たまには2年生の教室も~History is man's roman~
さて、高校の社会科の先生には余り専門性がない。というのも、僕みたいに1年生相手には現社を教えているが、実のところ2年生からの世界史のほうが専門だったりする。そのため、意外と僕が授業を受け持つクラスが多い。1年の現社は2クラスをのぞいて僕が担当し、世界史のほうは2年生の3クラスと3年の2クラスを担当している。特に3年次は受験ということもあり、教科書をしつつ、色んな大学の過去問やセンター試験の問題をしたり、補習もしているのでなかなかに大変だったりするのだ。救いとしては、3年次になると日本史をメインに学ぶ人が増えるため、2クラス同時にやることが出来て時間を省略できるのはいいかもしれない。
「というわけで、受験では日本史を選んでくれ。そしたら僕も楽できる。さて、今日は文明の誕生のとこだな。それじゃあ入野、世界の4大文明と言われている文明を答えなさい」
「え、えっと……、黄河文明、メソポタミア文明、インダス文明、エジプト文明……です」
当てられた入野は、消え入りそうな回答をする。別に間違えちゃないんだから自信持ちゃあ良いのに。
「はい、そうだね。歴史の教科書じゃそうなってんだけど、実際のところは4大文明なんて言うものは言っちゃいけないんだよね。や、入野は合っているから泣きそうな顔しないで!! これはこの国の教育の悪いところなんだよなぁ。君らは悪くないんだけどね……、さてここでクエスチョン! どうして4大文明なんていわないほうが歴史学的にはよろしくないのか? ちと難しいけど分かる人はいるかな? 分かる人は挙手!」
まあ知らなくても入試やテストでは何とかなるんだけどなぁ……。分かる人はいるのかな?
「はいっ! はいはいはーい!!」
「香取、はいは一回でよろしい」
「理名ちゃんって呼んで!」
「理名ちゃん、答えは?」
彼女が小学校のときの呼び方なんだが、今なおその呼び方で呼んでほしいみたいだ。まあ僕からしても彼女は香取理名ではなく福家理名のままだしね。
「その4つを代表格にする理由が分からないからよ! 例えばインカとかアンデスの文明だってあるし、川にこだわるのなら長江文明が黄河文明より先に栄えているのよ! どう、こう先生? 間違っているかしら?」
一周して爽やかなぐらいのドヤ顔で聞いてくる。
「おみそれしました。正解者に拍手!」
「へっへー!」
自慢げに笑う。しかし理名ちゃんは世界史に詳しいみたいだな。この前も仏教的なことをペラペラ喋っていたし。世界史同好会でも作ってみようかな?
「……」
嘘ですよ、伊織さん。僕は生涯天文部顧問だよ。転勤しない限り。
「……」
せめて僕が卒業するまでは転勤するなって言ってるように見えます。以心伝心千里眼何でもお見通しです。
「さっき理名ちゃんが言った通り、文明ってのは別にこの四つだけじゃない。指摘してもらったインカ文明やアンデス文明に長江文明ってのもあるし、実は日本にも文明があったかもしれないって説もある。それも下手すりゃあ世界最古って土器が出てきたんだ。それがこれ。青森県の大平山元Ⅰ遺跡って所から発掘された無紋土器の写真なんだけど、学者たちの中では、1万6500年も前に作られた土器と言われている。ぶっちゃけると世界最古って言ってもいいんだ。その割にドマイナーなのが悲しいが、縄文時代が始まったのが1万3000年前と言われているから、相当すごい発見ってことはみんなも理解できると思うんだ。それに最近は与那国島の海底遺跡も……」
「先生、脱線してますよ?」
伊織に言われて気づく、クラスのほとんどが白い目でこっちを見ていた。少数派というと、興味深そうにメモをとっている理名ちゃんと、アハハと苦笑いしている伊織と、
「ぐぅ……」
堂々と最前列で寝ていた神楽という見知った面子だった。
「ははは、メンゴメンゴ、ついついオタク魂に火がついちゃってね。話が脱線してしまったな。4大文明についてはさっき言った理由で僕は試験には出さないけど、ほかの人のテストや入試……でこんな簡単な問題出るかは分からないけど、聞かれたらメソポタミア、エジプト、インダス、黄河って答えたほうが無難だからなー。んじゃ、再開しますかね……。まず最初はメソポタミア文明をするぞー」
一般に歴史教師は脱線しやすいとは言うが、僕もその一人のようだ。
――
「今日も平常運転でしたね」
「うるへー、僕はこの国の歴史教育が嫌いなんだよ。時間が許すなら、あの後ずっと大平山元Ⅰ遺跡と海底遺跡のロマンについて語れる自信があったんだけどな」
「それはそれは、またぜひともお聞かせ願いたいものですね」
放課後の天文部の部室でのやり取り。いつものように伊織がお茶を淹れ、他愛のない会話を繰り返す。僕にだけ許された至福の時間だ。
「あのですねー、私のこと忘れてません?」
後ろから不機嫌な声がかかる。そうだった、このクラブに一人部員が入ったんだった。
「完璧忘れてましたよね!? ずっと部室にいたのに何この扱い!? 驚きの白さ!?」
新入部員の山本が食って掛かる。
「いや、だって会話にも混じらず基本的に神話の本ばっか見てるから、最近はオブジェ的に思えてきたというか……」
「あんたらがイチャコライチャコラ外野の入りにくい空気作ってるからですよ!! 私じゃなかったら居場所がなくなって退部ルートまっしぐらですよ!!」
「イチャコライチャコラとは何だ、これが僕らの日常なんだよ。なあ伊織」
「ふふっ、そうですね、先生」
プッツンッ
「あーもう、爆発してくれませんかねえ! 今すぐビッグバンを起こして爆発してくれませんかねえ!? この部室が小宇宙になりませんかねえ!?」
プッツンモード突入!!
「まあまあ、山本さん、お茶でもどうぞ」
プッツンモードの山本を宥めるように、伊織は紅茶とエクレアを持ってくる。伊織がエクレアを手放すなんてよほどだぞ。
「こんなので収まるわけ、ほえー」
お茶を飲んでトリップしちゃいました。何を飲ませたんだ?
「ストレスとかに聞くただのお茶です。エクレアとセットでより幸せですよ?」
いや、ただのお茶じゃあれだけトリップしないと思うんだけど……。
「ただのお茶です」
「……」
「ただのお茶です」
これ以上何を言ってもRPGの村人Aみたいになりそうだったので、
「ただのお茶ですね」
思考するのを停止しました。
――
「ほえー。って私は一体!?」
「起きたか、顔をきれいにして早く帰りなさいよ」
「顔を?」
「気づいてないのか。鏡でも見てみなさい」
「ふぇ? ってなんじゃこりゃああああああああああああああああああああ!!」
「早く帰りなさいよー。お母さんが心配しているぞー」
――
「あ、山本忘れてた」
「こう君どうかした?」
「いや。ちょっと忘れ物してたなあって……」