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九章 希は咲く



「―――ウィル」


 儚い美声に目を見開いた。血塗れの誠が見覚えのある高級ベッドに、座った俺が隣にいる。腕全体は血塗れだったが、半分近く切った筈の傷は既に癒えていた。

(コンシュ家で血を与えた後?まさか、覚えている筈が……)

 いや。仮令記憶は無くても薄れゆく意識の中、半ば抜け出しかけた魂が見ていたのかもしれない。

「大丈夫だよ。もうすぐ良くなるからね」

 自分の血で汚れた手で俺の頬を優しく撫でる。一時的に戻った体温はとても心地良かった。

「ごめんね……そして、ありがとう」

 指に力が篭った。

「いたらいけないのかもしれないけど……私、この居場所を守っていきたい。オリオール、エル、アイザ、リーズ、ケルフ……ウィルや聖樹さんがいる世界を。皆がずっと笑顔でいられるように」

 純粋でささやかな、余りにも美しい望み。それは宿った魂と同じく硝子のように脆く、けれど気高く光輝いていた。

「だから生きて、傍でもっと色々な事を教えて……お願い」

 自分の苦痛も忘れ、脂汗を流しながら氣を強くする。

 死にかけの身体が内側から熱くなる。新たな意志を持つ血―――彼の祝福を受けた清流が、滾々と全身の細胞から湧き出す。

(……ああ、そうだ)

 忘れる所だった。この夜から俺は、自分であって自分でない者になっていた事を。

(シャーゼの言う通りだ。腐っている場合じゃねえ)

 死ぬ気はとっくに失せている。今はただ誠の意思の巡る身体が、堪らなく愛おしかった。




 ガキッ!「な……!?」


 驚愕の声を上げる神父を正面に、今度は俺が打ち合わせた剣を押し返した。

「っ!何処にそんな力が!?」

「悪いな。神父様がどれぐらいの物か見る為にわざと手加減してた」

 活人剣、師に唯一教わった剣技。これまでは小手先のテクニックで使いこなしていると錯覚していたが、今はっきりと分かった。こいつの極意は文字通り、人が活きる意志。どんな時もひたむきに、強く、真っ直ぐにだ。それさえあれば些細な型の違いなど関係無かった。そして、やっと手にした俺の剣はそう易々と折られない。

「あと、生憎俺は『死ねない』んだ」

 己を、仲間を活かす。手の内の者達全てを守る、強さの片鱗でも俺にあるなら。

「この身体をこれ以上傷付けさせる訳にもいかないしな」

(爺さん、やっとあんたの一番言いたかった事が分かった) 

 大切な者のために力を尽くし限界を突破する。その先の未来は、信じるまでもない―――頭上の優しい月のような穏やかな光だ。

 改めて自身の構えを取り、口を開いた。

「決闘には名乗りが付き物だろ?俺はウィルベルク、純血聖族にして白鳩調査団団長。そして」

 ヤバ、少し気恥ずかしいな。でも、まあいいか。


「奇跡使い、小晶 誠を護る者だ!」


 うわ、言っちゃったよ。深夜だし、誰もいないだろうな……?ま、仮令聞かれてても、徹頭徹尾その通りなんだから弁解は要らないが。


「……これはこれは……まだ期待は持てるかもしれませんね」


 何が可笑しいのか口の端を上げ、敵も一対の剣を構え直す。

「では私も久し振りに本気を出しましょう。ところで前は名乗りましたか?―――まあ減る物でもありません。私はジュリト・マーキス。遠き昔は悪魔祓いとして生きていた事もあります。そして今は」

 ザッ。互いに一歩前へ踏み出す。


「不死族、“信仰者”ジュリト・マーキスです」


 来る―――!


 ヒュッ!


 奴の長剣の切っ先が真っ直ぐ喉笛を狙ってくる。だがそれは短剣を当てるためのフェイントだ。冷静に半歩後ろに下がって避け、迫る逆手を蹴り上げようとした。ガンッ!寸前で向こうも蹴りを繰り出し阻止する。


「はあっ!!」「はっ!」キンッ!キィインッ!!


 何度か打ち合いが続くが、双方有効打には届かない。こうなると体調が万全でない俺が圧倒的に不利だ。

(ちっ、流石に強いぞ……)人間より遥かに長き年月の経験か、双剣のコンボは完璧だ。そう簡単には崩れそうもない。(だが、甘い!)


「天破、早雲!!」


 剣から解放された力は、これまでの自分とは比べ物にならない程圧倒的だった。先端から吹き上がった突風は、周りのしなやかな樹々が束の間頭を垂れるぐらい強い。嵐にも似た中でも神父は何とか耐えていたが、風が止む寸前。撒き上がる砂埃に負けて思わず瞼を閉じた。死合の場にあっては決して見逃せない大きな隙。


「終わりだっ!!」「くっ!」カンッ……カラン。


 跳ね飛ばされた二つの剣は、持ち主の後方三メートルに落下した。「勝負あったな」剣先を相手の喉に突きつけ宣言する。

「そのようですね……ははあ、中々面白い試合でした」ニッコリ。「ところで、そろそろその物騒な物を下ろしてはもらえませんか?首を落としても死なないのは、あなたもよく御存知の筈ですが?」

 やっぱり環紗では見張ってやがったのか。道理で翌日には嘘が真実になり、目出度く白鳩が誕生した訳だ。となると、大方ラキスも『そう』なんだろうな。つまり不死族はある時点から『なっちまう』物で……上司のエルは知ってるのか?

「断る。有耶無耶の内に無効にされるかもしれないからな」

「まさか。今のはあなたの勝ちですよ」

「本当に?」

「本当ですとも」

「マジで?」

「マジですとも」

 充分警戒しながら剣を下ろすと、奴は礼を言って愛剣達を拾い上げた。ポケットから白い絹のハンカチを取り出して刀身を清め、鞘に戻す。

「さて、では行きましょうか」

「は?」

「早くしないと最終便が出てしまいます」

「お前、俺を殺しに来たんじゃないのか?」

「まさか―――手を下すのは私の役目ではありませんよ」

 不可思議で物騒な事を呟き、死者は手を伸ばした。


「付いて来て頂けますね?」




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