十三章 謁見
―――坊ちゃま!!
一人や二人の声ではない。煉瓦の壁が明らかに一瞬震えた。
「な、何が始まるんだ?」
「静かに」
「さ、坊ちゃま。こちらの椅子にお掛け下さい」神父の猫撫で声。奴がこんな声音を使う相手を、俺は宇宙で一人だけ知っている。
「今日も冷えますね。私が編んだ膝掛けで御座います。どうぞお召しになって下さい」
「咽喉が渇いたでしょう?お茶もお持ちしますね」
「これ、今朝焼いたクッキーです。お兄ちゃんの口に合えばいいんだけど……」お、さっきの女の子の声だ。緊張で幾分震えている。
「―――あ、あの」「っ……!」予想していたとは言え、一瞬息が止まった。
「どうなさいました、坊ちゃま?」穏やかな神父の声。「御気分でも悪いのですか?」
途端にしん、となった場の中で、誠はぽつぽつと話し始める。
「み、皆さんはその……どうして、こうやってわざわざ集まって来たのですか?お仕事や家事や、他にも色々と御用があるのでは……?」
「あぁ……!」
生きていた!矢張り生きていた!!叶う事なら今すぐ閉ざされたドアを壊し、不安で震える細い身体をこの手で抱き締め、もう大丈夫だ安心しろとキスしてやりたい。湧き起こる激しい衝動を押さえつつ、会話の続きを待った。
「坊ちゃまがいらっしゃるからですよ」
「え?」
「当たり前ではないですか」「どうしたんです?」「行進が始まってから、不思議な事ばかり話される」「まだ体調が思わしくないのですか?」
不死達の心配の声に、彼は辛そうに息を吐き出した。
「……済みません」
「そんな!坊ちゃまが謝られることはありません」「どうぞお顔を上げて下さい」「はい、坊ちゃま。これをお飲みになって元気を取り戻して下さい」
もう我慢出来ない。鍵穴から祭壇を覗くと、先程まで置かれていなかった黒壇の長椅子の側面が見えた。それに優雅ながらも何処かぎこちなく腰を下ろす誠。その身は一国の王女もかくやの素敵な白いドレスに包まれ、黒髪には真珠と金銀宝石の簪。そして彼の足元にはドアを全開に教会の外まで傅く約三百人の不死族達。まるで映画のワンシーンのような光景だ。
「ありがとうございます。では、頂きますね」
持ったままだったクッキーを咀嚼し、それから差し出されたカップを受け取って傾ける。衆人環視の中、取っ手を持つ左手は緊張でプルプルしていた。(ん?)変だな。誠は右利きだ。なのにさっきから一度も使おうとしない。怪我でもしているのか?
「さっきの続きを話してよ、お兄ちゃん」由香が催促する。「ライネスおじさんがどうしたの?」
「え……ええ。そうでした」
六百の眼に、折れそうな肩が硬直する。
「皆さん、落ち着いて聞いて下さいね。ヘイトさんは……約一ヶ月前、シャバムで亡くなったんです。詩野 美佐さんと言う、人間の女性の方と一緒に……」
そうか。彼の死亡をここの住民達はまだ知らないのか。確かに新聞報道にも名前は載っていないし無理はない。
「彼は私に力を貸してくれたんです。なのに……助けられなかった」
理性を失い同族でさえ見境無く襲って来たが、少なくとも奴の詩野姉妹に対する行動には愛情が見受けられた。そんな相手を救えなかった後悔は、彼には到底及ばないが俺にもある。もし速やかに本国に運びきちんと治療を受けていたら、ひょっとしたら今頃は、
「私達は彼を救えず、結局殺してしまいました。済みません、大切な仲間の一員だったのに……」
「違う!」
「ウィルベルク?」
思わず小声で反論した俺を、リュネが吃驚した目で見た。
「あ、済まん。だけど……!」
あれは仕方の無い事だった。なのに、まさか剣を向けてもいない彼が罪の意識に苛まれていたとは!
「――――?」
(は………?)何だ、今のは?聞き間違いか?
「な、にを言っているのですか……?」唇を震わせ、誠が俺の疑問を代弁する。
「ですから―――『殺す』とは何ですか?」
俺達の頭が真っ白な中、会話は続く。
「命を、奪う事です……死んで動かなくなって、魂は天に」
「凄いですね坊ちゃま。そんな御伽噺、何時作られたんです?」
オトギバナシ、だって?こいつ等、普通に見えて全員トチ狂ってるのか?
「いいえ。彼等なりに坊ちゃまに話を合わせているつもりなのよ。―――何せ“黒の都”には『死』と言う概念が無いもの」
リュネの説明を聞いても益々混乱するばかりだ。死が、無い?だから殺人も?意味が分からん。
「坊ちゃま、どうなさいました?」「お加減が悪いのですか?」
「いえ……大丈夫です」
目尻に涙を溜めながら、彼は悲痛な笑みを浮かべた。
「ベッドの中で作ったのですが、矢張り変ですよね?“都”にいないヘイトさんにも悪いですし」
「とんでもありません!」
「坊ちゃまに話題にして頂けるなんて、ライネスは何と幸運な男なのでしょう!」
何処がだ!?あぁ、とうとう涙が……。様子の変化に気付き、大の大人共が目に見えてオロオロし始める。
カタン。頬に流れる物もそのままに、突然彼は立ち上がった。
「坊ちゃま、どうかなされましたか?」
「ジュリトさん……あのドアの向こうには誰か?」
「ええ、客人がお休み中です」
休みってここ、懺悔室だぞ?何言ってんだこの神父様。
布靴の音がし、鍵穴越し一杯に彼の胸元が見える。細かく綺麗な刺繍が全面に入っている。予想よりも遥かに高級そうだ。
「……帰って」啜り泣きながら彼は訴える。「お願いだから……帰ってよ」
「嫌だ」殆ど吐息で返事をした。
自分では気付いていないだろうけど、
「俺は帰らない」
今のお前は翼の折れた天使だ。
「坊ちゃま。彼は寝ているのです。どうかそっとしておいて下さい」
辛くて、苦しくて、寒くて……もう立つ力さえ残されていないのに、それでも無理して笑顔を見せる天使だ。鼓動が止まる最後の瞬間すら、望まれれば誰かに捧げてしまうんだろう。だから、
「帰る時はお前と一緒だ」
攫って行こう。仮令悪魔と罵られようと。




