第38話 ひかるのはなし④
初めて彼を見たのは入学式の日。
『大きい人だな』
それだけだった。
真新しい制服に身を包み、わくわくしながら駆け足で校門をくぐる。すると目の前に彼がいた。
『あ、ごめん』
彼の前で急停止したからだろう。彼は少し驚いたようだった。背が高く、横にも筋肉で大きい。スポーツでもやってるのかな、と思ったくらい。
『こちらこそ、ごめんね』
初めての会話はそれっきり。光瑠は待ち合わせをしている由乃の元へ急いだ。
入学式を終えて教室に入ると、同じクラスに彼はいた。彼は線の細い男子と仲よさそうに話している。
光瑠は何となく、彼を観察していた。由乃とはクラスが離れてしまったし、生徒たちはそれぞれ知り合いと話をしていた。
暇だったのだ。
出席番号が離れていたから、光瑠と彼の席は遠かった。
魔法と関わりのない、平和な世界に生きている人。
『あ、あの人プリント配るとき、後ろの人の顔見て渡すんだ』
他の人たちはみんな後ろ手に回しているのに、丁寧な人だな。そんなささいなことが気になるくらいだった。
自己紹介のときに、彼の名前が「向井陽作」というのだと知った。
太陽を作るとかいて「陽作」。
素敵な名前だなと、思った。
二度目のかかわりは、授業のグループ発表のときだ。6人グループで調べものをして発表する。入学して一月もたてば、クラスの人間がどういう性格をしているかわかる。
グループのメンバーは、光瑠を当てにする気まんまんだった。
『上沼さん、よろしくね』
とことん手を抜き、成果だけを手に入れたい性分の人間はいる。コミュニティの中にはいなかった人種で、それを理解するのにはだいぶ時間がかかった。
それ自体は、光瑠は何も思わない。光瑠の中で、くだらない人間だと、評価を下げるだけだ。
光瑠は一人でするつもりだったし、メンバーもそのつもり。しかし、陽作だけは違った。
『俺は何をすればいい?』
『へ? じゃあこっちの方を……』
周囲を気にする様子もなく、彼は光瑠と一緒に活動をつづけた。
はじめは自分に気があるのかと思った。中学時代、告白されたことは何度もあったから。とはいえ、陽作からそういう気配を感じることはなく、むしろ光瑠自身に対しては無関心に近いようだった。
他のメンバーに合わせて、適当に時間をつぶせばいいのに。ほら、いいやつぶりやがってって顔をされてる。
変な人だな、と思った。
けれどふとした拍子に、陽作の姿を追いかけている自分に気付いた。
光瑠が自分の思いをはっきりと自覚することになったのは、グループ発表が終わってしばらくしてから。陽作と会話をすることがなくなって、寂しく感じていた時のこと。
放課後の教室に忘れ物を取りに来た光瑠は、一人で本を読んでいる陽作と出会った。
『向井くん、何してるの?』
このころには、光瑠と陽作は気軽に話せる間柄になっていた。
『暇つぶし。この後バイトだから』
『バイトしてるんだ』
『金が必要だから』
とはいえ、プライベートなことを話すほどではない。光瑠も陽作もそうした事情に踏み込まれることを嫌っていたから、そうした意味でも気楽な関係といえた。
『ふーん。何読んでるの?』
陽作は黙って本の表紙を見せた。最近話題の恋愛小説。異世界から来た少女が、平凡な男の子に恋をする話だ。光瑠も読んだことがある。最終的にはなればなれになってしまった結末に、当然のごとく、光瑠は号泣してしまった。
『意外。向井くんってそういうの読むんだ』
『祐介……友達に勧められたんだよ。これ読んだらわかるかもって』
『わかるって、何が?』
『……恋心』
陽作は顔をしかめ、言いにくそうにしながらも答えてくれた。
光瑠はぽかんとした顔をしてしまった。
『笑わないでいてくれると助かる』
陽作は恥ずかしそうだった。
『笑わないけど……恋心がわからないから小説を読むんだ』
『悪いかよ』
『悪くはないけど……不器用』
小さく、光瑠は笑ってしまった。
『上沼、今ちょっと笑っただろ』
『笑って、ないよ』
『いや笑ってる。口元がゆるんでる』
違う理由だった。
恋心がわからないから、おすすめされた恋愛小説を読む。なんて不器用でまっすぐなんだろう。
『――あたしとそっくり』
『なんか言ったか?』
『ううん。何も』
向井陽作という男の子は、不器用なほどまっすぐで、純粋なんだ。周りのことなんて気にせずに、自分がやりたいと思ったことができる人なんだ。
あきらに魔法で勝てず、それでもひたむきに魔法を修行し続けた自分と、本質は同じなのだ。
一人じゃない。
それに気づいたとき、光瑠の心臓は大きくはねた。夕焼けの差す教室に二人きり。遠くから部活の掛け声が聞こえてくる。白いチョークのあとが残る黒板と、ぎっしり並ぶ机といす。その中心で、仏頂面を見せる彼。
好きだ。
この瞬間に、光瑠は、陽作に恋をした。
それからは一直線だった。
『えっ! あのひかちゃんが恋を!』
『うん。協力して』
自分の気持ちを自覚したその日に、光瑠は由乃の家に行って相談していた。由乃はこれまでの陽作との関係を全て由乃に話した。
『向井陽作っていうと、あー、あのあざとい野郎の友達かぁ』
『あざとい野郎って』
『気にしないで。こっちの話だから。それで、ひかちゃんの話だと、その陽作くんはひかちゃんに恋愛感情をもってるわけじゃないんだよね。というか、恋愛感情自体がよくわからないと』
『だと思う。だったら、もう告白してるから』
『おう、大胆』
由乃は笑う。
『本人自体も悩んでるってことなら、ひかちゃんが恋心ってやつを陽作くんに教えてあげればいいんだよ』
『じゃあ明日告白してくる』
『待て待て待て。イノシシかあんたは』
立ち上がりかけた光瑠に、由乃はちっちっちと指をふる。
『今のままだと確実に振られるよ、ひかちゃん。今のひかちゃんと陽作くんはあくまでクラスメイト、いいところ友達だよ。今の関係値じゃあ無理』
『ならどうすれば』
『ひかちゃんの得意なことをすればいいんだよ』
『つまり』
『攻めあるのみ! あ、こいつ俺に気があるんだなって思うくらいガンガンひかちゃんから距離つめていって! そうすればどんなに鈍いやつでも気づくから。で、気づいたころにいただいちまおう!』
『食べたりはしないけどね』
光瑠は由乃のアドバイス通り、次の日から攻めた。誰が見てもわかりやすいくらい露骨に陽作に話しかけ、遊びに誘った。
すでに優等生で通っていた光瑠の行動に、誰もが噂したが、光瑠は一切気にしなかった。
本気で陽作に恋していたから。
陽作がほしいと思っていたから。
夏になって、満を持して光瑠は陽作に告白した。
陽作の答えはイエス、だった。
光瑠は天にも昇る気持ちだった。
それからは満たされた日々を送った。陽作が恋人として隣にいる。魔法のことを何も知らない陽作という存在は、光瑠にとって平和の象徴であり、他の誰にも奪われない唯一の、「一番」だった。
だから
『別れよう』
春の雨降る夜に、その言葉を告げられた光瑠は泣いた。泣いて、泣いて、号泣した。
同時にわかっていた。
「あたしは、陽作くんに恋心をわからせてあげられなかった」
だから、陽作は光瑠に別れを告げたのだ。
「そのあとは、どうしたんだっけ」
泣いた光瑠は傘もささずに走って、確か由乃の家に行ったはずだ。泣きながら、ちっちゃな子どもみたいに感情をぶちまけて、またいっぱい泣いて、それで。
家に、帰って――
『■■■■■、■■■■■■■■■■■』
思い出せない。記憶が断絶している。
光瑠にとってとても大事な、記憶のはずなのに。
空気が動く。
キィィィ、と重い扉が開く音がした。顔を上げる。倉庫の入口に、月明りに照らされた彼が立っていた。
手に警棒を持ち、敵意をむき出しにした彼がいる。
来てくれた。たとえそれが光瑠のためではなく、あきらのためだったとしても、光瑠はうれしかった。
あきらと陽作。
光瑠の一番の敵と、光瑠の一番好きな人。
そんな光瑠の人生に大きな影響を与えた二人が、手を取り合って光瑠の敵になっている。
泣きたい気持ちを抑える。せめて笑おう。今の光瑠は、二人の敵なのだから。
「ようこそ」
不適に笑い、光瑠は言った。




