第五話(最終話) 不器用な、プロポーズ
玄関の扉が、乱暴に叩かれた。
夜明け前。
テオドラはセーターを編みながら、うとうとしていたところだった。
「——はいはい、今行きます!」
眠い目を擦りながら扉を開けた。
そこにいたのは。
「……生きてた」
「……テオドラ」
キリアン・ヴァルファ将軍が、扉の前に立っていた。
軍服は泥だらけ、顎には無精髭、目の下に隈。だが、確かに立っていた。
テオドラは三秒、彼を見上げた。
「おかえりなさい」
声が、少し掠れた。
「……ただいま」
キリアンも、声が掠れていた。
二人は、玄関先で、しばらく黙っていた。
◆◇◆
ゼーリングは、少し離れた場所に立っていた。
将軍の帰還を、本国への護送任務として担当していた。
(よかった)
心の底から、思った。
(本当によかった)
そして同時に思った。
(さて、二人の間にどんな言葉が飛び出すのか)
キリアンは口を開いた。
「……君に」
(来た)
「伝えたいことがある」
(いよいよだ)
「部隊を、一人も死なせずに済んだ」
(……え)
「君の編み図のおかげだ」
(あ、そっちから行くんですね)
テオドラが、目をぱちくりさせた。
「え、あれ、本当に使ったんですか?」
「全部だ」
「えっ、全部!?」
「知恵の輪も使った」
「カルバハン城!? 知恵の輪の解き方で城を!?」
「君の言う通り、内側から攻めた。戦死者ゼロで落とした」
「んもう!!」テオドラが叫んだ。「それは教えてください!
どれだけ心配したんですか!」
ゼーリングは、こっそり顔を覆った。
(二人とも、そっちに行くんですね……)
◆◇◆
キリアンは、少しの沈黙の後、言った。
「……それと」
「はい?」
「礼を言いたかった」
「編み物の礼ですか?」
「そうでは、ない」
テオドラが首を傾ける。
キリアンは、戦場で何百回も死線を潜り抜けた男が、こんなに言葉に詰まることが
あるのかというくらい、長い沈黙をおいた。
「……俺は」
「はい」
「言葉が」
「はい」
「苦手だ」
「知ってます」テオドラは言った。「手紙が全部、編み図と知恵の輪でしたから」
「……そうだ」
「でも」彼女は少し笑った。「伝わっていましたよ」
キリアンが、初めて驚いた顔をした。
「……何が」
「寒い、って」
静寂。
「……読んだのか」
「ゼーリングさんが持ってきてくれました。送らなかった手紙、全部」
キリアンは、ゼーリングを見た。
ゼーリングは、無言で敬礼した。目が、わずかに潤んでいた。
(将軍、これは任務です。任務として持参しました。
断じて、この二年間で情が移ったからでは、ありません)
◆◇◆
キリアンはテオドラに向き直った。
「……ならば」
「はい」
「もう一度、言う必要はあるか」
テオドラは少し考えた。
「ありますね」
「……そうか」
また、長い沈黙。
テオドラは待った。
ゼーリングも待った。
夜明けの光が、空を白く染め始めた。
「……テオドラ」
「はい」
「俺は、替え玉でいいと言った」
「言いました」
「あれは、失礼だった」
「今更ですが、そうですね」
「謝る」
「受け取ります」
「それから」キリアンは、手を差し出した。「君でなければ、ならなかったと、
今ならわかる」
テオドラは、その手を見た。
大きくて、傷だらけで、不器用な手。
「……それから」彼は、喉の奥で何かをこらえるように言った。
「このセーターの続きを、一緒に、編んでくれないか」
テオドラの手には、作りかけのセーターがあった。
彼の寸法で作り始めた、未完の一着。
「……んもう」
テオドラは笑った。
目に、少し光るものがあった。
「仕方ないわね」
手を伸ばして、彼の手を取った。
「教えてあげます。でも条件があります」
「……何だ」
「次からは、愛の手紙を送ってください。編み図は、なしで」
キリアンは、少し困った顔をした。
「……努力する」
「努力じゃなくて」
「……する」
「する、だけ?」
「……必ず、する」
テオドラは、くすくすと笑った。
「それで十分です。おかえりなさい、キリアン」
「……ただいま」
◆◇◆
ゼーリングは、二人を見ていた。
夜明けの光の中で、将軍が不器用にセーターの毛糸を受け取り、
テオドラが笑いながら「そこじゃないです、こっちを持って」と言っている。
(よかった)
本当に、よかった。
彼はそっと踵を返した。
任務完了だ。
これ以上ここにいると、また余白に何か書きたくなってしまう。
帰り道、朝焼けの中を歩きながら、ゼーリングは空を仰いだ。
(あの二人の、次の手紙が楽しみだな)
そう思った瞬間、気づいた。
(……俺、まだ検閲担当なんだった)
胃が、ちくりと痛んだ。
でも今日は、胃薬を飲まなかった。
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完
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■ 後日談 ゼーリングへの贈り物
三ヶ月後、ヴァルファ将軍から検閲室に一通の手紙が届いた。
妻への手紙ではなく、ゼーリング個人への手紙だ。
ゼーリング少佐へ。
この度、妻に手紙の書き方を習い始めた。
今後、検閲の手間が増えることをお詫びする。
また、二年間の胃薬代を送る。受け取ってくれ。
キリアン・ヴァルファ
同封されていたのは、高級胃薬が三箱と、
毛糸で編まれた小さなマフラー(テオドラ作、とメモがあった)。
ゼーリングは、執務室で一人、声を上げて笑った。
(この夫婦、ずっと見ていたい)
余白に書く相手はもういないけれど。
それでも彼は、机の引き出しにそっとマフラーをしまった。
温かかった。
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ご愛読ありがとうございました!
感想・☆評価をいただけると作者が全力で続編を書きます!
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