第二話 その編み図は、鉄壁の陣形だった
「んもう! 仕方ないわね!」
テオドラは、完成したばかりの編み物を高く掲げた。
複雑に絡み合った、正方形の……何か。
「これ、なんだろう。ベースは確かに陣形っぽい形なんだけど、立体にしたら
独特の形になったわね」
毛糸で再現した「北方第七防衛陣形(テオドラ改良版)」は、中央が膨らんだ
奇妙な形をしていた。
使用した毛糸は、鎖編みを「前線」、長編みを「突撃部隊」、細編みを「支援」、
引き抜き編みを「固定拠点」として色分けしている。テオドラなりの
「見やすくする工夫」だった。
赤が前線、青が突撃、黄色が支援、黒が固定拠点。
戦場の地図と、一言も書いていないのに。
◆◇◆
返信の手紙に、テオドラはびっしりと「編み物のコツ」を書き込んだ。
【テオドラからキリアンへ・第二信】
キリアン様
編み物を毛糸で作ってみました! 写真は描けないので図で失礼します。
重要なポイントをまとめると――
■鎖編み(前線)は、長くなりすぎると端が丸まって固定しにくくなります。
六目ごとに細編みで留めると安定します。いわゆる「伏兵を挟む」
イメージです。
■長編み(主軸)は力強いですが、隣の目が離れすぎると穴が開きます。
その穴を外力に突かれると一気に崩れるので、間隔は均等に。
■一番大切なのは「引き抜き編みで留める場所」です。ここを間違えると
全体がほどけます。私が見るに、元の図では西側(左)の固定点が一つ
少ないので、追加することをお勧めします。
それから、南側を厚めにするアドバイスは採用していただけましたか?
完成した作品、ぜひ見てみたいです。
テオドラ・ヴァルファより
追伸:毛糸は赤・青・黄・黒で色分けしてみました。見やすくなったと
思います。次の作品も楽しみにしています!
◆◇◆
検閲室。
ゼーリングは手紙を読み終えて、しばらく動けなかった。
(……「伏兵を挟む」)
立ち上がった。書棚から資料を引き出した。
「北方方面軍・最新戦術書 第三改定版」。
ページを繰る手が震えた。
(「鎖編みの六目ごとに細編みを挟む」……これは「分散伏兵配置」だ。
前線の等間隔に伏兵を配置して、突破口を塞ぐ最新戦術。
今年の夏に参謀本部が採用したばかりの……)
額に汗が滲んだ。
(「穴を外力に突かれると一気に崩れる」……それは東部戦線で帝国軍が
使った「間隙突破戦術」への言及と同義だ。昨年の敗戦の原因を、
この女性は「編み目が緩い」と表現した……?)
壁に手をついた。
(「赤・青・黄・黒で色分けして俯瞰する」……それは参謀本部が今年から
導入した「色彩地図戦術」そのものだ。部隊を属性別に色分けして
戦場全体を把握するための……)
ゼーリングはゆっくりと椅子に戻り、手紙と資料を見比べた。
(この女性は、何をしたのか)
(編み物の改善案を送った。ただそれだけのはずだ)
(だがその「改善案」は、参謀本部の最新戦術と完全に一致している)
(つまり——)
(つまり、参謀本部の将軍たちが会議室で三週間かけて議論したことを、
この女性は居間の椅子で毛糸を持ちながら、一晩で導き出したのか)
机に額をつけた。
(魔女か。天才か。それとも……単に、圧倒的に「構造を見る目」が
あるだけなのか)
後者が最も恐ろしかった。
魔女なら国が対処できる。天才なら軍が囲い込める。
しかし「ただ手芸が好きなだけの女性が、天然で軍事機密を解析している」
なら――対処のしようがない。
引き出しから胃薬を出した。
昨日買ったばかりだ。まさか翌日から飲むとは思っていなかった。
余白に書いた。
〔検閲官注:本書簡に不審な点はありません。
追記:奥様、「伏兵を挟む」「穴を突かれる」「色分けして俯瞰」
という表現は、軍機密に抵触する可能性があります。
……編み物の話として解釈しました。次回もそうします〕
◆◇◆
戦地の天幕。
手紙と一緒に届いた、毛糸で作られた謎の立体物を手に、
キリアンは副官を呼んだ。
「見ろ」
「……はい」
副官は、毛糸の塊を様々な角度から眺めた。
赤・青・黄・黒で色分けされた、複雑な構造体。
「……将軍、これは」
「わかるか」
「……陣形、ですね」
「ああ」
「しかも」副官の声が震えた。「参謀本部の改定案より精度が高い……?」
キリアンは静かに頷いた。
「妻は編み物が得意だ」
「…………」
「次の手紙は知恵の輪を送る」
「将軍」
「敵の要塞の構造に悩んでいる」
「将軍!」
「何だ」
「奥様への手紙に要塞の構造を……!」
「安心しろ」キリアンは大真面目な顔で言った。「暗号化する」
「どうやって!」
「知恵の輪の図にする」
天幕の外で、風が唸った。
副官は胃を押さえた。
◆◇◆
その夜、キリアンは一人、机に向かって手紙を書いた。
戦場の天幕の中で、揺れる蝋燭の光に照らされながら。
本当は――伝えたいことが山ほどある。
替え玉として送り込まれてきた彼女が、どれほど真剣に自分の「手紙」を
読んでいるか。毛糸で陣形を再現するほど、丁寧に向き合ってくれているか。
その几帳面さと、底抜けの明るさが、どれほど戦場の自分を支えているか。
だが、キリアンは文章が苦手だった。
壊滅的なほど、苦手だった。
愛を伝えようとすると、頭が軍事的な思考回路に切り替わる。比喩が戦術的に
なる。言葉が暗号になる。
彼は紙に書いた。
『テオドラへ』
それから三行書いて、全部消した。
もう一度書いた。また消した。
最終的に、彼が送ったのは――知恵の輪の模式図、一枚と、
『これを解いてくれると、助かる。 キリアン』
という一文だった。
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次話予告:
テオドラが「外輪と内輪の噛み合い構造」を分析して送った解法は、
そのまま敵要塞の攻略図となる。キリアン、城を無傷で落とす。
国王から感状。検閲官ゼーリング、胃薬を箱買いする。
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