第35話 急襲②
「あきらから離れろ!」
あきらの血を見た瞬間、陽作の頭もまた真っ赤に染まった。怒りに任せ、急襲を仕掛けた光瑠に殴りかかる。
「言われなくても」
従者として強化された陽作の拳は空をきる。剣を引き抜いた光瑠はひらりと跳躍し、和室の壁に身を寄せる。
陽作は崩れ落ちそうなあきらを抱きかかえた。
「大丈夫か!」
「な、なんとか……」
「へぇ、意識あるんだ。強化魔法をすぐに使ったのかな」
あきらは傷口を手で押さえ、光瑠をにらみつけた。あきらの顔色はすでに真っ青で、体が痙攣を起こしている。
弱ったあきらを見て、光瑠は楽し気に笑う。
光瑠は制服の上に黒いローブをまとい、右手にはあきらを傷つけた剣を握っていた。刃幅の細い、レイピアのような剣だ。
そして左手には濁った結晶を持っていた。
その結晶を、陽作は見覚えがあった。
「なぜ、あなたが」
息も絶え絶えな様子であきらが言う。
「呪術師になったのかって?」
光瑠が見せつけるように濁った結晶を掲げる。そして、その結晶を握り砕いた。
黒い人魂が光瑠の周辺に現れる。『ゆがみ』だ。ゆがみは光瑠の周辺を渦巻き、彼女の中に消える。ビクン、と光瑠の体が大きくはねた。
光瑠の顔が、狂気に歪む。それは陽作の背筋が凍り付くような表情だった。
「すごいわよね。呪術って。……あたしはこれまでずっとあんたに魔法で勝てなかった。でも呪術でブーストしたらこれだ!」
狂的に笑う光瑠の姿が消える。
薄暗い室内に、光瑠の声が響く。
「こんな近くにいても、あんたはあたしに気付かなかった。道具頼りの魔法でさえ、呪術はあんたの目をだませるくらい高めてくれる!」
姿は見えないが、声は少しずつ移動していた。陽作は全神経を研ぎ澄ませ、声の方向をたどる。
おかしい。陽作は思う。あきらは腹を刺されていた。だがそれであのあきらが、魔法で肉体を強化できる魔法使いがこうも動けなくなるものだろうか。
あきらの息がだんだん浅くなっていく。じりじりと手足の先から焦燥感がせり上げってくる。
「陽作くん、いいこと教えてあげる」
そんな陽作の思考を読んだように、光瑠は告げる。
「あたしの剣には毒を塗ってる。魔法使いの意識を奪って、苦しめて殺すための毒だよ」
「毒って……あきら!」
あきらの目はすでに焦点が合っておらず、虚ろに開かれるばかりだった。焦る陽作に、光瑠は舌打ちをする。
「なんで、なんでその女なんだ。陽作くん、どうしてあたしじゃなく、あきらを……なんで、なんでなんでなんでなんでなんで!」
どす黒い嫉妬の炎が燃え上がるようだった。嫉妬と憎悪に満ちた声が、がりがりがりと頭をかく音が、光瑠の狂気をこれ以上なく証明していた。
声が、音が、唐突に途切れる。
「離れて、陽作くん。そいつを殺すから」
平坦な声。陽作はあきらを抱きしめた。
「……っつ」
衝撃。
陽作はあきらを抱きしめたまま蹴り飛ばされる。すさまじい力に陽作はあきらごと吹き飛ぶ。家の壁をぶち抜き、隣の、かつてリビングだった部屋にたどり着き、置き忘れられた古いテーブルに激突した。テーブルは破壊され、砕けた残骸が陽作とあきらに降り注ぐ。
蹴られた腹部が激痛を発していた。陽作の口からぬめりを帯びた液体があふれる。みっともなく床に転がる陽作は、血を吐き捨て、どうにか起き上がろうと体に力をこめる。
「離れて」
光瑠がゆったりと歩いてきた。姿はまた見えるようになっていた。光瑠は陽作の前に立ち、剣を振り上げる。
「あたし、陽作くんを傷つけたくないな」
「もう、蹴っただろ」
「それはごめん。でも陽作くんがそいつを抱きしめているところを見たら、ついイライラしちゃって」
剣を振り上げたまま、光瑠は体を起こす陽作の頭を踏みつけた。起き上がりかけた体はまた這いつくばることになる。あごを打ち付けて、陽作の意識が一瞬飛ぶ。
「だから、離れて」
どうすればいい。陽作は必死になって考えていた。
あきらは毒で重傷。陽作自身も負傷している。光瑠は魔法使いで、しかも呪術で魔法を強化している。
このままではあきらが殺されてしまう。
陽作はあきらを離すまいと強く抱きしめる。ピクリと、光瑠の瞼が痙攣する。剣を下ろす。光瑠の靴先が、陽作のあごをくいと持ち上げる。
同時に、陽作に抱きしめられたあきらが、わずかな力で陽作の体を握り返した。
まだあきらには意識がある。ならあきらが手を持っているかもしれない。強引に目を合わせられた陽作は時間を稼ぐことを決める。
「上沼は、そんなにあきらのことが嫌いなのか?」
「嫌い」
苦し紛れの問いかけに、光瑠は応じてくれた。
「前話したことがあったでしょう。あたしは一番にはなれなかった。いつもあたしの上には誰かがいて、あたしはその上を行くことができない。そいつがいる限り、あたしは一番にはなれない」
「だからって、なんで呪術師に。一番になるために人を殺すようなやつじゃなかっただろ。お前は」
「それは――あれ?」
光瑠の目が泳ぐ。
「なんで、なんであたしは呪術を。いや、そもそもこんなことするつもりは……あれ?」
剣を取り落とし、光瑠は急に頭を抱えた。顔を苦痛にゆがめ、何度も首を振る。
「自分の力で一番にならないといけないのに。あたしが、あたしだけの力でやらないといけないのに。あれ、なんでなんでなんで」
光瑠は錯乱していた。陽作もまたわけもわからず混乱する。
錯乱しているはずの光瑠の目が、感情のないガラス玉のように見えた。
「――〈代償〉」
小さく、ささやくような、あきらの声。
苦痛をこらえるような、今にも泣き叫びだしそうな声だった。
「……〈モールで遊んだ、楽しかった記憶〉」
それは、陽作が忘れたくないと願った幸福の記憶だった。
代償は、それが価値あるものであるほどに、効果を高める。
「〈欺け〉」
魔法の効果は劇的だった。
「……どこっ!」
光瑠の絶叫が響いた。光瑠があきらと陽作を見失っていた。光瑠は目玉がこぼれるほどに目を見開いて、きょろきょろと二人の姿を探している。
陽作とあきらがいる方向には、不自然なほどに目を向けない。
光瑠は二人を探して、二人の目の前から離れた。
「逃げ、ましょう」
「あ、あぁ」
できる限り音を立てないように起き上がる。だが、蹴られたダメージは大きく起き上がり切れない。
「〈代償〉」
再び、あきらは切り札をきった。あきらは震える手で自身の黒髪を握りしめる。
「〈一束の髪〉〈従者に強化を〉」
あきらの握った髪が、さらさらとした灰になって夜の闇に消える。体が軽くなる。腹の痛みもすっかり消えていた。すんなりと起き上がれた陽作はあきらを抱きかかえたまま、脱出を図る。
「あきら」
すでにあきらは意識を失っていた。力なく、陽作の胸の中にいる。唇をかみしめ、初夏の夜空の下を、陽作は声を出さずに走った。
「どこにいる!」
引き裂くような光瑠の叫びを背に聞きながら。




