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やまない雨がやむまでは

 物心ついたときから、私は自分の生まれた家に特別の愛着を持っていた。それはきっと私だけの珍妙な性癖というわけではなく、誰しもが心のどこかに必ず持っているものだろうと思う。百人いたら百人が納得するような説明はできないが、それでも自分が住む家は世界で一番くつろげる場所だ。もちろん人によって感じ方の違いはあるだろう。しかし、少なくとも数年前までの私はそれを確信していた。

 家を埋め尽くす道具と商売の匂いに触れながら、私は育った。いついかなるときも、ふと目を向けた先には何かしらの道具があり、店先からはそろばんを弾く音が昼と夜となく聞こえていた。

 家族が衣食住をともにする家は、一階の約半分が店舗として開かれており、そこに大小さまざまな道具がところ狭しと並べられていた。人里唯一の道具屋だけあって客入りは多く、頻繁に入れ替わる店の空気はいつも新鮮だった。

 典型的な店舗兼住宅だったわけだが、そこにはっきりとした公私の境目はなかった。店先からは奥の茶の間を見通すことができ、常連客が上がりこんで茶の一杯をごちそうになっていくことなどさほど珍しくはなかった。きまぐれに私がひょいと顔を出せば、大抵顔見知りの一人や二人と目が合う。里の人たちは私のことを本当の子どものように可愛がってくれ、そのたびに私の心はじんわりと温かい気分になるのだった。そんな生活がずっと続いていくものだと、当時の私は信じて疑わなかった。

 霖之助とは、そのころからの顔見知りだった。彼は私が生まれるよりも前に香霖堂を開いたそうだが、やはりというべきか経営はうまくいっておらず、暇さえあれば店に顔を出していた。私を含めた家族もそんな彼を温かく出迎え、本当の家族同然に接していた。私からすれば、霖之助は年の離れた兄のような存在なのだ。

 霖之助はよく私と遊んでくれた。両親はその仕事がら、得意先に出払うことが多かったため、私はよく一人で留守番をさせられた。そんなときに来てくれたのが霖之助だ。彼は子どもが喜ぶような遊びさえ知らなかったものの、よく両親の昔話を私に語って聞かせてくれた。ときには眠くなった私にヘタクソな子守唄を歌ってくれたこともあった。それを聞いた私は余計に目が覚めてしまったのだが、霖之助があまりにも一生懸命に歌うものだから(その気合の入れ方からしてすでにどこか間違っているが)、私は必死で眠った振りをした。当の彼は覚えていないだろうが、私にとってはいい思い出だ。

 私が店の道具に興味を持ち始めたのは六歳のころだった。きっかけなんて覚えていないが、きっと理屈を越えた何かを私は道具から感じ取ったのではないかと思う。記憶が曖昧だからこそ好き放題に言えるのが思い出の強みだ。

 元々私は外で活発に遊ぶタイプではなかったため、道具での一人遊びにはすぐ順応した。遊び方は日によって違い、目にしたものを手当たり次第に亀の子だわしでこすることもあれば、万年筆と木づちのカップルをめでたくゴールインさせたこともあった。普通なら人形でするようなままごと遊びを、私は家にごまんとあふれる道具で代用したのだ。

 ときが経つにつれて、私はこの道具遊びにのめりこむようになっていった。遊び方のバリエーションにも応用が加わり、稚拙ながらストーリー性も生まれるようになった。ちょっと一筋縄ではいかないような癖のある役者を畳の舞台で踊らせるのが楽しくて仕方なかった。一度始めればときを忘れて没頭してしまうほど、私はその遊びのとりこになっていた。

 そんな私を霖之助は「ガラクタ城のお姫様」と呼んだ。大勢の道具を引き連れて闊歩する姿が、まるで王族のようだったのだという。いまにしてみれば何のこっちゃなのだが、当時の私はその二つ名の「姫」という部分をいたく気に入った。何だかわからないが姫というのはとてもきらびやかで、暗いところでもひとりでに光を放っているようなイメージがあって、その言葉は幼い子どもを得意げにするのに十分な魅力を持っていた。

 いま思えば恥ずかしい話だ。とても人に話して聞かせられるものではない。

 そんなわけで、私の幼少時代を語るにおいてどうしても切り離せないのがくだんの道具なのだが、その道具はほとんどが親父の手製だった。

 親父が丹精込めてこしらえた道具を、母が店先で売る。完璧に区分けされたこれらの分業によって、我が家の商売は成り立っていた。

 母は笑顔の似合う人だった。いつも口元に上品な笑みを浮かべていて、とても私の母親とは思えないような浮世離れしたオーラをまとっていた。実は妖精の国出身だと言われても半分以上信じてしまえるくらいだ。おそらく店に来る客の三分の一は母親目当てだったのだろうと思う。手前味噌な話だが、母はかなりの美人だ。カタブツな親父の妻にしておくのが、もったいないとさえ思えるほどに。

 いつも優しげだった母とは対照的に、親父は本当に笑わない人だった。まさにいまを生きる職人といった風情で、口数も極端に少ない。必要なことさえ黙して語らず、無言で突き通すような頑固一徹人間だった。

 親父は食事や風呂に入るとき以外はめったに自分の作業場を離れなかった。いつも何かを作るか直すかしており、そのため私の記憶に残る親父の姿はいつも後ろ姿だった。作業場で一心に工具を振るう親父の背中はいつだっておのが仕事にのみ誠実で、他の何ものも親父の前では石ころ同然だった。

 その石ころであるところの私が親父と話すことも、やはり少なかった。変なところで分をわきまえていた私は、ただ自分の父親だからという理由では親父に甘えることができなかったのである。そこらの犬猫と変わらない視点から見上げた親父は私よりもずっと大きく、また遠い存在のように思えた。

 そんな不思議な歯車で、私たち家族は噛み合っていた。

 しかしそんな私にも、親父との時間を共有した思い出があった。

 それはどこそこの家庭なら当たり前に繰り返されている日常なのだろうが、それでも私にとっては唯一の宝といえる大切なエピソードだった。

 いまでも鮮明に思い出せる。

 私に訪れた八回目の夏は、きっといつまでも、色あせることを知らないのだろう。



 店の裏手にある縁側で、私はぼんやりと日に当たっていた。垂れ下がったすだれに切り刻まれた夏の日差しが、床や畳のあちこちに散らばっている。どこか遠くでセミの鳴く声がしていた。

 ときおり風が吹いて、熱した空気をどこかへ運び去っていく。ちっとも涼しくはならなかったが、そのたびに聞こえる風鈴の音が私の心を癒してくれた。

 店の中にいるのは、私と霖之助だけだった。両親はいつもの出張サービスで家を空けており、代わりとして霖之助が店番を務めている。しかしながらこんな夏の日の午後に外を歩こうと思う者は少ないらしく、店先から聞こえる声はぽつぽつとまばらだった。

 私は空を見上げる。

 そのままの姿勢でじっと待ってみたが、視界を横切るのはせわしなく翼を動かす鳥ばかりで、それ以上の何かが通ることはなかった。どうやら妖精もきょうばかりは木陰で休みたいようだった。

 妖精探しを諦めて、私は立ち上がった。散らされた日光のかけらを小さい足で踏みつけながら、茶の間に向かう。

 薄暗い茶の間を早足で抜けると、店の入り口はすぐそこだった。

 霖之助は店先の机に座っていたが、奥から出てきた私に気づく様子もない。よく見ると、彼はゆっくりと船をこいでいるのだった。ずり落ちた眼鏡が隙だらけで、いまならどんないたずらをしても見咎められることはなさそうだった。もちろん、私にそんなことをしている暇はない。なぜ私がわざわざ店先に出てきたのかといえば、目ぼしい道具を見繕うためなのだから。

 並べられた道具の中から大皿とすずりとガラス瓶と絵筆を素早く選び取って、私は茶の間にとんぼ返りする。手にした戦利品を卓袱台ちゃぶだいに並べて、さあきょうは何して遊ぼうかと気合十分に腕まくりをする。

 道具自体がシンプルなつくりをしているだけに、その遊び方は無限大だ。同じ道具で何日も遊び倒すことができる汎用性を、この小さな役者たちは身の内に秘めている。

 大まかな遊び方を頭の中に組み立て、私はまず絵筆を手に取った。そこで、ふと筆に銘打たれた文字に目がいった。

 霧雨店。丁寧な筆致で、確かにそう書かれている。

 その文字を見て、これらの道具はすべて親父が作ったものなのだということがいまさらのように思い出された。

 また、思い出すにつれて、親父がどのようにこれらの道具を作っているのかという興味がむくむくと持ち上がってきた。

 私が知っていたのは親父が道具を作っていることと、その結果である完成品の姿だけだ。自然の素材が親父の手を経てどのように作り変えられていくのかを、私は知らなかった。

 確かめてみようと思った。

 いま親父は出かけていて、その作業を見せてもらうことはできないが、たとえ帰ってきてから頼んだとしても相手にしてくれないだろう。しかし、せめて作業場だけでも見学することができれば、何かわかることがあるかもしれない。

 霖之助は店先から夢の世界に旅立っている。事実上、私は家に一人だ。

 つまり、これはチャンスなのだ。

 思い立ってからそれを行動に移すまでのタイムラグは、ほとんどゼロに等しかった。限りある時間を無駄にしないためにも、私は早足で家の奥にある作業場へと向かった。



 身の丈の倍もあるような木の引き戸を、力いっぱい開ける。建てつけの悪い扉は一定以上の力がかかるとあっさり横にずれた。敷居の部分に目を落とすと、細かい木屑きくずがこここそ我が領地とばかりに陣取っていた。

 親父の作業場は薄暗い茶の間よりもっと暗かった。風通しがいいせいもあってか、いっそ涼しいくらいだ。

 引き戸から一段低くなった場所に石造りの床があり、足をつけるとひんやりした冷たさが伝わってきた。足音さえ石に吸い込まれて、その場所は一切の物音がしなかった。

 辺りを見回す。

 切りかけの板、のこぎり、木屑、金づち、差し金、木屑、木屑、墨壺すみつぼ

 様々な道具が、見たことのあるものもないものもごっちゃになって置かれていた。それまで親父の背中に隠されていたものが、いまでは触り放題なのだ。まさに夢の空間だった。

 私は夢中で親父の作業場を散策した。どれもこれも目新しいものばかりで、ここであんな道具やこんな道具が作られているのだと思うだけで心が躍った。時間も忘れてのめりこんだ。

 その没頭こそが間違いだった。

「何してる」

 凍りついた。

 しばしは石像のようにその場を動けなかった。

 一度止まった心臓が、その遅れを取り戻すように早鐘を打ち始めた。いやな汗が体中から噴き出し、その一滴が背中を伝い落ちた。

 見つかった。

 やらかした。

 もうダメだ。

 そんな焦りと諦めの感情が現れては消え、ついには嵐のように渦を巻き始める。何万倍にも引き伸ばされた一秒を費やして、私は後ろを振り返る。

 腕組みをした親父が、遥かな高みから私を見下ろしていた。そのあまりな圧力に、私は押しつぶされて本当の石ころになってしまうかと思った。

「何してる、と聞いたんだ」

 親父は、もう一度同じ問いを繰り返した。その表情は怒っているようにこそ見えなかったが、到底喜んでいるといえるものでもなかった。

「ぁ……わ、わた……」

 ともかく、何かを口にしなければいけないと思った。必死で言いわけを探した。しかし口から出てきたのは蚊の鳴くような情けない音だけだった。きっとこの部屋のどこにも、親父を満足させる言いわけは落ちていないのだと思った。

 しばし、沈黙が続いた。

 永遠とも思える数秒の後に口を開いたのは、親父だった。

「俺の仕事が見たいのか」

 初めは、親父が何を言ったのか理解できなかった。

 それでもその言葉を噛みしめるうちに、親父が私に助け舟を出したのだとようやくわかった。たとえ親父にその気がなくとも、私にとっての救いの言葉は、間違いなくその一言だった。

 私は夢中で頷いた。振りすぎた首が痛みを訴えるほどに頷いた。

「そうか」

 親父はそれだけ言って、作業をするための丸太イスに腰を下ろした。

「危ないから、少し離れていろ」

 後はただ、何を言うでもなく、一心に道具作りへと精魂を傾けていた。

 それは私が生まれて初めて目にした、親父が道具作りをする正面像だった。

 私は、親父がその手で道具を作る様を食い入るように見つめた。何でもなかった板切れや鉄くずが、親父の手にかかればあっという間に立派な道具へと生まれ変わってしまう。親父は別に何かを隠しているわけではなく、私からもよく見える位置で手を動かしているだけだ。なのに、私はどうしても親父の手の中で起きていることを理解できなかった。

 作られた道具は次から次へと親父の脇に積み重なっていく。そのほとんどが、かつては何の役にも立たなかったものだ。それがいまでは、立派な役目を与えられて人の役に立つそのときを待っている。

 まるで、魔法のようだと思った。

 霧雨魔理沙の原点が、そこにあった。



 それから二年後のことだった。

 酷い喧嘩をした。

 ——魔法の勉強がしたい。

 そんな私の主張を、親父は頭から突っぱねた。

 何度も何度も、しまいには頭まで下げて頼み込んだ。しかし、結局私の願いが聞き入れられることはなかった。

 カッとなって、私は親父に汚い言葉をぶつけた。感情に任せて、責任のない暴言を言いたい放題に撒き散らした。このクソ親父、なんてまだ可愛いほうだ。もっと醜悪で陰湿な言葉の暴力が、そこにはあった。

 親父は私の怒りに徹頭徹尾耳を傾け続けていた。私がどんなに酷いことを言っても、ただの一言さえ言い返しては来なかった。私が秘めていた思いをすべて吐き出し終わると、親父は最後に短く告げた。

「出て行け」

 取りつくしまもない、とはこのことだった。

 無我夢中で家を飛び出した。外は大雨だったが、構うことではなかった。見えない何かを目指すように、見えない何かから逃げるように、私は走り続けた。

 母は私を止めなかった。家を出る寸前、いまにも泣き出しそうな顔をして、ただ私を見つめるだけだった。

 ぬかるんだ地面も田んぼのあぜ道も無視して、とにかく私は地面を蹴った。棒になった脚が腐って折れてしまっても走るつもりだった。ときが経つほどに息は切れて、私の身体は濡れたボロ雑巾のようになっていく。行くあてなんてなかったし、どこに着けばこの逃避行が終わるのかはわからなかった。

 どれだけ走ったのだろう。

 意識が途切れがちになり、私は知らない森の中でついに崩れ落ちた。激しい雨音にかき消されがちな自分の鼓動が、それでもうるさく脈を打つ。こんな惨めな姿になりながら、しかし私は生きているのだと教えてくれる音だった。

 倒れたままでしばらく荒い息をついていると、徐々に体力が戻ってきた。横になったままでは、もしかすれば荒っぽい妖怪に食べられてしまうかもしれない。思い直して、私はゆっくりと立ち上がった。

 雨水が目にしみる。ぼやけた視界に映る森は、どこを探しても人影がなかった。家族の温もりや絆をすべて断ち切ってたどり着いたこの場所は、こんなにも孤独だった。

 私は空を見上げる。

 かつて妖精を探した空は灰色に濁り、鳥の一羽さえ飛んではいなかった。

 ひとりだった。

 寂しかった。

 でも、戻れなかった。

 私をつらい現実から守り続けていた魔法はすっかり解けてしまい、ガラクタ城のお姫様は外れた歯車を抱えて歩き出すしかなかった。

「…………」

 ここで泣いたら負けだ、と思った。

 ——それでも、せめてこの雨がやむまでは。

 少しばかりの涙を、許してほしかった。

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