入学前夜~Stille vor dem Sturm ~
「お帰りなさい! ねえこう君、ご飯にする、お風呂にする? それとも……た・か・し?」
「ただいま。たかしを選んだらどうなるの?」
「愛と勇気だけが友達のあんぱんがやってくるよ?」
「なるほど、柳瀬さんですか。ご飯にするよ」
「そこは私って言ってほしかったなあ」
「選択肢に無かったじゃん。ゆえに選ぶ必要は無い」
「ちぇ。選択肢の奴隷になっても知らないよ?」
なんですか、選択肢の奴隷って。
「今日のメニューはケチャップ大好きお姉ちゃん大好きこう君のためにトマトをふんだんに使ったメニューをご用意しました! お姉ちゃんの愛情たっぷり美桜ソースオムライスと、野菜をトマトで煮てスープにしてみました! これぞトマト祭りだね!!」
トマトが好き≠ケチャップが好きだとは思うけどな。卵が好きだけどマヨネーズが嫌いって人もいると思うし。僕は好きだからいいんだけどさ。姉さんが期待のまなざしで僕を見つめるので、トマト祭りとやらを口につけることにした。
「おいしい?」
「うん。すっごくおいしい」
毎晩毎晩姉さんの料理を食べれる僕は相当な幸せ物だろう。そんな姉さんもいつかお嫁に行くのだろう。姉さんと結婚する人は果報者なんだろうな。
「だったらこう君は世界一、いや銀河一の幸せ物だね!!」
「僕と結婚する前提で話してませんか!?」
「えっ? 違うの?」
「ちげーよ!! 六法にも書いてただろ、近親婚はこの国では禁止されてんの」
姉さんの華麗なる自滅によってね。
「じゃあ認められている国に行くわよ!! 麻薬が吸いたければアムステルダムに行くじゃない!」
「そうそうないよ、近親婚の認められてる先進国って。日本の従妹同士の結婚でも世界的に見たら緩いみたいだし」
「じゃあ10年後、私はこの国を変えて見せる! 禁断の愛に悩み続ける子羊たちを私は救って見せる!」
都知事が聞いたら失神しそうなことを姉さんはわめいている。
「だからプロポーズは10年待ってて。その間私はどこにも行かない。こう君と私の絆はオリハルコンより硬いのよ。それに指輪も給料三ヶ月ぶんだなんて贅沢言わない。こう君がくれるものだったら私は何でもいいよ。たとえそれが縁日のおもちゃの指輪でも私たちを祝福してくれることには違いないわ!」
どなたか貰ってくれませんかね……? 今なら粗品がついてます。
――
「ねえ、こう君。明日から先生って呼ばなきゃいけないんだよね」
そう、姉さんは明日から高校生だ。本来なら10年前に入学していたのだが、姉さんは自分から好き好んで未来へやってきた。そしてその未来で新たな学生生活を始めようとしている。クラブに入って青春を謳歌するかもしれないし、勉強を頑張っていい大学に進むかもしれない。はたまた運命の出会いを果たすかもしれない。これから姉さんには多くの可能性が待っている。もちろんそれは良いことばかりではないだろう。喜びもあれば悲しみもある。でも僕は姉さんにはずっと笑っていてほしい。見る人を魅了する、天衣無縫なその笑顔を。涙を見るのはもう十分だ。姉さんのために僕が出来ることというと、
「ああ。姉さんは僕の生徒だ」
担任の先生として暖かく見守ることだろう。
「間違ってこう君って言っちゃうかも。ほら、小学校の時とか学校の先生のことをお母さんって間違えて言ったことあるでしょ? 他人相手でも間違えちゃうんだから、実の弟なんてどうぞ間違えてくださいって言ってるようなものじゃない」
声を上げ笑いながら言う。僕もそれに釣られてニヤついてしまう。
「気をつけてよね? それと明日の入学式でくれぐれも目立ってしまわないでね。10年前から来た生徒なんてばれたらどうなるか分からないよ」
もし入学式で仲良くなった生徒が、
「実は俺、10年前から来たんだよねー。HAHAHAHA!!」
なんてぬかしよったらその時点で付き合い方を考えたくなる。しかも姉さんの場合、過去に起きた事件の当事者だ。姉さんの秘密がばれたら日本中がこちらに注目するだろう。タイムマシンの発明、帰ってきた行方不明者……。なんとしてでも姉さんを守り通さないといけないのだ。
「でも入学案内見たら10年前もいた先生なんて一握りだよ?」
そういって姉さんは二つの冊子を見せる。片方の冊子には新しくきれいな校舎と崎校の制服を着た伊織が写っている。今年の入学案内だ。教師陣の項目を見ると僕の名前もあった。相変わらず写真写りはよろしくない。
「そうかな? 写真だけ見たら高校生でも通用しそうだよ?」
あまり童顔なのを好意的に見ていないんだよ。未だに夜遅くに補導されるし、お酒を買うのにも苦労するし。
「写真だと余計若く写るんだよ。だから免許証見せても納得されないことも少なくないよ。で、もう一冊は?」
姉さんが提示したもう一冊の入学案内、そこには改装前の校舎、今と変わらない制服を着ている名も知らぬ少女が笑顔で写っていた。10年前だから今は20代後半か。社会の波にもまれてたとしてもこの笑顔が変わらずに輝いていることを切に願う。でもこの人どっかで見たことあるんだよな……。
「ほら、教師案内のところ見ても同じ人は峰子さん抜いて3人だけだよ。それにテレビで話題になったみたいだけど、そもそもまだ入学していない生徒の顔なんて普通覚えていないって。10年も経ったんだから時効だよ、時効」
姉さんの言うとおり覚えていないのかもしれない。だけど用心することには越したことがない。
「とにかく、余り目立たないように頼むよ」
「うん。気をつける」
これから先のことを不安になっても仕方ない。この話題を半ば強制的に終わらせ、明日の確認に取り掛かることにした。まあ、目立ちさえしなければ大丈夫だろ。そう自分に言い聞かせる。
――
でもそれは甘かったんだ。うちの姉が目立たないわけがなかった。しかも外的要因によって注目を浴びることになるとは……。
「南雲美桜!!! 私はあんたに決闘を申し込むわ!!」
「……、見ないでぇ……」
桜咲く崎校に、過去から来た少女と、嵐を呼ぶ台風少女が再び相見えるとき、物語は加速する。