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夏、俺は魔法使いに恋をした  作者: クスノキ
第1章 春、俺は魔法使いと出会った。
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第6話 日常の境界線②

「きれいな、黒髪だな」


 気づけば、陽作はそう口走っていた。見知らぬ相手にいきなりを言っているんだ。変態か。自分自身の行動が陽作自身にも信じられない。

 けれど、心臓はいまだにドクンドクンと音を鳴らしていて、陽作に冷静さを取り戻させてくれない。


「――え」


 少女の反応は大きかった。突然話しかけられた少女は陽作の方を見て、その目を大きく見開く。固く結ばれていた唇は空気を求めるように、あるいは言葉を発するように小さく動いている。


 夕日に照らされた顔は一度赤くなり、それから血の気が引いたように青くなる。よく見れば、目じりに涙すら溜まっているように見えた。


「あ、え、ひ……なんで」

「あ、ごめん、いきなり話しかけて」


 少女の激しい反応に、陽作はさらに慌てる。どうかしてる。通報される。嫌われる。最悪のシュミレーションが頭をめぐるのに、とりとめのない思考が止まらない。

 とにかく場を納めなければ。陽作は混乱する自分を無理やり抑えて言葉をひねり出す。


「え、と。その変な意味じゃなくて、いや変なことは言ったんだけど、変な意味というわけではなくてだな。ただ俺はこのあたりで見ない顔だなと……」

「見ない、顔」


 太陽はもうまもなく沈もうとしている。夜に近づいた冷たい風が吹いた。少女の顔が一瞬、能面のように無表情になる。少女は目を閉じて、細く長い息を吐く。

 再び目を開けたとき、彼女は最初見たときと同じ、冷たさを感じさせる張り詰めた表情をしていた。


 そんな彼女は、言葉を選ぶように間を置いた後、

「その……こんにちは」

 と少しばかりずれた言葉を陽作に返した。


 *


「このあたりの方ですか」

 公園の入口と中。話をするには遠い距離だ。少女は鈴の鳴るようなかわいらしい声で問う。


「あ、あぁ。家がすぐ近くにある」

 家のある方向を指さしながら陽作は答える。


「そうなんですね……あなたくらいの年齢の方が立ち寄りそうな公園ではないので、少しびっくりしてしまいました」

「確かに、そうかもな」


 丁寧な言葉遣い。陽作と少女の間に確かな一線があることを感じた。陽作と少女は見知らぬ他人なのだから当然だ。そんな事実すら、今の陽作はなぜか痛いくらいにもどかしい。


「君は、このあたりには住んでいないんだよな。旅行?」

 陽作の住んでいる町には、観光できそうな場所はない。ありふれた住宅街だ。


 会話をやめたくない。その一心だった。


「はい、この町には昔一度訪れたことがある程度では、今回は……何と言えばいいんでしょう。しいて言うなら仕事、でしょうか」

「仕事?」


 陽作に女性の年齢を見抜く特技はない。少女の年齢は陽作と同じか、少し下くらいに見える。服も量販店で売っていそうなもので、何の仕事をしているのか見当がつかない。


「バイトみたいなもんか。俺も今、バイト帰りだよ」

「バイト、しているんですね。私はバイトとは少し違いますね。責任とか、いろいろあるので」


「責任か」

「責任です」


 その言葉が出たとき、少女の目の鋭さが一層増したように見えた。

 会話が途切れる。少女がパンと軽く手をたたく。


「そうだ、あなたに一つお尋ねしたいことがあるのですが」

「尋ねたいこと?」

「はい。最近、このあたりで変な噂が流れていたりしませんか? 幽霊を見たとか、人が消えたとか。そういう」


 人が消えた。思わず肩がこわばる。その変化を少女は見逃さなかった。警察官の取り調べのような鋭い調子で問う。


「あるんですね?」

「俺か、俺より少し上の人たちが行方不明になっているらしい」

「その噂、結構広まってますか?」

「どうだろう。俺も詳しい友達に聞いただけだから」

「なるほど。ありがとうございます」


 少女はペコリと頭を下げる。

 彼女はここから立ち去ろうとしている。行かせてはいけない。焦燥感がわきたつ。


 陽作の動揺はわかりやすかった。少女はそんな陽作を見て、冷たい雰囲気のまま、なぜか寂しそうに微笑んだ。


「人がいなくなるとは物騒な話です。あなたもあまり遅くまで出歩かないほうがいいでしょう」

「まって……」

「それでは」


 ゆったりとした足取りで、少女は公園から去る。引き留めたい。なのになぜか、足は石にでもなったように動いてくれなかった。

 少女の背中がだんだん小さくなる。ささやくような言葉は風に乗って、彼女の姿が見えなくなる瞬間に聞こえた。


「会えてよかった」


 その意味を、陽作は理解できなかった。


 *


 気づけば日は落ち、時間は夜になっていた。

 陽作は公園に一人立って、さきほど会話を交わした少女のことを思い出していた。


「一体、なんなんだ」

 心臓はいまだに落ち着いていない。少女の顔が頭から離れてくれない。


 こんなことは初めてだった。


 どうすればいいだろう。いや、どうするも何も、家に帰るべきなのはわかっている。

 家に帰り、冷蔵庫に入っている食材で夕食を作って食べる。シャワーを浴びて歯を磨いて、学校の課題を済ませて家計簿をつけて早めに寝る。


「それだけだ」

 それ以外の選択肢なんてないはず。なのに、自分は何を迷っているのか。


 少女が歩き去っていた方向に目を向ける。当然少女はそこにはいない。街灯の明かりもなく、暗い夜の闇が広がっているだけだ。

 そのはずなのに、彼女を追いかけるという選択肢が頭から消えない。


 少女の進んだ暗い道か、いつも通りの日常か。進むか、戻るか、迷っている。


「ちがう、な」

 首を振る。陽作は迷っていない。少女の後を追いたい。陽作の心はそう叫んでいた。


 ただ怖かった。


『みんな夜に出歩いているときにいなくなってるらしいぞ。だから、警告』

 祐介は言っていた。


『その行方不明事件だけど、そういう変なのは、あんまり気にしない方がいいと思うよ。』

 光瑠は言っていた。


『あなたもあまり遅くまで出歩かないほうがいいでしょう』

 少女自身も言っていた。


 夜の闇は冷たく、かすかに日差しのぬくもりを残した地面が、陽作を日常へと引き戻そうとする。確信めいた予感があった。このまま進めば陽作の日常は壊れる。その境界線の上に、今自分は立っている。


「俺は」

 光瑠の泣き顔が頭に浮かんだ。


 その顔を見てなお、彼女に好意をもてない自分を恨んだ。


 今なお高まったままの胸を押さえた。


「くそったれ」

 日常に背を向ける。足をあげ、陽作は暗い夜の道を歩き始めた。


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