わたるとり
ある晴れた日のことだった。その日は朝から暖かな陽がカーテンの隙間から差し込み、部屋のなかは穏やかな空気で満たされていた。
一人の少女がその白い部屋の中で目を覚ました。ゆっくりと体を起こすと、ベッドから下り、窓際へ近寄る。そうして、真っ白なカーテンに手をかけた。いっきに部屋のなかは光であふれる。思わず少女は目を閉じた。徐々に光に慣れてきたところで、少しずつ目を開いた少女は、窓の外に広がる湖に目をやって、破顔した。
「──白鳥…」
毎年やってくる白鳥たちが、今年も越冬のためにやってきたのだ。今年はいつもより来るのが遅かったら、もう見ることはできないかもしれないと、半ば諦めかけていた。その白鳥たちが、やってきたのだ。
白鳥たちは湖の一角で、旅の疲れをいやしているかのようであった。
少女はそれを飽きもせず、じっと見つづけていた。
「こんにちは」
誰かの声に目を開くと、一人の少女が目の前にいた。驚きのあまり、動くことも声を出すことも忘れていると、その少女はにっこりと笑いかけた。
「だれ?」
「あたしはひなぎく。迷っちゃって、ここに入ったらあなたがいたの。本当にここ、広いんだもの」
ひなぎくの言葉に、少女はようやく警戒心を解くと、くすりと笑った。
「わたしも、ここに来たころはよく迷ったわ。自分の部屋が分からなくなって」
「ここに少しいてもいい?」
少女は体を起こすと、ひなぎくと名乗った少女に頷いてみせた。ちょうど話し相手もいなく退屈していたところだった少女にとって、ひなぎくはありがたかった。
「あなたのお部屋はどこなの?」
「あたし、ここにいるわけじゃないの」
「そうなの?どこからきたの?」
「よくわからないの」
ひなぎくはにっこりと笑った。
「あ、ここから湖が見えるんだ」
くるりと視線を移すと窓際に歩み寄った。
「白鳥が来たのよ。知ってる?」
「はくちょう?」
「そう、あそこにいる白い鳥のことよ」
少女は湖を指差す。
「ここからは湖全体が見えるから。いつ白鳥が来てもすぐわかるの」
少女は、この窓から見える世界のことはなんでも知っているというと、ひなぎくは感心したように少女を見つめ、そしてまた笑った。
次の日から、ひなぎくはなぜか少女の部屋に来るようになった。毎日のようにやってきては少女に他愛もない話をしていく。あるときは冷たい手を少女の頬にあて、大分寒くなってきたと話した。
自分の手と同じくらい外も寒い。でも、あたたかい。朝早く外に出ると、見事にはった氷を見つけることができる。その氷を手に取って空を見てみる。そうすると、普段見ている世界とは違う世界が見える。光の世界。たくさんの光。生きている光。
刺すような冷たさ。白い息。軒の下に下がった見事なつらら。指ではじくと、不思議な音色がする。ひとつひとつは決して同じ音ではない。日がのぼれば、その光を反射して輝く。そしてやがてはその身を光とともに消してゆく。氷もそう。冬ははかない。だから──あたたかい。
雪が降る。空から降ってくるかけらを手に取れば、不思議な形をしている。どれもが違った形をしており、それらはやがて自分の手のうちで消えていく。空を見上げて目を見開く。空からくるくると舞い落ちてくる雪。それを見つめているうちに、自分が舞い落ちているような気がしてくる。
夏──太陽はギラギラ輝き、容赦なく大地を照らす。暑さをしのぎ、山へ行くと、まず風が変わる。風のささやきが耳をくすぐる。空を見上げれば、緑が風に合わせて歌う。それに合わせて光も踊る。のどが渇けば、清水でのどを潤せばよい。ひんやりとしたきれいな水は、山の贈り物だ。
暑さに眠れず、外に出て草原に寝転べば、頭上にはうっすらと空を川が横切る。彦星と織姫の話を聞いて、どれが彼らかを探しているうちに、やがて自分がどこにいるのか分からなくなる。周りが全て星の海に見えてくる。
またある夜は、他の子どもたちと空を見上げる。誰が一番たくさん流れ星を見つけられるか競う。願い事を言い切る前に消えてしまう流れ星。あっちに流れた、こっちに流れたと騒いで過す夏の夜。
春は生命の季節。春は…
「あなたと一緒に外に行けたらいいのに…」
少女は外の世界に思いを馳せる。心から外の世界を欲した。窓から見る世界ではなく、現実の世界を──。
少女の言葉にひなぎくは、未来を見るように、宙を見やった。
「そうしたら、あなたに沢山のお友達を作ってあげるわ、あたし」
大気が春を予感させるそんなある日のこと。少女の白い部屋を訪れた者がそこで見たものは、ベッドにうっすらと残された、あたかも十字架のような少女の影と、外に向かって開け放たれた窓であった。
──外では越冬を終えた白鳥が、一斉に旅立った…
学生時代に書いた短編です。
私にしては珍しく(?)、あれこれと「しかけ」をした作品。
――あまりにも簡単すぎるしかけではありますが。
あなたは…「ひなぎく」の正体が何か、わかりましたか――?