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夏、俺は魔法使いに恋をした  作者: クスノキ
第3章 初夏、俺は魔法使いを失った。
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第37話 ひかるのはなし③

 湿った空気が鼻をくすぐる。

「雨……降りそうだな」

 送信のボタンをタップして、光瑠はスマホを倉庫の片隅にそっと置いた。

 これから戦いになる。戦いに不要なものは身に着けておきたくない。


 薄暗い廃倉庫はがらんとしていて、光瑠の他には誰もいない。どんよりとしたこの場所に、光瑠はたった一人、独りぼっちだ。

「どうして、こうなっちゃったんだっけ?」

 声はくぐもった響きとして広がるが、答えてくれる相手はいない。


 光瑠は腰にまいたポーチに触れた。中には魔法をブーストするための呪術の結晶が入っている。

「そうだ。あたしが呪術師であることがばれて、だからあきらと陽作くんを襲撃したんだった。でも、仕留めきれなくて、陽作くんを呼び出した」

 なら、なぜ呪術に手を出したのだろう。いつから、自分は呪術師だったのだろう。


「頭、痛いな」

 思考がぼやけてまとまらない。ずきずきと頭が痛い。

 だめだ。誰かの声がする。これ以上、考えてはいけない。考えたら、光瑠はもどれなくなる。


 考えるべきは、別のことだ。

「あきら」

 長い黒髪の、彼女のことを思う。

 世界で一番大嫌いで、同時に世界で一番勝ちたい女。


「そうだ。あたしは、あきらに勝つために呪術に手を出したんだ」

 きっと、そうに違いない。


 ――光瑠はコミュニティに属する、魔法使いの両親の元に生まれた。

 となれば、娘の光瑠も魔法使いになることが半ば運命づけられていて、光瑠は当然のこととして魔法の修行を始めた。


 光瑠は優秀だった。魔法も、勉学も、運動も、何をやらせても飲み込みが早い。早熟な子どもで、一番だった。

 とりわけ、光瑠が熱心に取り組んだのは当然、魔法だ。寝る間も惜しんで難しい書物を読み解き、発音困難な呪文を暗記し、捧げられる時間の全てを捧げた。


『あたしは将来、コミュニティを支える立派な魔法使いになるの!』


 幼い頃の光瑠は口癖のように言い、本気そうなれると、彼女は信じていた。

「でも、違った。あたしは、優秀な魔法使いなんかじゃなかった」

 ケチが付き始めたのは、光瑠が8歳になったころ。


 光瑠の通うコミュニティの学校に、長い黒髪の女の子が転校してきてからのことだった。

 暗い子だなと、あきらを見て、はじめ光瑠は思った。

 ぼさぼさの黒髪は幽霊のようで、髪の隙間から見える表情は張り詰めたように固い。小さくて、やせっぽちで、目を離したらそのまま消えてしまいそう。事情があって、ここに来たのだと聞いた。その事情は光瑠たちには知らされなかった。

 弱そうな子だなと思った。だから、最初は助けてあげないと、そう思ったのだ。


『あたしが助けてあげる。席を案内してあげるね』

 古めかしい教室の前で、数十人の視線におびえるあきらに対し、光瑠は手を差し伸べた。

『ありがとう、ございます。でも』

 あきらはその手を取らなかった。おびえながら、自分で歩き出した。髪がなびいて、光瑠はあきらの目を見た。


 ぞっとした。

『私はこれから、たった一人で歩いていかないといけないんです』

 あきらの目は、痛々しいほどに強く輝いていた。深い絶望を乗り越えようとする意思にあふれていた。コミュニティの中で厳しい修行をしてきたはずの光瑠が、臆するほどの強さをもっていた。

 一体何を経験すれば、こんな目ができるようになるのだ。光瑠は本気で思った。


「重日あきら。あの子は、あたしなんかとは格が違った」

 上沼光瑠は平凡な魔法使いでしかないことを思い知らされる。真に優秀な魔法使いは、彼女であると思い知らされた。何をしても敵わない。光瑠が人生すべてを捧げたと思っていた魔法において、光瑠はあきらに何一つ勝てなかった。

 早熟な子どもは、遅咲きの本当に才能ある子に及ばない。10歳になるころには、勉強でも、運動でも、光瑠に勝る子どもが現れた。


 光瑠は、一番ではなくなった。

 光瑠は子どもたちの中心であり続けた。一番でなくとも、まんべんなく優れた能力を示す彼女は、尊敬を集める子どもではあったから。

 それでも、一番の関心はあきらにあった。


『あいつさ、むかつくよね』

 誰かが言った。あきらは誰ともつるまず、いつも一人でいた。その上、魔法の成績はずば抜けていた。

 コミュニティの魔法使いの子どもたちだ。誰しも魔法については譲れないものがあった。


 あきらへの嫌がらせが始まった。無視、物隠し、暴力。魔法では束になってもあきらに勝てない。だから、あきらの心に攻撃をすることにした。

 あきらは平然としていた。大人に訴えることもなく、無視は受け流し、物を隠されれば新しいものを準備し、暴力にも抵抗しなかった。

 光瑠は嫌がらせには加担せず、傍観していた。


『そんなことをする暇があるのなら、魔法の修行をすればいいのに』

 とだけ思っていた。


 ただ一つ、あきらの髪を切ろうとした子どもがいた。それがあきらの逆鱗に触れた。

 唯一あきらがし返した場面を、光瑠はたまたま見ていた。

 あきらが使ったのは、ずっと一緒に魔法を修行してきた光瑠も見たことがないものだった。その魔法は、光瑠の目に焼き付いた。髪を切ろうとした子は心底おびえ、あきらに一切近づくことはなくなった。


 あんな冷たい殺意そのもののようなものを見せられれば、そう思うのも当然だろう。

『どうしてあなたはしないんですか?』

 いつか、あきらが珍しく光瑠に問うてきたことがある。あきらは誰がどんな嫌がらせしてきたのか、全て理解していた。その上で、最も自分に敵意を向けているにもかかわらず、一切嫌がらせをしなかった光瑠を不思議に思ったのだろう。


『正面から勝たないと意味がない』

 光瑠はあきらにそう言ったのだ。そして、その言葉通り、正面からあきらに勝つために、光瑠は必死になって努力した。基礎魔法を習得し終え、二つ目の魔法は、あきらと同じ強化魔法にした。同じ土俵で、正面から上回れるように、必死で。


「――結局、あたしは勝てなかったなぁ」

 光瑠があきらに勝てたことは一度もなかった。12歳になって、あきらには選択肢が与えられず、光瑠には選択肢を与えられた。

 コミュニティの中で生涯生活し続けるか、それとも平和な日常に身を置いて生活するか。

 仮に光瑠があきらと同じくらい優秀であるのならば、光瑠にもまた、選択肢は与えられないはずで。


 そこで一度、光瑠の心は折れてしまった。だから、光瑠は平和な日常に身を置くことを選択した。

 魔法を知らない者たちの中での生活。ひっそりと魔法の修行を続ける生活。

 何もかもが違う生活の中で、光瑠を支えてくれたのは、由乃と時季子だった。


 文化の違いに戸惑い、孤立しかけていた光瑠を手助けしてくれた由乃。彼女の計算された明るさは、光瑠の指針となった。

 光瑠の下宿先で、魔法の師匠となってくれた時季子。指導は丁寧かつ厳しく、光瑠の魔法の技術はコミュニティの学校にいたときより格段に向上した。

 一番とか、あきらに勝ちたいとか、そういうものと切り離された生活は心が楽で、居心地がよかった。光瑠の中学校の3年間は、穏やかに過ぎていった。

 光瑠は高校へ進学する。


 そして、運命の人と出会うことになる。


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