彼女は僕の嫁?~Iori is my daughter~
国内、いや世界規模でもその名を知らないものはいないとまで言われるASOUグループ総帥麻生伝助。彼の息子達のうち、三男の麻生利治はいくつもの会社を経営し、またその気さくな性格で親しまれておいる。麻生伝助の後を継ぎ総裁になるのは彼だと言われてる。妻の麻生千鶴は元トップアイドルという肩書きを持ち、年齢不詳ながら非常に若々しい容姿をしている。芸能界は結婚とともに引退したものの、今なお根強い人気を持ち、女性向け雑誌が行った理想のママさんランキングでは殿堂入りを果たした。
そんな麻生一族の中でもエリート中のエリートといわれるこの家族の一人娘がこそが麻生伊織である。父親譲りの聡明さを持ち、変にお嬢様ぶらないため友達も多い。さらに母親そっくりとまで言われる儚くも愛らしさの残る容姿を持つ。この学校を代表するといってもいい美少女だ。そして僕の嫁らしい。らしいというのは、飽くまで第三者判断による結果なので当事者がどう思ってるかは無視されている。
普通に暮らしていたら、お近づきになるどころかそもそも関わることは無いだろう。しかし僕はどういう巡り会わせか教師と生徒という関係で彼女と知り合ってしまった。
――
「準備ってのは大人がやるもんだからさ、ゆっくりしてから来て良かったんだぞ? 別に手伝う必要なんか無いのに」
「いえいえ、こういうのは素直に受け取っておきましょう。それに僕も好きでやってるんだから良いんですよ」
「まあそういうなら良いけどさ。この1年間で僕は伊織の性格をそれなりに把握しているつもりだし、こういうときの伊織は強情だからな」
「僕も先生の性格を把握してますよ。ちょっと強めに出たらその後は何も言わなくなりますしね。諦めが早いというかなんと言うか……」
「円滑に物事を動かしたいってことにしといてくれ」
「ふふ、そういうことにしておきますね」
「分かればよろしい」
僕と彼女のいつものやり取り。伊織が隣にいることが当たり前になりすぎたからだろうか、時々彼女が日本一の令嬢という事を忘れてしまう。部室で僕とゲームをする彼女はそこらへんにいる負けず嫌いな少女だし、野球を見て白熱している彼女はお嬢様なんて肩書きよりも野球ファンという肩書きのほうが似合うだろう。今もこうやってスーパーから食材を買って帰る姿は、友達の誕生日の準備を楽しみにしている普通の女の子でしかない。まったく僕も贅沢なご身分なこった。なんたって誰もがうらやむ伊織の色んな一面を知っているんだからな。
「どうしたんですか? ニヤついちゃって。何か面白い事でも思い出しましたか?」
思わずニヤけていたようだ。引き締まれ、僕の頬筋。
「いや、僕って何気に凄いなーって思ったりしたわけだよ。ふふっ」
「こういう時は何が凄いんですか? って聞くべきなんでしょうが、なんか癪なので聞いてあげません」
「え~、聞きたくない? 後悔しない?」
「しませんよ。多分聞いたところで何か世界が変わるわけじゃありませんし、今の先生の顔を見ていると聞く気も失せちゃいますよ。世間一般ではその顔ドヤ顔っていうんですよね? 鏡見たら分かりますけど、多分その顔されたら先生だってグーが飛んじゃうレベルですよ」
そんなにひどい顔していたのか……。気をつけよう。
「で、何が凄いんですか? 可愛そうなんで聞いてあげます。その代わり、アントワネットでごゆっくりと聞かせてもらいますよ。勿論、王様は先生もちですよ?」
やめときます。二千円払って生徒にどうでもいいような話をするほど僕も落ちぶれちゃいない。
「やだなあ、冗談ですよ。イッツアハンガリアンジョーク」
ハンガリアンジョークって流行ってんのか?
「Ez egy vicc Magyarországon」
ハンガリー語!?
――
「なあ、伊織。僕と君って周りからしたらどう見られてんのかな?」
ふと峰子さんに言われた事が頭をよぎる。峰子さんは伊織は僕の嫁って言ってたけど、もしかしたら他の人もそう思ってるのかもしれない。
「急にどうしましたか? 僕と先生の関係って言ったら生徒と教師でしょうに。それ以上でもそれ以下でもないと思いますよ? あ、でも他の先生に比べたらだいぶ仲が良い方だとは思うし、クラスの誰よりも一緒にいる時間が長いよね……。やっぱりそれ以上はあるんじゃないでしょうか? 少なくともただの生徒と教師の関係って言うには少しばかり仲が良すぎる気もしますし。別に嫌ってわけじゃないですよ? ご存知でしょうけど僕は先生の事好きですし」
好き。その言葉にはlikeとlove意味がある。親愛か恋愛か。
そして僕は、彼女の言う好きがそのどちらの意味か分からないほど愚かじゃない。
「その好きってのは僕なりに解釈しちゃっていいんだろ?」
「ええ。さすが先生、よく分かっておられますね。別にlikeでもloveでもお好きなように捉えて頂いて結構ですよ。まあ僕はそこそこ気が長い方なんで、いつでも来ていただいても構いませんよ? 何なら今だって……」
「ま、前向きに考えとくよ」
「先生、それって後ろ向きに考えるって意味ですよ?」
二人しておかしくなって笑う。過去から姉さんがやってきたり、僕のファーストキスの相手が帰ってきたり、挙句の果てには決闘の人質にされたりと日常が目まぐるしくトンでもな方向にフルスロットルだが、少なくとも彼女といる時間は変わることなく緩やかに流れる。そこには駆け引きも何も無い、ちょっとばかりセレブリティな日常。一歩間違えたら非日常かもしれないけど、それでもこの時間が僕には心地いい。このままずっと緩やかに過ごすのも悪くないかもしれない。
「伊織」
「はい? どうしました?」
「悪い、やっぱり何でもないや」
いつか言えるのだろうか。伊織は僕の嫁って。