麻生家御令嬢とデート?~Soigne ta droite~
まだ入学式まで来ていないのにこの冗長さ……しばしお待ちを
4月3日 11:30
学校が再会する前の最後の日曜日、僕はショッピングモールに繰り出していた。二日続けて買い物に出かけるのは僕にしては珍しい。基本的に日曜日は出来るだけ惰眠を貪りたいのだ。ちなみに昨日はというと、約束通り姉さんに強引に連れられスーパーで食材を買いだめさせられた。僕としては夕方から半額になるお弁当コーナーで充分こと足りるのだが、姉さんのときたら、
「愛妻料理よ! 愛妻料理! せっかくだからこの本に書いているもの制覇しちゃうわよ!」
と張り切っており、とてもじゃないが半額弁当で済ますのが申し訳なく感じる。
それで今日はというとある物を買いに来ていた。それは姉さんの誕生日プレゼントだ。
「入学式の日が美桜の誕生日なんだから入学祝いも込めて何か買ってやればいい。少しばかりだが軍資金をやろう」
峰子さんにそう言われたのもあるが、何より僕だけもらっていて相手にお返しをしないのは流石に悪いからな。ということでこの休日を利用して、僕はお買い物にきたわけなのだ。
しかし、残念なことに、
「姉さんにプレゼントって何あげりゃあいいんだ?」
と根本的な部分が分からないため、色々苦心しているのだ。下着か? 化粧品か? それとも最新の白衣か? 色々考えてるうちに時間がたってしまって今に至るというわけだ。開店時間からいたんだが、どうも一向に思いつかない。
そんな時だった。助け船がやってきたのは。
「あれ? 先生どうされましたか? 立ち往生しちゃって? 何かお困りですか?」
ここ最近しょっちゅう聞く声がする。この柔らかな物言い、人柄がでているかのような優しい香りは……、
「伊織?」
「はい。麻生ですよ。意外ですね、こんな所で会うとは思いませんでしたよ」
「運命……かな?」
「先生、寝言は寝ていってください」
つれないなぁ……。
「でもまあ確かに珍しいかな。伊織ってここみたいな地域密着型ショッピングモールより、もちっと一般人にゃ敷居が高い店に通ってそうなイメージなんだけどな」 一般庶民には馴染みがあるのだが、伊織みたいなセレブっ子がわざわざ来るまでもないと思うんだけどな。
「先生、それは偏見ですよ? みんなが僕にどんなイメージを持っているか分かった気がします。先生からしたら意外かもしれませんけど、今僕が着ている服って結構安いんですよ?」
安いって言われてもなあ。こういうセレブ系のキャラのテンプレだったらさ、
「お金持ちの安いと庶民の安いの感覚に齟齬があると思うのは僕かね? それでも全部併せて云十万するんじゃないの?」
だった10万円ですよとか言うに違いない。なんだ? もしくはドルか?
「お金持ちに随分と偏ったお考えをお持ちですね……。まあそういう典型的な方もおられるとは思いますが、僕はそのつもりはないですよ。実は今日の服、上下合わせても一万もしないんですよ」
伊織は衝撃的なことを言った。一万もしないだと!?
「そんなに驚かれるとは思ってませんでしたよ。まあ大体七千ぐらいだと思います」
「七千ドルか?」
「そんな高そうに見えますか?」 1ドルを80円ぐらいとすると…五万六千円になるな。しかしまあファションに無頓着な僕でもこれぐらいは分かる。五万六千円もしないだろうというのは。
「だから七千円って言ってるじゃないですか」
「しかし最近は七千円でこれほど見事なお嬢様服が着れるもんなんだな」
「なんでしょうか? お嬢様服って? まあネタバラシしちゃいますと、麻生が新しく衣料品市場に手を出しまして、この服もその店の製品なんですよ。このモールにも店舗がありますから気が向いた時にでも是非とも来てください。メンズも比較的買いやすいお値段になっておりますよ」 そういや前来たとき空いていた場所に服屋出来てたっけな。にしても麻生家はなんでもやってるのな。
「『全ての人に最大級の幸福を』が麻生のモットーですから。これからも色々手をつけるでしょうね。そういえば先生はどうしてこちらに?」
僕は伊織に姉の誕生日のことを話した。女性へのプレゼントを買うんだ。流行に敏感な年頃の伊織なら最近のトレンドが分かるだろうし、何よりこのお嬢様は博識だ。姉にぴったりなプレゼントを提案してくれるに違いない。
「美桜さんはプレゼントの中身より先生からプレゼントされたって事実の方が嬉しいと思いますよ。まあせっかくのたった1人の姉の誕生日なんですから、どうせならいい物をあげたいっていう気持ちは分からなくもないですよ。どうですか? 僕はこれから行きつけの雑貨屋さんに行くつもりだったんで先生もどうですか? ここから少しばかり距離があるんで車で行きますけど」
伊織から予期せぬ提案が来た。別にそこまでしてもらわなくてもいいのに。
「別に先生の為なんかじゃないですよ?」
笑顔で否定された!!
「今流行のツンデレと言う表現をしてみたのですが如何でしたか?」
ゴメン、真顔で言われたからそんな高次元なボケを展開していたとは露にも思わなかったよ。
「まあ雑貨屋さんに行くのも、お母様の誕生日パーティーが近づいて参りまして、そこの雑貨屋さんに特注で作ってもらった物を取りに行こうと思っていたんですよ。そこなら先生が満足するような品物も沢山あると思いますよ」 ふむ……。そこまで言うのならさぞかし品揃えが良いのだろう。しかし何だ。いつまでも伊織の行為に甘え続けるのもお互いにマイナスな気がする。決めたじゃないか! 特定の生徒を贔屓しないって!!
「気持ちは凄い有り難い。でもな伊織、僕とお前は生徒と教師の関係なんだ。いくら学内では仲がいいからって言ってもお前に依存しっぱなしはよくないと思うんだ。世間はな、そういうのを快く思わないんだ。分かって欲しい」
鬼になるんだ、南雲航! それが彼女のためなんだ!
「何か話が飛躍している気がしますけど……。じゃあこういうことにしましょう。私と先生は天文部の備品を買いに行くって。そのついででプレゼント買ったり王様エクレア買ってもらったりということにすれば問題ないですよね」
伊織さん、なに納得されてるんですか?
「つまり、今から雑貨屋さんに備品を買いに行きましょう!」
南雲航、心を鬼にした結果がこれだよ。
「はい、論破」
タケ○プターみたいに論破しないでください。
「どうでもいいですけどあのOPの最後の部分って何がとっても大好きなんですかね?」
そりゃあ……、an○anだろ。
――
「お嬢様、車をお出し致しました。南雲様もお久しぶりです」
「有り難う、本城。さ、先生もお乗りください」
「ああ、お久しぶりです、本城さん」
伊織に促され麻生家の車に乗る。お嬢様ってのはリムジンに乗っているイメージがあったが、伊織を見ているとそうでもないようだ。高級車なのは間違いないだろうけどな。
「リムジンとかってどうも苦手なんですよね。それに今はエコカーの時代ですよ」
恐らくこの車も麻生が関わってるとか言うのだろう。健康食品、衣料品、自動車……、改めてこのお嬢様の一族の凄さをひしひしと感じさせられた。ホント、僕が居て良い世界じゃないよなぁ。薄給の高校教師にゃ普通は縁のない世界だろうに。
「それでは参ります。シートベルトの着用をお忘れなきようお願いします」
本城さんはそう言ってアクセルを踏む。
本城さんっていうのは麻生家執事の本城旭さんのことだ。伊織曰わく、生まれたときから麻生家に使えていたらしい古株とのことだ。見た目は非常に若々しく、知的な印象を与える銀眼鏡や、マニュアル通りとも思えるその振る舞いは当に理想の執事と呼んでも過言ではないだろう。これでもし伊織が御坊ちゃまだったら、一部の趣味趣向をもつお姉さま方のハートを掴んで離さない筈だ。
僕には理解できない世界ではあるが……。
「どうかなさいましたか? 何か考え込んでおられるみたいですけど」
「気にするな。伊織が女の子で良かったねって話だ」
「変な先生」
車内での時間は過ぎていく。流れてくるBGMが余りにも心地よくて睡魔に襲われる。
お休みなさい。
――――
「南雲様、お目覚めください。目的地に到着いたしました」
目を開けると、本城さんが僕を眺めていた。どうやら寝ている間に着いたようだ。見渡してみると伊織の姿が見えない。
「お嬢様は先に行かれました。そのため私が南雲様を起こす役割を承ったわけでございます」
「それは申し訳ありませんでした。僕も伊織の後を追います」
そう言って車からでて雑貨屋に行こうとすると、
「お待ちください、南雲様」
呼び止められました。一体何の用ですか?
「お嬢様に手を出された場合、シベリアで奴隷働きされることになりますからお気を付け願います」
真顔でとんでもないことを言われた!!
「お嬢様は、南雲様に大変懐いておられます。しかしお嬢様と過ごした歳月は私の方が上だ! もし私と南雲様が両方溺れていて、片方しか助けることが許されないとしたら、お嬢様は間違いなく私を選ぶでしょう! 私はお嬢様が産声を上げた時から傍に使えてきました。オムツを変えたことだって当然あります。お嬢様が最初に呼んだ人の名前は私なんですよ? あの時は旦那様と奥様に殺されるのではないかとヒヤヒヤしましたが、これは私の誇りでもあります。墓にまで持って行きます。それにお嬢様は……」
凄い剣幕で自慢してくる。この執事さん相当ヤバいような気がしてきたぞ……。って僕も行かなきゃ!
「……、南雲様? まだ話は終わっていませんよ?」
いつまで続くのですか!?
「今はまだ幼稚園にも入園していません! 今のお嬢様に到達するまで後6日かかりますよ! それでも泣く泣く短くしたのですよ!」
「それでもかなり長くね!?」
ニーベルングの指輪かよ!
その後、ぱっと見完璧執事(中身はただのストーカー)の愛娘自慢ならぬ愛お嬢様自慢は、一向に来ない僕に痺れを切らして戻ってきた伊織に止められるまで続くことになった。というか良いのか? お嬢様の秘密をベラベラ話しちゃって。
――
なんとか雑貨屋に入ることが出来た。目的を果たす前に危うく命を落とすとこだった。
「本城にも悪気がないのは分かりますけど、僕のことが大好きですからね。僕のことを思って先生に釘を刺したんだと思います。しかしまあ、まだ写真集を処分し切れてなかったみたいですね」
そう言う伊織の顔はお疲れ模様だ。
「それじゃ、パパッと見て回りますかね」
気を取り直してプレゼント探しでもしますかね。
伊織が推薦するだけあって、品揃えは豊富だ。雑貨屋って括りにしてしまうにはでかすぎる気がする。さっきのモールほどじゃないけど、色々揃っているし。
「何を買おうか迷ってる感じですか?」
「ああ、そうだな。これだけあれば姉さんが気に入る物もあるだろうな」
「このお店の凄いところはね、こっちに来てください」
伊織は僕の手を引いて案内する。別に手を繋ぐ必要もないだろうに。
「この方がムード出ません?」
出ません。何を期待してんだかね。
「ここです!」
連れてこられた場所は他の店とは少しばかり雰囲気が違っていた。看板をみると、「メロディ工房」と書かれている。
メロディ工房? 楽器でも作るのか?
「楽器っていうのはいい線いってますよ。ここはですね、手作りオルゴール専門店なんです」