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夏、俺は魔法使いに恋をした  作者: クスノキ
第3章 初夏、俺は魔法使いを失った。
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第29話 手のひらの上の幸福論⑤

「白井水……結婚されたんですね」

 陽作の知る真子の苗字は小山だった。小山真子。人懐っこい子どもからは名前の真ん中をとって「ママ先生」と呼ばれていた。


「うん。何年か前にね」

 そう言って真子はぎゅっと赤ん坊を抱きしめる。赤ん坊は母親の胸の中ですやすやと眠っていた。そんな我が子を見つめる真子の顔は、母親の顔をしていた。

 母親。チクリと、陽作の胸が痛む。


「それにしても、よく俺だってわかりましたね」

 真子が陽作の担任をしていたのは、彼が小学2年生のとき。もう10年も前の話だ。背丈も伸び、顔も声も変わっている。


「みんなわかる自信はないけどさ、陽作くんは特別。なにせ、あたしの教員人生の中で一番手を焼いた子だったからね」

「手を焼いた、ですか?」

 そこであきらが会話に入ってくる。初対面の二人だが、真子は気にする様子もなく言葉を続ける。


「そうなの。昔の陽作くんは、それはもう大変でね。ぶすっとした顔をずっとしてて、同級生だろうが、上級生だろうが構わずにけんかを売りに行くような子だったんだよ。6年生ににらまれたーなんて言って、けんかしに行って、しかも最終的には馬乗りでぼっこぼこ」

「それはどっちが」

「陽作くんが上だったね。あの光景を見た時はさすがに腰ぬかしたもんよ。なんで2年生が6年生にけんかで勝ってんだーってね」

「へぇー」


 とあきらは意外そうに陽作の顔を眺める。思い出したくない過去を掘り起こされ、陽作の顔が赤く染まる。

「勘弁してください。あの頃の俺はいろいろと荒れてたんです」

 陽作の両親が一番不仲だった時期だ。当時の陽作はまだ両親の愛情というものに期待していた。だから、自分を見てほしくてめちゃくちゃなことばかりをやっていた。

 今思えば、そんなことで両親が陽作を見てくれるはずもなく、けんかをふっかけた同級生や上級生には申し訳ないという気持ちでいっぱいだ。


「うんうん。わかってる。陽作くんにもいろいろあったからね」

 真子はそんな荒れに荒れていた陽作に、真正面から関わってくれた大人だった。毎日トラブルを起こす陽作の対応に奔走し、ずいぶん叱られたし、迷惑もかけた。

 同時に、そんな陽作に笑いかけてくれる唯一の大人でもあった。当時は素直になれなかったが、陽作が3年生に進学するとき、異動になってしまったときは、心にぽっかり穴が開いてしまった気分になったものだ。


「でも、安心した!」

 真子は満面の笑みを浮かべる。

「正直、ずっと心配してたんだよ。あの子はどんな大人になるんだろう、頼れる人はいるのかなって。だけど!」

 真子は片手で赤ん坊を抱いたまま、もう片方の手であきらを指さす。


「こーんなかわいい彼女さんまで作っちゃって! 先生は安心したよ。それにすっごく優しい顔をするようになったよ。だから、安心した」

 陽作はあきらと困り顔で顔を見合わせる。

 そうだった。真子はこういう人だった。底抜けに明るく、善良で元気いっぱい。けれど思い込みが激しく、おせっかいなところがある。

 陽作とあきらはお付き合いをしている関係ではない。魔法使いと従者という、人には話せない関係だ。


 どう説明したものかと陽作がうなっていると、あきらがおずおずと手を挙げた。

「その、私と向井くんはお付き合いをしているわけではなく」

「えっ! だったら、陽作くんの片思い!?」

「仮に片思いだとしたら、それをそんな大声で言われる俺の身にもなってください」

「じゃあ二人は友達?」

「ううん……」

 今度はあきらが頭を悩ませ、うなり始めてしまう。


 本当の関係を言えるはずもないので友達だ、といえば丸く収まることはすでに思いついていたが、ほんのり、陽作はあきらが何と答えるのか気になってしまった。

「友達? というには関係が薄い気がしますし、かといって恋人というわけでもない。とすれば」

「友達以上恋人未満?」

「ええと、そうですね。とりあえずそれで」

 ふむとあきらが一つうなずく。


 それでいいのかと、陽作は心の中でツッコミをいれる。

 ほほうと、真子が面白そうなものを見つけた顔をする。

 そこで、真子が抱いた赤ん坊がぐずり始めた。


「おっと、ちょっとごめんねー。おーよしよし、いい子だからねー」

 赤ん坊に優しい言葉をかけながらあやす。その姿を陽作はじっと見ていた。

 きっとありふれた母子の姿。それは陽作が手に入れたくて結局、手に入れられなかったものだ。

 そしてあきらもまた、その光景をどこかうらやむように見ていた。


 二人の視線に気づいた真子は、ちょっとした勘違いをしたらしい。うとうとしだした赤ん坊を二人の方へ差し出した。

「抱っこしてみる?」

「え、いいんですか」

「もちろん!」


 赤ん坊を抱いた経験なんて当然陽作にはない。が、陽作は吸い込まれるように真子の子どもを抱いた。

「――あ」

「どう、かわいいっしょ?」

 日向のような赤ん坊の匂い。真子が「にひひっ」と笑う。両手にずっしりと伝わる重さと熱いくらいの体温が伝わってきた。赤ん坊は陽作の腕の中で、安心しきった顔ですやすやと眠っている。真子を真似してゆっくりとゆすると、にんまりと赤ん坊は笑みを浮かべた。


 あぁ、と陽作は思う。この燃える命の塊のような存在は、世界が安全なものだと信じ切っている。自らに訪れる全てのものが幸福なものだと思えている。

 うらやましい。胸の奥からこみ上げてくるものがある。少しだけ強く、陽作は赤ん坊を抱きしめた。

 せめてその思いこみが、少しだけでも長く続きますようにと祈りながら。

 この子の平穏が、守られますようにと願いながら。


 その顔を見て、真子は「ほー」と声をもらす。

「驚いた。太陽、あたし以外が抱っこするとすぐ号泣するのに。旦那でさえぐずるのに」

「太陽?」

「ん、この子の名前」

 陽作と太陽。同じ漢字が入っている。たまたまだろうか。


「私も、抱いてみていいですか」

 そわそわとした様子であきらが言う。

「おう、抱っこしてみて」

 真子にうながされ、名残惜しさを感じながら陽作はあきらに赤ん坊――太陽を渡す。

 あきらは細い腕で太陽を受け取り、にまにましながら抱きしめる。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ」

「な、なんで」

「あちゃー、やっぱりだめだったか」

 その瞬間、赤ん坊は火が付いたように泣きだしてしまった。

 その様子に、あきらも同じように泣き出しそうになっていた。


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