氷上先生の授業~My best friend~
「皆さん、今週は私が授業をしますね」
実習生も見学ばかりではない。実際に授業を担当して教師としての実感を得てもらうのだ。習うより慣れろってやつかな。僕も最初はかなり緊張したが、氷上先生はというと、いつも通りニコニコしながら授業を始める。なかなかに肝が座っているな。
「教科書を開いて下さい。今日はマケドニアについての授業をします」
さて、氷上先生の人生初の授業はどうなることやら。
――
「このような中で前338年のカイロネイアの戦いが起きました。この戦いにマケドニアが勝利し、ギリシャあのポリス社会はその支配下に入りました。ここまでで質問はありますか?」
上手いな、本当に塾講師の経験はないのか? 実習生という立場ながら氷上先生はそつなく授業を進める。正直教師れき二年の僕よりも授業進行はうまいんじゃないかと思う。逆に僕のほうが学ぶことが沢山ありそうだ。今回の教育実習は氷上先生にとっても、僕にとっても有意義なものになったと思う。
生徒たちの反応はというと、実習生の授業ということもあるのだろうか、生徒達もいつもに比べて真剣に板書を写しているように見える。欲を言えば僕の時もそれぐらいちゃんと授業を聞いて欲しいな……。
普段寝ている奴も起きてるし、なんつうか僕が自信をなくしてきたぞ。
「はいっ!」
おおっ、珍しいこともあるものだ。普段は手を上げないような奴も一斉に手を挙げる。何故か男子生徒ばかり手を挙げている気がするのは気のせいか?
「えっと、宮田君」
教卓におかれている席順表をチラッと見て先生は言う。
「スイマセン、ぼく三浦です……」
一つずれていたようだ。非常に優秀だがこう抜けていたり、ブラコンだったりが氷上先生の魅力なのだろう。
「あっ、ゴメンナサイ! 三浦君、質問は何かな?」
「先生に彼氏はいるんですかぁ?」
「待てぇえい!! その質問は授業と1シーベルトも関係ねえだろうが!!?」
後ろから思わず突っ込んでしまう。つーかこの質問前もどっかで聞いたことあるぞ? 見ると男性陣が頷いている。どうやら全員同じ質問だったようだ。
「え~と、いませんよ」
『FOOOOOOOO!!』
発狂しました狂喜乱舞。キモッ! コイツらのリアクションキモッ! 見てよ女性陣みんなドン引いてるよ……。
『キモッ……』
ほら、ぼくと同じ反応するじゃん。あーあ、今クラス内の男子と女子の間に消せない亀裂が生まれたぞ……。普通こういうのは文化祭やら体育祭やらで生まれるもんだろうが……。いいのか? 下手したら氷上先生女子に命ねらわれることになるぞ。
「でも好きな人はいます」
『ざまああああああああ!!』
女性陣の心からのざまあ段幕が生まれる。男性陣とは言うと、
『……』
オールハートブロークン!!
「他に質問はありませんか? それじゃあ授業を再開しますね」
質問はもうなかった。まぁ質問しなくても理解できるってぐらい彼女の授業は良い授業ってことでもあるんだけどね。
――
「どうでしたか? 初めてだったんで足りないことばかりでしたけど……」
今日一日の授業が終わり、職員室へ戻る道中、氷上先生は不安そうに聞いてきた。
「そうかな? 正直僕よりも進行は上手かったと思うよ。生徒達も真剣に聞いていたのが何よりの証拠だよ」
事前の準備をキッチリしていたことが吉とでたのだろう。重要なポイントはマーカーを引かせるのではなく、関連する情報と上手く連結させ教えた。それに何より彼女の一番の武器は自分の目で歴史を見てきたということだ。特に歴史の建造物や舞台となった地域に関してはツアーコンダクターのように、実際にその場にいると思わせるような説明をする。汐見教授の研究についていったこともあり、普段はお目にかかれないような資料もふんだんに使った実に楽しい授業を展開していった。汐見先生には弟子を取るようで悪いが、彼女は学校で教鞭をとる仕事が天職なようだ。
「南雲先生がそう言われるのならそうなんでしょうね。ふふ、なんか自信出てきました」
笑いながら答える。本当にこの人はいい先生になることは間違いない。ただ、
「マー君!!」
「ね、姉ちゃん人が見てる……」
これでも初期に比べると幾分かましになったほうだが、相変わらず弟が絡むと一気にだめ人間になってしまう。何かあるたびに氷上弟がぼくの家に来るんで、そろそろ落ち着いて欲しいところだ。全く、麻酔銃を毎回撃つほうの気持ちにもなって欲しいな。
撃つのは姉さんだったりするんだけど。
――
「あれ、三琴じゃない! まさかここで会うなんてどうしたの?」
「あっ! ひょっとしてユリ?」
廊下で意外な組み合わせを発見する。片方は教育実習でこの学校に来た氷上三琴。もう一人はカナヅチ達に水泳指導にやってきた波多野さん。
「あれ? 二人とも知り合い?」 あまりにも変わったコンビだったため思わず聞いてしまう。
「ああ、南雲先生。ユリとは高校のときの友人なんです」
ユリって言うのは波多野さんのことだろうな。波多野ユリって名前なんだ。確かこの学校のOGとは聞いていたけど。
「三琴、南雲先生と知り合いなの?」
意外そうな顔で聞いてくる。
「あれ? 言ってなかったっけ? 私教育実習で帰ってきてるのよ。ユリこそ何で崎高に?」
「本当に教師になるんだ……。私は出張指導。ほら、生徒会選挙かで水泳大会ってあるじゃんか」
「まあ会長候補三人とも泳げませんでした。ってことで波多野さんに来てもらってるんだ」
明らかにインストラクターの仕事の範囲を超えている気がしないでもないが、今回の件はほとんどボランティアだからな。ご協力心から感謝します。
「南雲先生、三琴の授業ってどんな感じですか? ちゃんと先生やってますか?」
「ちょっとユリ、やめてよ」
波多野さんは興味津々といった感じに聞いてくる。
「氷上先生は良い先生になりますよ。現職教師が言うんだから間違いないです」
生徒だってオタクな見た目の男性教師より、笑顔が素敵なかわい子ちゃんの方に教えて貰いたいはずだ。僕だってそうする。
「へ~、買いかぶり過ぎじゃないです?」
「ユリ! いい加減起こるよ!」
「わぁ! 逃げろ~!」
プールの外の波多野さんって何か新鮮だな。思ってたよりフランクな人らしい。
何となくだけど、二人の過ごした高校生活が分かった気がする。友達なんていつか終わりが来る。だからfriendの最後はendだなんてカッコつけた厨二ワードがあるけど、この二人なら幾つになってもずっと友達でいれるだろう。そういや今度クラスの奴の結婚式があるんだっけな。みんな元気しているのかな?
「どうされました? なんか面白いものを見つけたみたいな顔してますけど」
油断して頬が緩んでいたらしい。面白いもの、ね。
「いや、二人とも仲良いなって思ってさ」
「仲良いですよ! なんたって幼稚園からの付き合いですからね」
「大声で言わないでよ! 恥ずかしいじゃない……」
とか言いつつも氷上先生は嬉しそうだ。本当に二人とも仲が良いんだな。見ている側も微笑ましくなる。
――
家に帰った僕は、届けられていた結婚式の招待状をみる。高校の時に同じクラスだった奴だ。六月の花嫁、ジューンブライドねえ。この国には梅雨があるってのによくやるよ。
「しかし本当に結婚するとはねえ……」
新郎24歳、新婦31歳という世間から見るとそれなりに年の離れたカップルだ。まあそれもそのはず、新婦は実は僕らが在籍していた時期にいた養護教諭だったりするのだ。懐かしい思い出が走馬灯みたいに駆け巡る。
「なんつうか、あれだなぁ……」 お見せできないような妄想が頭を支配する。保険室ってだけでイケナイ考えをしてしまう自分を恨む。
「教師と生徒、か」
ふと頭の中に彼女の顔が浮かぶ。
「世間的にはアウトだよなぁ」
いくら本人らが好き合っていても、それだけでは解決しないものだってあるのだ。
『合格じゃな』
「何が合格だったんだろ、あれ」




