余白に、君がいる
線香の香りが、やけに強かった。
視界がぼやけているのは煙の所為ではない、分かっている。それでも、涙が止まらない。酷く泣きわめくわけでもなくただ雨が降るように、静かに目から涙が流れ落ちる。
その日、俺の家族は亡くなった。
隣りの礼拝堂から扉が開く音がした。
ふと目を向けると、同じように黒い服を着た少女が立っていた。
泣きはらした目。それでも、どこか前を向こうとしている顔。
目が合う、自然と逸らしてしまう。でも同じだと察した。
それから少しして友達や学校の生徒には親が亡くなったことは、言わずに明るく振る舞った。
サッカー部でエースと言われてそれなりに強い、高校だったのでプロだって行けるだなんて言われてたしそう思ってた。両親もそれを全力で応援してくれた、朝練があっても母さんは誰よりも早く起きて父さんと俺の弁当を作ってくれて、父さんもスパイクを買いに行くときに一緒に行ってくれたり、部活で夜遅く帰ってもサランラップにかけて夕食が置いてあってそこには、必ず母からのメッセージカードが置いてあった。
それを失ってどれほど大変かそれを痛感している時だった。
それから学校では普段通りに接して家では一人で過ごす日々が続いたある日。
咳が止まらなり近くの大学病院に行くと見慣れた顔が居た。
受付を済ませて風邪だと診断されて、マスクをして会計待ちで椅子に座ってると…。
「あの?」
「はい?」
声をかけてきたのはあの時の女の子だった。
「隣座っても良いですか?」
「あ、どうぞ」
「風邪ですか?」
「まあそんな感じです」
自分でもよそよそしくなるのが分かるがそれでも、何を話せば良いのか分からなくなる。
「もしかして、私のこと覚えてないですか?」
「いや、覚えてますよ」
「なんだ、もしかして覚えてないのかと思った」
「まあ、忘れませんよ。流石に」
「だよね、私も」
少し沈黙が流れる。
「ねえ?」
「はい?」
「今度二人で出かけない?」
彼女の一言から俺達は休みに外に出かけることになった。
出かけて話すようになって、気づけば隣にいるのが当たり前になった。
名前は白石紬。
「ねえ、これ見て」
紬はノートを見せてくる。
ぐちゃぐちゃな文字と、意味の分からない設定。
「主人公はさ色んな困難があるんだけど、絶対絶対折れないの」
「強いんだね」
「そう…」
そこから架空の物語の話をして盛り上がるのがいつもの二人の時間だった。
紬は書く力はないが、俺が物語を形にすることで段々小説らしくなって来た。
そう言って笑う顔が、やけに好きだった。
紬と物語を考えている時間が大切で大事だった。
「ねえ?」
「ん?」
「いつかさこれ、形にしようよ」
「本ってこと?」
「うん、二人で書くの」
少し照れながらも、それでも真っ直ぐな目で言った。
「分かった」
そうして季節は春になり部活の大会も控えていたある日。
紬は倒れた。
あまりにも突然な出来事で俺はまた、同じ苦しみを味わうのかと思いながらも病院に向かった。
主治医の橘先生は俺の両親の最後を看取った人でもあったのが、紬の連絡先から橘先生の声がした時は驚いた。
直ぐに病院に向かい、橘先生に話を聞いた。
「先生、紬は?」
「取り敢えず落ち着いて、説明はするから」
「はい」
息を整えて椅子に座る。
普通はこう言う説明をする際に家族が受けるが結に家族はいない、でもなんで俺と紬が親しいことを橘先生が知っていたのか?
「病名から言うと自己免疫性脳炎って言う病名だね」
「自己免疫性脳炎?」
聞き慣れない言葉だった。
「簡単に言えば——体の免疫が、脳を攻撃している状態だ」
「……免疫が?」
「本来はウイルスや細菌から守るものが、誤って自分の脳を“敵”だと判断してしまう」
橘先生は淡々と説明する。
「症状は様々だが、急激に意識障害に至ることもある」
拳を握る。
「……治るんですか」
わずかな沈黙。
「可能性は、ある」
橘先生はそう言った。
「ただし」
その一言で、すべてを察した。
「元通りになる保証はない」
視線が、まっすぐこちらを射抜く。
「奏君はこれからどうする?」
「これからってど言う意味ですか?」
「正直今紬ちゃんは話が出来る状態じゃない、それでも会うか?」
多分先生は此処で引けば大変な思いはしなくて済むと言いたいのだろう、だが俺にとって紬がどんな姿でも大変だとは思えなかった。
「一緒にいます」
「分かった」
そして俺は部活を辞めた、バイトしてこれから紬の医療費を稼ぐことなどを考えた。
あれだけプロを目指して頑張ってた部活も夢も紬の為なら捨てられた。
そして、俺はバイトを何をしようか悩んでいると一通の手紙が家に届いた。
それはもう暫く会ってない
叔母からだった。
《伝えたいことがあるので一度家に来てください》
そう書かれていたので叔母が住んでいた鎌倉まで行った。
家から鎌倉までそこまで距離はないので電車で直ぐだった。
叔母の家は屋敷のような豪邸だった記憶があったが、それでも厳しい人であまり良い印象はなかったので何で俺を呼び出したのかは分からなかった。
そして叔母の家に着くと相変わらずな豪邸だった。
インターホンを押すと知らない人の声が聞こえた。
「叔母の孫の朝倉奏です」
「少々お待ちください」
少し待つと玄関の門が開いた。
門なだけあって流石に広さを感じる。
家の中に入ると人が入れ替わり立ち代わりでせわしなく歩いていた。
「初めまして、主様の執事の早乙女と申します」
スーツをびしっと着てイケメンなお兄さんと言う感じだった。
「初めまして、朝倉です」
「奏様のことは主様から良く聞いております」
様と言われたことはなかったので仰々しくなる。
「それで叔母さんは?」
「お話はお部屋を変えましょう」
案内されたのは、重厚な扉の先にある応接間だった。
やけに広い空間。
磨かれたテーブルと、無駄に立派なソファ。
座るだけで、場違いな気がした。
「お待ちしておりました、朝倉様」
年配の男が一礼する。
「当家の執事を務めております、早乙女と申します」
その隣に、黒いスーツの男が立っていた。
「弁護士の三浦です」
淡々とした口調。
どこか、現実味がない。
三浦は書類を開いた。
「本日は、故・朝倉綾子様の遺産相続についてご説明に参りました」
“故”という言葉に、少しだけ胸が引っかかる。
会ったこともほとんどない人。
それでも、血の繋がりだけはある。
「綾子様には直系の相続人がおられませんでした」
紙をめくる音がやけに大きく響く。
「そのため、遺言書に基づき——」
視線がこちらに向く。
「朝倉奏様、あなたが全財産および本邸の相続人に指定されています」
一瞬、意味が分からなかった。
「はい?」
「分かりやすく言うと、奏様が此処の当主となられる可能性があると言うことです」
「ええっと、何故?」
重苦しい雰囲気が流れるが弁護士さんが口を開いた。
「綾子様は生前、ある言葉を遺されております」
執事が一歩前に出る。
「——“困っている人を、見捨てるな”と」
その言葉だけが、妙に重く響いた。
理由は分からない。
でも、胸の奥に残った。
「……そうですか」
それだけしか言えなかった。
金があるとか、家があるとか。正直、どうでもよかった。
頭に浮かんでいたのは、ただ一人。
病院のベッドで、眠り続けているとある人の姿だけだった。
なぜ叔母が俺を選んだのか分からない、でもそれでも他のことはどうでも良かった。
それから、放課後毎日病院に通う生活を行った。
ベットの横で、ノートを開く。
「続き、考えたぞ」
でも、返事はない。
それでも読む、紬が考えた設定をなぞりながら、続きを紡ぐ。
「なあ、アイデアで悩んでるんだ。どうすればいいかな?」
ベットで横になり目を開けない紬に問いかける。
「何か答えてくれよ」
涙が流れる、でもそれを拭いてくれる人はいない。
学校に行けば、明るく振る舞うが以前のように友達は接してくれなかった。
今まで部活で頑張っていた人と言う認識だったのが、急に部活を辞めた人と言う認識だから中途半端な人だと言う認識で終わってしまい。友達が離れて行って一人でいる時間も増えたがそれでも良かった。
周りからはあまりいい話は聞かない、それでも紬がいれば俺は良かった。
「なあ?」
放課後に教室を出ようとしたら元サッカー部で仲が良かった高梨にに呼び止められて、人気がないベンチに連れて行かれた。
「なんで部活辞めた?」
「言っただろ、家庭の事情だよ」
「それだけじゃないだろ、何かあったんだろ?」
「特に何もないよ、俺この後予定あるからもういい?」
「皆心配してんだぞ、俺らだけじゃなくて先生も」
「余計な心配するな」
「お前な、俺らは…」
「もう行くから」
そう言い残してその場を去った。
意外だった心配してくれる人がいるのかとでもそれでも、本当のことを打ち明ける勇気が俺にはなかった。
そして病院に行き、いつものように今日の出来事を話す。
反応はないはずだった、でも確かに声が聞こえた。いつだって再び聞きたかったその声が。
「か、な、で?」
「紬?」
目を閉じていて、でもそれでも確かに俺の耳に聞こえて口も開いていた。それを聞いてじっとはしてられなかった。
ナースコールを何度も押して外に飛び出した。
近くに橘先生が居た、他にも橘先生が話をしている人がいたがそれよりも話すことがあった。
「先生!!」
「奏君どうした?」
「紬が話しました」
「え?」
「俺の名前を喋ったんです!!」
「分かった」
先生はすいませんと言い話をしていた人達と別れて俺はその後を追った。
久しぶりに走ったので膝に手をついていて、視線も下がっていたので誰かは分からなかった。
病室に入ると先生と看護師さんが紬を見る。
「先生どうですか?」
「多分一時的なものだろうね」
「でも、この症例で話すことって…」
「それは言わないでください」
看護師さんがそう言うと怒った橘先生がそれを遮った。
俺は椅子に座って紬のてを取った。
「分かってます、期待させないとかそう言うのでしょう。でも俺がこの先希望も絶望も俺が紬の傍にいる事実は変わりませんから」
季節は移って秋。
屋上で、風に当たる。
「今日は良い天気だな、なあ紬」
勿論返答はない、あれから紬は再び話さなくなった。
「最近テストがやばくてさ、此処に来ても勉強ばっかりだな」
少し笑う。
「今度学園祭があるんだ、来ない?」
紬の方を見るが紬は表情も変えない。
「無理だよな、ごめん。でもさ、海なら行けるよな」
鎌倉だったので学校からも病院からも海は近かった、だからと少し期待を持つ。
「元気なったら行こうか」
そう言ってベンチから立ちあがり車椅子の持ち手を持った時に声をかけられた。
「朝倉」
そう声をかけたのはクラスの担任の先生だった。
「先生」
「お前なんで病院に、って言うかその子は?」
「忘れてください」
「でも…」
「失礼します」
そして学園祭の日、クラスの出し物は縁日。
必死に声掛けなど学校中が盛り上がっていた。俺は受付をしていた。
「朝倉君?」
「なに?」
「お菓子なくなったからコンビニで買い出し頼んでもいい?」
「でも、受付は?」
「他の人に頼むから行って」
「分かった」
学校を出て海沿いのコンビニまで歩いて行く。
コンビニで大量にお菓子を買ってこれで良いだろうと思い、コンビニを出て海を見た時に紬が立って海を見ている景色見えた。
そんなはずはない、疲れてるのかなそう思い瞼を閉じて再び目を開けるとそこには確かに紬の姿だった。
紬は車椅子姿で橘先生が隣にいた。
「先生なんで?」
「それは自分で聞いてください」
「え?」
俺は紬と同じ視線になり紬を見た。
「紬、やっぱり来たかったんだな」
「か…なで」
話した、紬が。
「ん、どうした?」
「こ…れ…た」
途切れ途切れになりながらも話を続ける。
「う…み」
涙がこぼれる。声も震える。
「うん、これからも一緒に行こうな」
紬は頷いた。
少し後ろに居た橘先生に聞いてみた。
「先生なんで紬が此処に?」
「実は紬ちゃんが最初に話した時に奏君のクラスメイトが来て話をしたんだ。それから最近担任の先生が海に行きたいことを聞いてね、それで今日の朝に体調が良くなったことで此処に来れたんだ。これは奇跡に等しいよ」
「そうですか、ありがとうございます」
頭を下げた、奇跡でもなんでもいい。こうして外に一緒に出れたことが何よりも大切だから。
そして学校に帰ったら皆が会えた?と聞いてきた。実は高梨や担任の先生がこのことを話してクラスで協力したとのことだった。
俺はお礼を言って文化祭を楽しんだ。
だが紬は息を引き取った。
一年後…。
墓の前に立つ。
「久しぶりだな」
花を手向けて一冊の本を置く。
「出来たよ、本」
表紙には作者に朝倉奏、白石紬そう書かれていた。
紬のノートを開く。
ぐちゃぐちゃな字、でも確かに此処に紬が生きた痕跡がある。
「あの時、色々考えたな」
ページをなぞる。
「だからさ、ネタはまだいっぱいあるんだ」
少しだけ笑う。
「……本当は、もっと話したかったけどさ」
息を吐く。
「でも——」
空を見上げる。
「これからも、書き続ける」
静かに言う。
「いっしょに、な」




