第4話「王都から来た監察使」
倉庫荒らし未遂の翌々日、砦の空気は少しだけ落ち着きを取り戻していた。
少しだけ、だ。
丸薬は回収されたが、流した人間まではまだ掴めていない。西塔の見張りは回復に向かっているものの、兵たちの間には見えない不安が残っている。
そんな時に限って、厄介な客は来る。
「王都の監察使ですって?」
朝の薬室で私が顔をしかめると、ニナがうんざりした顔で頷いた。
「しかも二人。倉庫の帳簿と、殿下の療養記録を見せろって」
療養記録。
その言葉だけで嫌な予感がした。
私がエルネスト殿下へ出した指示や処置の記録は、すべて薬室の帳面に残してある。そこに難癖をつけられれば、王都から来たばかりの私は一番切りやすい。
「名前は?」
「バジル・オルドと、書記官のトーマです」
バジル。
聞いたことがある。
第二王子派の貴族に取り入り、地方の不備を大げさに報告しては予算を削ることで有名な男だ。
砦へ着いたのが毒事件の直後。偶然にしては出来すぎている。
案の定、応接室に入った瞬間、相手は私を見るなり笑った。
「ほう。これが王都を追放された薬師令嬢ですか」
三十代後半、細い口髭、やけに艶のある上着。
いかにも、自分は泥の上を歩かない種類の男だった。
私は礼だけして、感情を顔へ出さない。
「リゼット・アルヴェーンです」
「聞いていますよ。婚約者を失い、毒見役に落とされたとか。ずいぶん劇的だ」
「王都は芝居がお好きですから」
ニナが隣で息をのむ。
けれどバジルは、むしろ口元を吊り上げた。
「その毒見役が、今は殿下の療養を仕切っている。ずいぶん危うい話では?」
「殿下は私の処置で命を取り留めました」
「その証拠は?」
私は手元の帳面を差し出した。
処置時刻、症状、使用した材料、反応。
全部、ニナの筆跡も交えて記録してある。
王都で学んだことが一つある。口で奪われる功績ほど、紙に残しておくべきだと。
バジルは帳面をめくり、露骨に眉をひそめた。
「素人の走り書きだな」
「見習いの筆記です。だからこそ、その場で私が確認印を入れています」
私は該当箇所を指さした。
横に並ぶのは、私の署名と、ハロルドの確認印。
さらにページをめくれば、朝夕の容体変化もある。
誤魔化しようのない積み重ねだ。
「薬の不足も記録済みです。申請履歴と照合なされば、王都から何が届いていないか明確になります」
バジルの指が止まった。
そこまで読まれるとは思っていなかったのだろう。
「君はずいぶん、言葉が立つ」
「黙っていると、そのまま私のせいにされますから」
その時、扉が開いた。
入ってきたエルネスト殿下が、室内を一瞥する。
「監察使殿。私の砦で、私の薬師を試すのは結構だが、結論を先に決めて来たなら時間の無駄だ」
バジルが姿勢を正す。
「王弟殿下。私は公正な確認を」
「なら帳面を見ろ」
淡々とした声だった。
それだけなのに、空気が凍る。
エルネスト殿下は私の隣へ立ち、机上の書類へ視線を落とした。
「三日前、私が倒れた。二日前、西塔の兵が同じ症状を示した。昨日、倉庫の鍵がこじ開けられた。これらを偶然と報告する気か?」
バジルは言葉を詰まらせる。
「い、いえ。しかし、地方の警備不備は珍しく」
「地方、か」
殿下の声が少しだけ低くなった。
「王都から派遣された物資が足りないのも、地方の責任か?」
私は内心で息を飲む。
今の一言は重い。
王都の怠慢を、監察使本人の前で突きつけたに等しい。
バジルが反撃に出た。
「不足申請が正しく上がっていたかも確認せねば分かりませんな」
「上がっています」
私が口を挟むと、バジルが睨んだ。
私は構わず、紙束をもう一つ机へ置く。
「薬材申請の控えです。砦側に残っていた写しで、半年前まで遡れます」
ニナが昨夜、震える手で写しを整理してくれたものだ。
バジルは露骨に顔色を変えた。
あるはずのないものが、あると思ったのだろう。
「なぜそんなものを」
「前任の方が残していたからです。捨てずに済んだだけです」
「不足は偶然とは思えません。届いていない薬材が偏っています。解毒系、鎮静系、保存の利く基礎薬。殿下の症状と無関係とは言い切れません」
室内が静まり返る。
書記官のトーマが、小さく息をのんだ。
彼は若い。バジルほど面の皮は厚くないらしい。
私は続ける。
「監察にいらしたのなら、ぜひ王都側の搬出記録も照合してください。同じ欠落があるはずです」
バジルのこめかみに汗がにじんだ。
この男自身が黒幕でなくても、都合の悪い相手と繋がっているのは確かだ。
エルネスト殿下が最後に言う。
「写しは持って行っていい。ただし原本は置いていけ」
「殿下、それは」
「私の砦の記録だ」
反論は許さない声だった。
バジルはすぐには引かなかった。
帳面を閉じ、私と殿下を順に見てから、薄い笑みを作る。
「よろしい。王都でも確認しましょう。写しが、きちんと同じ顔をしているならですが」
嫌味を残して、ようやく書記官とともに資料を書き写しに回った。
扉が閉まった途端、ニナが椅子にへたり込む。
「生きた心地がしませんでした……」
「私もよ」
半分本音だ。
ただ、勝った実感もあった。
言葉だけではない。記録で押し返せた。
その日の夕方、ハロルドが急ぎ足で入ってくる。
「殿下。市場の商人が一人、姿を消しました」
ラーニャが続く。
「カルムに丸薬を渡したと見られていた男です。今朝方、荷車ごと」
私とエルネスト殿下の視線がぶつかる。
早すぎる。
監察使が来た日と重なったのが、本当に偶然なのかは分からない。
けれど、気味が悪いほど出来すぎていた。
「追える?」
私が問うと、ラーニャが首を振った。
「だが、荷の一部は残っていた」
差し出された布袋から、私は見覚えのある香木の匂いを嗅ぎ取った。
王都の薬草庫で使われていた、匂い消しの灰と同じだ。
これだけでバジルと結びつけるには早い。
それでも、見過ごせる匂いではなかった。
私は帳面を閉じた。
記録は守れた。
なら次は、逃げた尻尾を掴む番だ。




