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夏、俺は魔法使いに恋をした  作者: クスノキ
第1章 春、俺は魔法使いと出会った。
3/4

第3話 陽作の日常③

「痛い!」


 祐介は授業が始まって5分経った頃に、教室に入ってきた。淡々とした老年の教師御子柴の説明がちょうど終わるくらいのタイミング。ニコニコ笑顔で近寄る祐介に、陽作は一発げんこつを食らわせる。


「模写中は静かにするように」


 ゴン、とそれなりにいい音がしたはずだが、御子柴はぼそぼそとそれだけを言うだけだった。そして、彼はもう生徒たちの方を見もせずに、黒板横に立て掛けられているキャンバスの前に座った。枯れ木のような腕で絵筆を持ち、もくもくと自分の絵をかき始めてしまった。


「おーおー、さすがはミコセン。ガチ芸術家だぁ」

 祐介は頭をさすりながらあおるように小さく言う。ギロリと、蛇のような目が祐介を睨みつけた。


 祐介が慌てて口を手でふさぐと、御子柴はまたキャンバスに視線を戻した。


 教室の中央には美術室でよく見る男性の半身の象や、リンゴ、ペットボトルなどバラエティ豊かなものが置かれていた。小さなものなら手元に持ってきていい。とにかく一つ選んで模写して提出。雑に描いた場合はやりなおし。それが今日の課題だった。陽作たちは机やいすを動かしながら模写しやすい位置を探る。

 陽作は複雑な模様の入ったラベルのついたペットボトルを手に取る。祐介は男性の半身像を模写することに決めたらしい。隣り合って座って模写を始める。


 御子柴の眼力の恐ろしさは誰もが知っている。教室は鉛筆と絵筆を動かす音だけが響く。重苦しい沈黙が10分、20分と続き、30分経つ頃にはちらほらと模写を終える生徒がちらほら出てくる。御子柴は模写の絵をにらみつけるように見て、合否の判定を下す。


 半身像の複雑さに苦しむ祐介を横目に、陽作は御子柴のところへ絵を持っていく。


「おぉ」


 その拍子に御子柴が描いている絵が目に入った。柔らかい色彩を用いて描かれていたのは「お菓子の家」だった。家の入口にはいかにも優しそうな老婆がいて、やせた子どもたちに手招きしている。

 極端なくらい温かみのある色彩とタッチが、逆に不気味に見えた。それは陽作が「ヘンゼルとグレーテル」の物語を知っているからか、それとも御子柴の高い画力があるからなのか。


 御子柴は陽作の絵を見ると、ふんと鼻を鳴らした。

「お前の絵はいつもつまらんな」

「……ありがとうございます」

 合格、ということだった。


 陽作は1年生のころから御子柴の美術の授業を受けているが、やり直しの場合は「やり直せ」とだけ言われる。つまりそれ以外の言葉が返ってくれば合格ということだ。

 陽作は御子柴から「つまらない」以外の評価を受けたことがない。2年生に進学してもそれは変わらないようだ。


 教卓のかごに紙を入れる。入れ違いで模写を完成させた祐介が絵を見せにいっていた。

「感覚を磨け」

 御子柴は短く祐介に言い捨てる。祐介はよっしゃーと両手を上げる。


「終わった、終わった」

 大きく伸びをして、祐介は陽作の肩を組んだ。


「ちょっとしゃべろうぜ」

「わかったよ」

 祐介の腕を払いのけながら陽作は答える。御子柴の眼力は飛んでこない。


 御子柴は「模写中は静かにするように」と言った。つまり、模写が終わればあとは自由。おしゃべりしてもいいということだ。すでに半数以上の生徒が課題を提出した。教室の重苦しい雰囲気は薄れ、声をひそめてしゃべる声があちこちから聞こえてくる。


「で、上沼とよりは戻さないのか?」

「……その話か」


 もう一発殴ってやろうか。こぶしを握ると、祐介は肩をすくませて降参とばかりに両手を上げる。


「悪い悪い、殴らないで。死んじゃう」

「さっきは余計なことしやがって」

「悪かったってば。あーでもさ、余計なお世話なのはわかってるけど、陽作のためには上沼がそばにいた方がいいって思ってるんだよ。陽作だって、上沼のことが嫌いになって別れたわけじゃないだろ」

「それは、そう、だが」


「少なくとも上沼は、まだ陽作に未練たっぷりっぽいし、陽作が一つうなずくだけで元通り。実際、あいつがフリーになったから何人か告白しているみたいだけど、みんな玉砕してるぞ」

「そうなのか」


「そうだよ。さらに言うとな、『あたし好きな人がいるから』って言って断ってんだぞ。こういう言い方はあんまりよくないけど、あんないい子を手放すなんて選択肢、普通はないからな? そこんとこ、お前は理解してない!」

「わかってるよ」


 返す言葉もない。だが、決して軽い気持ちで陽作は光瑠と別れることを決めたわけではない。これでも陽作なりに真剣に考えた結果だ。


「まーいきなり急にってわけでもないから、陽作ももう少し考えてみろよ。俺は陽作の味方だからな」

「……いつもありがとな」

「おいおい、そこは気持ち悪いこと言うな、だろ」


 祐介は陽作を特別扱いしている。光瑠の言っていたことを思い出しての感謝に、祐介は苦笑いをする。


「お礼を言うのは、俺の方なんだからさ」

「ん、今なんて」

「あー、いや気にすんな。じゃ、俺は情報屋らしく、情報を集めてくるから」


 ピッと手を挙げて、祐介は5、6人でまとまっているグループのところへ向かっていった。と、その足を止めて祐介は陽作に振り返る。


「そうだ。川島先輩からまた陽作に助っ人の依頼が来てたぞ。今年も部員が足りないそうだから、ぜひ頼みたいって」

「わかった。考えとくよ」

「頼んだ。――へいへーい。なんの話してんの?」


 陽気なノリで祐介は別のグループに渡っていった。よく見れば、祐介の表情は陽作と話すときとはわずかに違うような気がする。見慣れた祐介の顔が、一瞬見知らぬ他人のように見えた。


「よりをもどす、ね」

 教室の窓際で、光瑠は模写を続けていた。真剣そのものの表情で、鉛筆を絶えず動かし続けている。


 祐介の言う通り、陽作は光瑠のことが嫌いになって別れたわけではない。というよりも、嫌いになる要素がなかった。陽作と付き合っていたときも、光瑠は周囲の評判通りの人間だった。公平で接しやすく、何より不器用な陽作のことを好いてくれていた。


 だからこそ、陽作は光瑠とは一緒にいられないと思ったのだ。


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