第8話 日常の境界線④
「えっ!?」
公民館に飛び込んできた陽作に、少女の冷徹さが消え、驚いた表情を見せた。
その動揺と切り離されたように、少女の手にしたナイフが天井から落下してくるトカゲを狙って突き上げられる。
陽作は少女を抱きしめ、突き飛ばすようにして一緒に転がっていった。
結果として、少女のナイフは陽作が抱き着いたことによって、トカゲをとらえることなく、空を切ることとなった。
「がはっ」
陽作は少女と一緒に公民館の壁に激突した。背中を強く打ち据え、陽作は痛みにもだえ……なかった。
あれほど勢いよくぶつけたというのに、不自然なほどに背中の痛みはなかった。脊椎を損傷して痛みを認識できないというわけではなく、ひりひりとした自然な痛みしかない。
不自然と言えば、さっきもそうだ。陽作は公民館の外にいた。トカゲが落下し、少女を襲うまでは1秒もなかったはずなのに、陽作は自分でも驚くほどの速さで少女に駆け寄り、間に合ってしまった。
間に合ってしまった、だ。陽作の目はトカゲに向かって突き出されるナイフもとらえていた。少女はトカゲの接近に気付いていたのだ。
つまりは余計なお世話。陽作がしたことは、少女の妨害に他ならない。
「ご、ごめ――」
「無事ですか!」
やらかしたという実感とともに謝ろうとした陽作の言葉を、少女の言葉が遮った。少女は陽作に密接したまま体をぺたぺた触り、傷がないことを確かめる。
無事どころか、体は絶好調だ。体中を力が駆け巡っているような感覚がする。今なら空すら飛べそうだと思えるほどに。
「あ、あぁ大丈夫。痛みもないし」
「よかったぁ……」
陽作の言葉に、少女は安心したように陽作の体にすがりつく。少女の美しい黒髪からほのかに甘い匂いがして、鉄火場であるにも関わらず、陽作の頭が別の意味でくらくらしてくる。
「あっ」
このままでは別の意味でまずい。陽作は敵の方を見て、思わず声を上げた。
さっき、トカゲは少女を狙っていた。そして少女の足元にいたのは、気を失った不良たち。少女を襲い損ねたトカゲは不良たちの上に着地したということだ。
トカゲの腹部の黒い袋が中央からぱっくりと開く。中はヌタヌタとした生々しい肉のクッションが見えた。肉袋から触手が伸び、不良の一人を収納した。気を失った不良たちは抵抗もできず、肉の塊の中に飲まれていく。半壊した骨格鳥たちも同じように腹部を開いて不良たちを飲み込んでいく。さらにトカゲや骨格鳥を守るように、人魂たちもその周囲を漂う。
陽作の声に少女も同じ光景に気付いた。陽作と不良、異形たちの姿を交互に見比べて、
「仕方がないですね」
と小さくつぶやき、手にしたナイフをためらうことなく手首に当て、勢いよく引いた。
「なっ!」
動脈が切れたのか、細い手首から血が吹き出てくる。ショッキングな光景を少女は目を細めるだけにとどめ、コツンと、ナイフの柄をこめかみに当てた。
不良を飲み込んだ異形たちは、陽作たちに見向きもせずに出口の方へ向かう。陽作はこいつらの目的が、不良たちの誘拐にあったのだと気づく。
「〈代償〉」
少女の宣言が聞こえた。
代償。穏やかじゃない言葉に、陽作の背筋が凍る。
「〈血〉と……そうですね、〈今朝思いついたとびきりおいしいトーストの作り方の記憶〉」
――カチリと、世界のどこかで音がして、取引は成立した。
「狙って壊せ〈流星群〉」
手首から流れる血が、塵となって消滅した。少女の背後の空間から数十の青白い光が灯る。そこから流星のような光弾が、マシンガンのように放たれた。
先ほど少女が見せた奇跡とは威力がまるで違っていた。
異形たちの撤退は素早く、すでに玄関から出て、道路に足を踏み入れていた。その背を、少女が生み出した星々が追撃する。
破壊の星々は器用にも玄関を通り、異形を埋め尽くすように炸裂する。骨格鳥も、トカゲも、人魂も、まとめてまばゆい光が包み込む。
無音の破壊だった。わずか数秒。光が消えると、無傷の不良たちだけが道路に倒れていた。公民館に破壊のあとはなく、道路に壊れたものもなく、少女の光は異形たちのみを消滅させた。
「……」
少女は陽作のそばから立ち上がり、不良たちの方へと向かう。それから不良たちの口元に手を当てる。息をしているか確かめているようだった。少女はうんとうなずくと、何かをつぶやきながらナイフの切っ先を順番に不良たちのこめかみに突き付けていった。突き付けるたびに、切っ先がほのかに光を発する。
全員に突き付け終わったあとは、不良の腕をつかんで公民館側に放り投げた。おそらく車にひかれないようにということなのだろうが、不良たちが空を舞っている。ドスンドスンと雑に、不良たちが敷地の中に転がされる。あの細い腕のどこにそんな力があるのか。陽作はあっけに取られてしまう。
少女の動きは手慣れていて、同じことを何度もやってきたことがうかがえた。最後に、少女は陽作の方へ視線を向けた。
異形たちと戦っていたときと同じ、冷たい目をしていた。陽作は凶暴な獣に狙われたかのように、動けなくなった。ナイフを手にしたまま陽作のそばに立ち、ナイフの切っ先を額に向ける。陽作の目もまた、吸い込まれるように少女へと向けられた。
質量を伴っているかのような重苦しさが、場を支配する。沈黙。春夜の冷たい空気がへたりこんだままの陽作を撫でる。パタンパタンとトタン屋根が震える音がする。ザワザワ、ザワザワ。陽作の耳は騒々しいくらいの無数の音をとらえる。
少女は石像にでもなってしまったように動かない。が少女の頬に一筋の汗がつたっていった。彼女は生きている。その軌跡を見て、陽作はここに来るまでに見た細い糸を再び認識した。糸は縄のように太くなっていて、先が少女とつながっていた。
陽作がそれに気づいた瞬間、フツと、糸が切れた。視界が暗くなる。無数の音が消える。体をめぐっていた全能感が消失する。それでようやく、公民館に電気がついていないことに思い至る。
暗闇の世界を、陽作は昼間のように見ていたのだ。
「――今日、見たことは全て忘れてください。当然、誰かに言ってもいけません」
感情の一切を押し込めた声が暗闇に響いた。
「もう会うことはないでしょう。さようなら、です」
「ま、待ってくれ!」
ナイフの気配が消える。はじかれたように陽作は立ち上がった。慌てて公民館から出ると、少し離れた位置にまだ彼女はいてくれていた。陽作から顔を背け、欠けた月を見ている。
さっき見たものは何だったのか。君は一体何者なのか。不良たちはどうなろうとしていたのか。非現実的な状況を前に、聞きたいことも知りたいことも山ほどあった。
「名前は!」
陽作が聞いたのは、その非現実的なものではなかった。彼女のことが知りたい。純粋な思いだった。
「……あきら。私の名前はあきらです」
「あきら!」
三日月を見上げたまま、少女は――あきらは答えた。あきらに向かって陽作は走る。
悲しいほどに、その足は遅かった。水の中を歩くような、ひどくもどかしい感覚。
陽作はあきらに手を伸ばす。
「〈欺け〉」
「あ……」
一言。その一言で、あきらの姿は煙のように陽作の前から消えてしまった。
残されたのは、みっともなく立ち尽くす陽作と、地面に転がり気絶している不良たちだけだった。
第一章 春、俺は魔法使いと出会った。 終
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