二十二章 帰宅への標
「じゃあそろそろ切るぞ」
「美希さん、シャーゼさん。気を付けて来て下さいね」
『私達は大丈夫です。誠さん達こそ充分注意して下さい。ね、フィクスさん?』
『ああ……』まだ声が震えている。『死なないでくれ』
「縁起でもない事言わないでよ」
ぶー、と頬を膨らませ、弟は腰に手をやった。
「あ、そうだ。森には絶対近付いちゃ駄目だからね。あそこは捨てられた“死肉喰らい”や食べかすの死体、“都”で処刑されて放り込まれた人達の瘴気ですっごく危険なんだ。一歩でも入ったが最後、怖い怪物達が一斉に襲ってくるからね」
『成程。じゃあ僕等が昔捨てた“泥崩”も何処かに……』
もう一度別れを言い、ウィルが受話器を置いた。
「吃驚した!一体全体どうしちゃったのキューキンドロボー?もしかしてあの日?」
「何でだよ。あいつは男だぞ」
私も驚いた。いつも沈着冷静な彼が人目も憚らず泣くなんて……余程ショックだったのだろうか、私達の失踪が。ウィルの自宅へ来た時の事を聞かされて、益々申し訳ない気持ちで一杯になる。
「皆へ予想以上に心配掛けてたんだね……ごめんなさい」
「だから謝るなって。俺達が勝手にやった事なんだからさ」
「そうだよ。戻ろうにも兄様、昨日まで片脚使えなかったじゃん」
両手を顔の前で広げ、ニカッとおどけて笑う。年相応の無邪気な姿に少し元気が出た。
「今話していたのは誰ですか?」
何時の間に掃除から帰って来ていたのか、ワームレイさんが尋ねる。
「聖族政府にいる俺の弟達。お前等にとっては百七十二条なんてとんでもねえ法律を作った憎っくき敵だ」
「?あぁ、噂には聞いた事が。私は生憎殆ど外界に出ないので情報に疎いのです。何せこの『なり』ですから」
脚の分余計に長い両腕をわざと大きく広げた。椅子から降り、テーブルのポットとカップを掴む。
「さて、如何致します?奥様は早ければ後数時間で戻られますが」
「ねえウィル。聖樹さんに電話したら?」私は提案した。「口裏合わせるの、今回は私達も手伝うから」
「!?あ、何だ……知ってたのか」ポリポリ。「そうだな、頼む」
そう言った彼は暗記した番号をプッシュし、やや気恥ずかしげに受話器を耳元へ。
プルルル……ガチャッ。
『はい。どちら様ですか?』
「爺」愛する家族の声に、友人は込み上げる物を呑んだ。「俺だ」
『―――ああ、御主人様でしたか。夜中に突然いなくなったりして、また御友人の所ですか?』
「済まない。急に無事の連絡が入ったんで慌ててた」
『無事?どなたのです?』
「私とオリオールのです、聖樹さん」
次の瞬間、受話器の向こうから息を詰める音が聞こえた。
「ごめんね。実は僕達、親切な人に助けて貰ってたんだ。でも色々あって今まで電話出来なかったの。怒ってる?」
『いいえ。お二人が御無事ならもう何も言う事はありません。――ーところで何時頃お帰りになられますか?それによってスポンジを解凍するタイミングを合わせますので』
「え?」
『お二人が作ったケーキスポンジですよ。あのような大惨事が起きて一度は凍らせたものの、もう二度と取り出さないと思っていたのですが……あ、ですが苺はまた新鮮な物を摘んできて下さいね。生クリームもきちんと一から泡立て直して。ね、御主人様?』
「ああ」苦笑。「はっきりした時間はまだ分からないな。確定したらまた掛けるよ」
『お二人が世話になった方です―――幾ら嬉しくても失礼の無いように』
全てを見透かしたような発言にビクッ、友人は一瞬身体を痙攣させた。
「あ、ああ勿論。何なら一緒にワルツを踊ってもいい」“魔女”と?確かに彼女、ダンスは結構得意そう。
「あんなヘロヘロのステップしか踏めないのに?」弟がゲラゲラ笑う。
『ふふ、そう言えばそうでしたね』
「見てたのかよ!?」
三人のやり取りに思わずクスリ。最早懐かしいとすら感じる落ち着いた声。早く“碧の星”へ帰って直接顔を見たい。この数日間心配させてしまった事に対して謝罪しないと。
不意に真剣な顔をしたウィルは、受話器を持つ手に不自然な力を籠めた。「爺……ごめん」欺瞞に唇を舐め、眉を顰めて唾を飲む。「本当は」
『あ、済みません御主人様。今お婆さんが家に来ているのです。誠に勝手ながら切らせて頂いて宜しいですか?』
「あ、ああ勿論構わないさ。来客中に突然電話して悪かった。じゃあな」
『はい――――どうか、御無事で』
カチャン。
「今の……もしかしてバレてる?」弟は小さな口元に手を当て、明らかに動揺するウィルを見上げて言った。
「ま、まさか。エルの奴が余計な事を言ってない限りは大丈夫だろ……」自分に言い聞かせるように震えた声を出す。
ふと隣で興味津々に覗き込む建築士に視線を移し、その右手を見て吃驚した!
「ワームレイさん。そのポット」
「?ああ、綺麗でしょう?最近奥様が馴染みの骨董屋で入手された物でして」
左手のカップを掲げる。ポットとは別セットのようだ。よく見ると数箇所が割れ、外側から接着剤でくっつけられていた。
「このカップのセットも同じ店で購入された物なのですが、坊ちゃまが行方不明になられた日にトレーごと取り落として粉々に。これだけ損傷が軽かったので、こうして修繕して私が貰い受けました」
「そのティーセット、外界で私が選んだ物なんです。その店で働く友人に頼まれて、環紗の骨董市で」
まさか母が天宝商店の客だったなんて。そう言えばアイザ、監禁された時その人に助けられたって……そんな優しい女性が大量殺人?矢張り二重人格過ぎる。
「ほう。道理で素晴らしい逸品だと思いました。これのお陰で奥様もようやく前の破片を捨てる決心が着いたようですよ」
ポットを振り、最後の一杯を注ぎ淹れる。
「アイザが選んだセット、よっぽど大事にしていたんですね」
「ええ。坊ちゃまとのティータイムで使うのを、毎日とても楽しみにしておられました。ですから大切な物を同時に失くされた時の奥様のショックと言ったら……」骨の浮いた首を横に振る。
「耳貸すなよまーくん。同情したら終わりだぞ」頭の中で燐さんが警告した。「口では何とでも言えるが、こいつも所詮不死族だ。全面的な味方じゃねえ」
勿論分かってはいる。だけど……。
リリリリイィン!リリリリイィン!
「おや、内線とは珍しい。一体誰でしょうか?」
「俺が取るよ」
一番近いウィルが手を伸ばす。ガチャッ。「はい。こちら城」
『ウィルベルク!?良かった、無事だったのね……』
「リュネ!どうして」
『由香が知らせに来てくれたのよ。あなた、ジュリトの所へ二度も間違い電話したんですって?』
「ああ、お前にどうしても訊きたい事があって」
『セキュリティの解除方法―――やっぱり罠だったのね。現状は?』
「最悪だ。唯一開いた窓は神父様の日曜大工で見事に閉ざされ、他は全部ロック済み。幸いまーくん達は自力で移動出来る程度に回復しているが、総合的には宜しくないな」
『達……あの少年も一緒なの?とっくに殺されたとばかり……』
「兄様が匿ってくれたからね。それよりリュネ様、さっきは研究所にいなかったみたいだけど?」
『今もそうよ。訳あって靭の家に潜伏しているわ』
「え?」彼女は不死族の代表者だ。決して隠れるような地位の人ではない。「ど、どう言う事ですか?“都”で一体何が起こって」
『坊ちゃまはお気になさらないで下さい。―――ウィルベルク、手短に説明するわ。城の最上階、王の私室に全セキュリティを管理するコンピューターがあるの。パソコンの操作経験は?』
「エルならともかく、ある訳無いだろ」
『でしょうね。だけど安心して。必要な行動は幾つかボタンを押すだけよ。メモは取れる?』
「ちょっと待って下さい」
ポケットからペン付きの手帳を取り出し、受話器と交換でウィルに手渡す。一番後ろの白紙ページを開け、左掌の上へ。
「―――よし、OKだ。ゆっくりな」
『流石に電源の入れ方ぐらいは知っているわよね?……表示モニターの右下。画面が点灯すると、システムが自動的に立ち上がるようになっているわ。マウスで『全解除』をクリック。パスワード入力画面に切り替わるから打ち込んで。それでロックが外れる』
説明に渋面しっ放しのウィル。本当に一度も触った事が無いようだ。
「私達、少しは分かるかも。ね、オリオール?」
「へ?」
「うん。僕等、プルーブルーで四おじさんにチャットの仕方を教えて貰ったんだ。大体一緒だよね、リュネ様?」
『基本的な操作が出来れば問題無いわ』溜息。『と言うよりウィルベルク。これ以上無いぐらい簡単な操作なのよ?王と同列、或いはそれ以下だわ』
「本気で使わねえんだから仕方ないだろ。じゃあ二人共頼む」ポリポリ、照れ臭そうに頭を掻く。「まさかこんな場所でパソコンスキルが必要だとは思わなかった」
『いい?パスワードは―――W、I、LL、N、E、S、T。Willnestよ。間違えないで』
綴りの途中でメモを取る手が一瞬止まった。
「お兄さんの名前と似てるね。王様の大切な人?」
『さあ?私は命令通りプログラムを組んだだけよ。だけど設定前に絶対忘れない言葉をと頼んだから、王にとっては大事な単語の筈』
恋人、かな?結婚しているなら一緒に住んでいるだろうし。
『っ!』突然、受話器の向こうで詰めた吐息が聞こえた。『ごめんなさい、切るわ。誰か玄関前に来たみたい』
「ありがとうございますリュネさん。必ず脱出しますから、今度は直接会いましょう。約束、してくれますか?」
『勿論です、坊ちゃま』力強い返事。
「そうだ。数時間後に私達の仲間が“都”の近くまで迎えに来るんです。皆さんに拘束しないよう言っておいてもらえませんか?」
『分かりました。次に靭が戻って来たら伝えさせます。問題はジュリトだけど……いいえ。坊ちゃまは何も心配なさらないで下さい。ウィルベルク』
「ああ、そっちも無理するなよ。お前に何かあったらエルが悲しむ。技術方面以外でもな」
『へ……変な事を言わないで!?切るわよ!!』
ガチャンッ!「わっ!?」音が思ったより大きかったので、思わず耳から離した。




