第7話「辺境の冬熱」
運ばれてきた子どもは、五人だった。
一番小さい子は、まだ四つか五つ。母親の腕の中でぐったりしている。
頬は赤い。唇は乾いている。呼吸は浅い。
「いつから?」
私は膝をつき、額に手を当てた。
熱い。
母親が泣きそうな声で答える。
「昨日の夜からです。村で次々に。冬熱だって、みんな言って」
冬熱。
辺境で冬の始めに流行る熱病の総称だろう。名前が一つでも、原因が一つとは限らない。
「咳は?」
「少し。あと、お腹も痛いって」
私は子どもの舌を見る。
白い苔が薄く乗っている。目の充血は軽い。首の腫れはない。
毒ではない。
だが、ただの風邪でもない。
「ニナ、熱を測って。額だけじゃなく、首と手足の温度も」
「はい」
ニナの声はまだ硬い。けれど手は動いている。
ラーニャが母親たちを薬室の隣へ誘導する。
「詰めるな。順に座れ。水を飲める子は少しずつ」
兵士らしい短い声だが、不思議と子どもは泣き止んだ。
エルネスト殿下も来ていた。部屋の入り口で状況を見ている。
「村はどこだ」
ハロルドが答える。
「北東のリンド村です。砦から半刻ほど」
リンド村。
昨日、薬材の申請表で見た名前だ。
乾燥柳皮を納めていた村。冬前から納入が止まっている。
私は子どもの服の袖を見た。湿っている。
「雪遊びをした?」
母親が首を振る。
「いいえ。井戸が凍りかけて、みんなで水汲みに」
「井戸水は濁っていた?」
母親は少し考え、頷いた。
「いつもより土の匂いがしました」
私は息を吸った。
腹痛。高熱。村で同時に。井戸水。
病そのものに名前をつけて安心するには早い。
「村へ行きます」
私が立ち上がると、ハロルドが眉をひそめた。
「今からか」
「水を見ないと、子どもを戻せません」
エルネスト殿下が一歩前へ出た。
「私も行く」
「殿下はまだ本調子ではありません」
「だから馬車で行く」
「そういう問題では」
「領民の水だ。私が見ないで誰が見る」
返す言葉が一瞬、消えた。
王都の貴族なら、報告書だけで済ませただろう。
この人は、自分で見ると言う。
その公平さは頼もしい。けれど少し危うい。
「無理をしたら薬を苦くします」
殿下がわずかに目を細める。
「脅しか」
「処方です」
ニナが小さく吹き出した。
その笑いで、部屋の空気が少しだけ緩む。
子どもたちには薄い解熱薬を飲ませ、体を冷やしすぎないよう布を替えた。重い子は砦に残し、軽い子の母親から村の様子を聞く。
昼過ぎ、私たちはリンド村へ向かった。
雪はまだ薄い。畑は白くなりかけ、家々の煙突から細い煙が上がっている。
村に着くと、井戸の周りに人が集まっていた。
井戸水は、たしかに濁っていた。
私は桶の水をすくい、匂いをかぐ。
土。腐った草。わずかな苦味。
「上流に何かありますか」
村長が首をひねる。
「古い薬草干し場があります。今は使ってませんが」
嫌な予感がした。
案内された干し場は、半分崩れていた。屋根から雪解け水が入り、積まれていた古い薬草が黒く腐っている。
その下を、小さな水路が通っていた。
水路は井戸へ続いている。
「これだわ」
ニナが口元を押さえる。
「薬草が腐って、水に?」
「ええ。毒ではないけれど、子どもには強い。腹痛と熱が出る」
私は腐った草を棒で分けた。
その中に、見覚えのある葉が混じっていた。
眠り花。
量は少ないが、ここで育てるものではない。
「誰がここへ置いたの」
村長の顔が青くなる。
「分かりません。冬前に、王都の商人が古い薬草を買い取ると言って来たことはありますが」
王都の商人。
またその言葉だ。
エルネスト殿下の表情が冷える。
「水路を止めろ。井戸は使用禁止。砦から水を運ぶ」
兵たちが動く。
私は村の女たちに、布で水を濾し、必ず煮沸するよう伝えた。薬草干し場は燃やさず、証拠として一部を包む。
「燃やさないんですか」
ニナが尋ねる。
「すぐ燃やしたいけれど、何が混じっていたか残す。記録も」
「はい」
ニナは震えない手で紙を開いた。
村へ戻ると、熱のある子どもがまた一人増えていた。
私は砦から持ってきた柳皮と薄荷を使い、苦い煎じ薬を作る。母親は不安そうに見ていたが、ニナがそばで言った。
「少しずつで大丈夫です。吐いたら、また薄めます」
その声に、私は横目で彼女を見る。
昨日の失敗を、もう次の誰かのために使っている。
夕方には、最初に運ばれた子の熱が少し下がった。
母親がその場で泣き崩れる。
「ありがとうございます、薬師様」
薬師様。
その呼び方が、砦の外から初めて届いた。
私は首を振る。
「まだ安心はできません。今夜も見ます」
エルネスト殿下が、村の井戸を見つめたまま言った。
「この村の水路を直す。薬だけでは足りない」
「ええ。病を減らすには、暮らしを直す必要があります」
「なら見に行け」
私は殿下を見る。
「領内を、ですか」
「村ごとの水、薬草畑、倉庫、診療記録。お前の目で見ろ。私も同行する」
それは命令であり、招待でもあった。
砦の中だけでは終わらない。
辺境そのものを見なければ、この病はまた形を変えて戻ってくる。
その夜、砦へ戻る馬車の中で、ラーニャが小さな包みを差し出した。
「干し場の奥に落ちてた」
包みの中には、割れた封蝋の欠片があった。
刻印は半分だけ。
それでも、曲線の一部が第二王子宮の封印札とよく似ていた。
私は窓の外を見た。
雪の向こうで、王都の影がまた一つ濃くなる。
子どもたちの熱は下がり始めた。
けれど、この熱を運んだ手は、まだ冷たいまま隠れている。




