パンがなければエクレアを食べれば良いじゃない!~Qu’ils mangent de la brioche. J’achetai de la eclair!~
アントワネットは学校から少し離れた商店街の中に位置する。アントワネットと言う名の通り、喫茶店にしては豊富すぎる洋菓子がウリの店である。学校帰りの学生達が屯することも多く、崎校の学生達にも人気の店だ。そしてこのアントワネットには他の店にない名物がある。それが1つ2000円という破格の値段の巨大エクレア、通称王様エクレアだ。エクレアの相場というのは分からないが、2000円のエクレアってのは五個セットとかだろう。しかし、先述の通り王様エクレアは、1つ2000円なのだ。庶民が簡単に手を出せる品物じゃないだろう。
そして王様エクレアの最大の特徴は何と言ってもそのサイズだ。伊達に王様を名乗っちゃいない。普通のエクレアと比べてみたら分かるだろう。3倍ってレベルじゃない。3倍に縁のある赤い人涙目なその偉容は、まさにキングの名に相応しい。キングオブスイーツ。因みに、噂によるとギネス申請中らしい。
「ギネスブックにはエクレアのサイズってカテゴリーが無いので、申請したら通りそうな気がしますけど、実際毎年何万通も申請が来るから新しいカテゴリーが作られるっていうのが結構難しいんですよ」
ギネスブックについての補足有り難う。ついでに王様エクレアを考え直してくれたら、先生とっても嬉しいなって。って伊織、携帯なんか取り出してどうした?
「いえ、お母様に報告をしないといけませんね。部活動ということを良いことに、夜な夜な先生に連れ出されて、さらにはあんなことやこんなことをさせられてお嫁にいけなくなりましたって」
何もしてねえよ!! プラトニックな関係じゃねえか! 生徒と教師!
「前も言いましたが、お母様は、世間はどちらの主張を信じるとお思いですか?」
伊織僕のこと嫌いだろ!!
「嫌いだなんて心外ですよ。僕はむしろ先生の事を慕っていますからね。だからこそ許せないんです。僕のエクレアを食べたことを」
それは悪かったよ! 何回でも謝る! でもな伊織、この世は等価交換が鉄則なんだ。食べたエクレアが1だとしたら、王様エクレアは100だぞ。それはぼったくりじゃないか?
「先生、最初僕になんて言い訳をしましたか?」
言い訳? 確か……。
――
「違うんだ! これはさっき部室に加納先生が押しよってきて、僕の忠告も聞かずに伊織のエクレアを食べたんだ!」
――
「流石に……、人のせいはダメでしょう。尤も、加納先生ならやりかねないからまんまと信じた僕も愚かですしたが、これは先生を戒める意味でもあります。」
何だろう……、信頼って積み重ねるのが大変なくせに、一度崩れたらすぐ壊れるよな。まるでドミノみたいだ。「そういうことで、先生は僕に王様エクレアを提供する義務があります。拒否した場合は……、うふふふ」
ジャンケンした後の愉快なサ○エさんみたいな笑い方でぼかさないで下さい。
というわけで、2000円を生贄に、強制イベントが発生したのであった。
しかしまあ、予定調和というかなんつうか、案の定只で済むわけがなくて、アントワネットに華やかなる嵐が接近していたのだった。
アントワネットについた僕たちは空いているテーブルに案内された。久しぶりにここに来たが、相変わらず学生達の談笑で溢れていた。藤堂先生もここに来たら幾らでも寄り道生徒討伐出来るのに。
「寄り道先生が今目の前にいますけどね」
見回りだよ、見回り。
「ご注文はお決まりですか?」
可愛らしい制服に身を包んだウエイトレスさんが注目を取りに来た。アントワネットの従業員の衣装は可愛い。マスターの趣味らしいが、なかなか良い趣味をされていると褒めてやりたいところだ。
「えーと、僕はミルクココアと、チョコピーナッツバターマフィン。伊織は?」
「私もミルクココアで。それと王様エクレアをお願いします」
その瞬間、店内が静まり返った。そして静かになったのも束の間、
「聞いたか、王様エクレアだとよ」
「遂に奴が来やがるのか」
「アントワネットに嵐が来るわね」
某ギャンブル漫画みたくざわざわしだすギャラリー。それにも気にせず伊織は、
「楽しみだなあ、王様エクレア」
周囲のざわめきなんかどこ吹く風、実に楽しそうにしていた。今の伊織は、普段の深窓の姫君とは違い、お子さまランチを待つ子供がそのまま大きくなったような印象を与える。彼女は好きな物を前にすると少しばかり幼くなるのだ。
「ご注文繰り返させていただきます。ミルクココアが二点、チョコピーナッツバターマフィンが一点、王様エクレアが一点、以上お間違えはございませんか?」
ウエイトレスさんは笑顔以外はマニュアル的な応対をし厨房に戻っていった。やっぱり、働いてる人にゃ王様エクレアがきても驚く事じゃないようだ。それにしても良い笑顔だ。スマイル何円だ?
――
「お待たせ致しました! ごゆっくりどうぞ」
……、話には聞いていたが、これほど圧倒的な存在感を持っていたとはっ!
遂に王様エクレアが降臨なさった。初めて見る実物は、想像以上にボリューミーだった。長さはもちろんの事、記事に挟まれた色とりどりのフルーツ、胸やけを起こすんじゃないか心配になるホイップクリーム、全てがキングズサイズだった。流石に伊織でもコイツは……、
「これが王様エクレア……、凄いおいしそう!」
日本語がおかしくなるぐらい興奮してらっしゃる!!
「ジロジロ見たってあげませんからね?」
結構です。それを食べただけで生活習慣病にかかりそうだから遠慮しておきます。
「「頂きます!」」
挨拶をキッチリとしてアントワネットでの優雅な時間を過ごす。しかし、まあなんつうか、
「先生、これメチャクチャおいしいですよ! 生きてて良かった! 幸せー」
目の前には優雅さの欠片もないモンスターと、崎校優雅キャラ代表だった者によってムードぶち壊しだ。 ほら、ギャラリーもこっちを見ているじゃないか。
「美味しそうに見たってあげませんからね?」
エクレアが美味しそうだから見ているのじゃなくて、エクレアを食べている伊織が珍しいから見てんだよ。
「御馳走様でした」
何と伊織は、王様エクレアを一度も休憩することなく食べ切ってしまった。その時間は10分も経っていない。
「いやあ、至福の時間でした。もう一ついただきましょうか?」
それだけは御勘弁を!!
「先生、美味しかったです。でももう少しボリュームがあっても良かったと思いますよ」
伊織も満足したんで帰ろうかね。そう思って会計を済まそうとしたその時、
「たのもー!!」
勢いよくドアを開けて奴が入ってきた。
「理名ちゃん、道場じゃないんだから普通に入ろうよぅ……、うう……、みないで下さい……」
「恵里佳、こういうのはムードが大事なのよ!」
「間違っても洋菓子屋さんに入るムードでは無いと思うよ……」
本日学校で一大センセーションを巻き起こした渦中の人物がいた。
「香取さんと入野さんですね。アントワネットに何のようでしょうか?」
そりゃあ寛ぎに来たんだろ。香取はこっちに来たばっかだし、入野が街を案内したってとこだろ。
「案外王様エクレアに挑戦かもしれませんよ?」
そんな奴はお前ぐらいだよ。
「マスター! 王様エクレア一丁!」
そんな奴だったよこいつ!!
「へっ? 王様エクレアは今日はもう無い? ついさっきそこにいるお客様が食べたですって?」
マスターの目線の先には、僕らがいた。香取もマスターに倣ってこちらに目線を送る。げっ! 気付かれた!
「一体私の王様エクレアを食べたのはどこのドイツなわけ!? ってあんた同じクラスの麻生さん!?」
「あら、覚えていて下さりましたか。光栄ですわ」
「いや、麻生さんがあんなお化けエクレア食べるわけがないわっ! ってことはそこのあんたね!! よくも私の王様エクレアを!! ってあれ?」
僕に詰め寄ってきた香取は僕の顔を見ると動きを止めた。僕の顔に何かついてるのか?
「あっ、麻生さんと……、南雲先生」
「こんにちわ、入野さん」
あっちはあっちで挨拶を交わす。こっちはというと……、
「ねえ、恵里佳。今何って言った?」
「ふぇ? 麻生さんと南雲先生って言ったんだけど……」
急に振られた入野は、オドオドしながら返答する。そんなに自信無さ気に答えなくても……。しかし、入野の返答は香取に確信を与えたようだ。
「ねえ、間違ってたら悪いんだけど、あなたの名前って、南雲航じゃない?」
っ!なんで僕の名前を!?
「覚えてないか……、無理もないわよね。9年前の話だもの」
香取は急にしおらしくなる。本当にコイツは始業式で嵐を巻き起こしたあのカトリーナか!?
そして僕は思い出す。色褪せてしまっていた大切な思い出を。
「私だよ、福家理名だよ。2年1組の、逆上がりができなくて泣いていた理名だよ。思い出した?こう先生?」
香取理名、いや福家理名。彼女は僕の、初めての生徒だった。