってもらうの。昨日は爪も磨いてもらって」
甘皮処理済みの光る指先を見せてもらう。カラーは塗っていないらしく、爪は貧血特有の青紫色を帯びていた。片腕が治療中とは言え、毎日輸血しててもこうなのか……三日に一度じゃ全然足りなかったんだな、無意識に独り言が出る。
「え?そ、そんな事無いよ!ウィルのお陰でずっと楽に」俯く。「仮令血が足りてて健康でも、皆に会えないなら意味無いよ。ずっと一人きりなぐらいなら、一生貧血とパサパサの髪、カサついた肌でいい」
まだ揺らいでいるかと思いきや決意は固い。エル達の説得と爺の約束が効いたようだ。
「悲しい事言うなよ。折角女の子より綺麗なんだから、外でも手入れすればいい」
「私が、綺麗?」
「ああ」
口説き文句にもならない褒め言葉に、誠は小首を傾げた。可愛い。
「ただいまー!!」
螺旋階段を駆け上がってきた蒼髪の少年は金の鍵束を高々と掲げ、俺達を視界に捉えて?となった。
「あれ、僕、もしかしてお邪魔だった?」
「へ?あ、いや!全然!!さ、時間も無いしさっさと脱出しちまおう!」
俺は慌てて立ち上がり、ズボンを大袈裟にパンパン掃う。
「やっぱり邪魔なんじゃないか。―――兄様、立てる?行くよ」
「うん」
手を貸されて彼も起立し、三人でドアの前へ。
「ワームレイさんはどうしたの?」
「何か王様に頼まれた修理があるとかで、これ渡していなくなっちゃった」
「そう。案内してくれたお礼を言いたかったのに……」
少年から鍵束を受け取り、俺は一際大きな金の鍵を錠に差し込んだ。
カチャン。キィ………。
ドアが開き、あの派手な女王にしては意外と質素な部屋が現れた。ベッドはキングサイズだが、誠の寝室と違って天蓋は付いていない。白木の書き物机。楕円形の鏡付き、大量の化粧品が並べられたドレッサー。向かって左側の壁は全面作り付け巨大クローゼット。窓際には円形のカフェテーブルと、高い背凭れ付き漆黒の椅子。
「お邪魔します……」
馬鹿丁寧に誠が挨拶し、俺達は無人の部屋へ足を踏み入れた。テーブルに置かれた硝子瓶のラベルを見る。晩酌用の金柑酒のようだ。橙色の液体がまだ半分残っている。
「コンピューターは何処だ?」
「あれかな?」誠が指差す書き物机の上には、部屋の雰囲気に似つかわしくないA四サイズのノートパソコンが鎮座していた。辺りを見回してみたが、他にそれらしい機械は無い。
「こんな小さくて薄いので管理してるのか?てっきり壁に埋め込まれてたりするのかと思った」
「ONOFFのスイッチだけみたいだし、大きい必要は無いんじゃない?」少年が得意げにぬかす。そう言う物なのだろうか。
一斉に机へ近付く。閉じたパソコンの右側には古びた写真立てが置かれ―――!?
「これは……!!?」
セピア色の四角い世界で“魔女”の腕に抱かれた子供は、紛れも無くあの夢の坊やだった。




