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夏、俺は魔法使いに恋をした  作者: クスノキ
第3章 初夏、俺は魔法使いを失った。
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第26話 手のひらの上の幸福論②

『2年B組向井陽作、2年B組向井陽作。放課後に美術室まで来るように。繰り返す。2年B組向井陽作。放課後に美術室まで来るように。以上』


「……今の放送、ミコセン?」

「だよ、な」

 しゃがれた低い声だった。陽作は祐介と顔を見合わせる。


「陽作、なんかミコセン怒らせるようなことした?」

「いや……」

 首を振りかけて、止まる。

 師匠の道場にいた御子柴。師匠が言っていた。御子柴はもともと高名な魔法使いの従者であったと。


「心当たり、あるかも」

「まじかよ。何やらかしたん?」

「やらかしたわけじゃないけど」

 昼休みにわざわざ放送するくらいだ。しかも放課後に来いということは、長い話になるのかもしれない。


「とりあえず行ってみるよ」

「おー、死ぬなよ、陽作」

「祐介は御子柴先生をなんだと思ってるんだよ」

「聞きたい?」

「言わなくていい」

「ちぇっ」

 食べ終わった弁当箱の風呂敷を包みながら、祐介が唇をとがらせた。


 *


 放課後、陽作は美術室を訪れていた。下校の挨拶のあと、すぐに来たから周囲に他の生徒の姿はない。


「失礼します」

「入れ」


 ノックすると、すぐに返事があった。扉を開けると、電気のついていない薄暗い教室で一人、美術の授業のときと同じように黒板の前で絵をかいていた。御子柴は絵筆で教室の机を指さした。

 そこには一枚の画用紙と、りんごが置かれていた。


「描け」

 有無を言わせぬ調子で言う。模写をしろということだろうか。入口で戸惑う陽作を、御子柴は蛇のような目でにらみつける。


「早くしろ」

「わ、わかりました」

 怖い。机に座り、鉛筆を手に取る。そしていつかの授業のように、模写を始めた。


「――できました」

「見せろ」

 時間にして30分ほど。陽作は鉛筆を置いた。御子柴は机の上から画用紙を取り、ぎろぎろと陽作の描いた絵をにらみつけるように観察する。


「絵には、その人間の本質が現れる」

 唐突に、御子柴は語り出した。


「雑な人間は雑な絵を描く、丁寧な人間は丁寧な絵を描くなどという話ではない。人間の表情から感情を読み取るのと同じだ。難しいことではない」

 難しいことだと思う。

 少なくとも陽作はそう思うし、御子柴と同じことを言っている人を見たことがない。


「なら、俺はつまらない人間ってことですか」

 美術の授業で、陽作は御子柴からずっとそう言い続けられてきた。御子柴の言っていることが正しいのなら、そういうことなのだろう。

 ふん、と御子柴は鼻を鳴らす。


「そうだ。お前の絵はつまらんし、お前もつまらん。欠けた人間の絵など、見る価値はない」

「欠けた人間……」

「だが」

 御子柴は口の端をつり上げた。


「面白い絵を描くようになった。欠けた中身が埋まれば、こうも変わるものか」

 そう言って、御子柴は陽作に絵を差し出す。


「〈断罪者〉から聞いた。お前は魔法使いの娘の従者になったそうだな」

「え、あの人本当にみんなから、その名前で呼ばれているんですか?」

「……あの莫迦者から聞いた」


 言い直した。


「はい。俺はあきらの従者になりました」

「あきら……か」

 御子柴は顔をしかめる。


「知っているんですか?」

「いや、知らん」

「俺を呼んだのは、俺が従者になったからですか?」

 御子柴は浅くうなずく。


「そうだ。とはいえ、私はあの世界からすでに身を引いている。根掘り葉掘り聞くつもりはない。聞くのは一つだけだ」

 御子柴は絵筆を置く。その仕草はとても丁寧で、優しかった。


「お前は一人の男として、その女のことを大切に思っているか?」

 奇妙な言い回しだと思った。「従者と魔法使い」ではなく、「男と女」と御子柴は言った。

 答えは、考えるまでもない。


「大切に思っています。彼女のそばにいて、そばで守ると約束しました」

「そうか」

「え」

 陽作は絶句した。


 いつも険しい顔しかしていない御子柴が、柔らかに微笑んでいた。芸術家然とした雰囲気が消え、孤独に孫を見守るようなさびしく、穏やかな顔に見えた。

 変化は一瞬だった。御子柴はまたすぐに険しい顔になる。


「ならば従者として、その魔法使いを助けてやれ。……私にはできなかったことだからな」

「それは」

「語るつもりはない。話は以上だ。帰れ」


 御子柴はそれっきり絵筆をとり、絵をまた描きだしてしまった。キャンバスの絵は、この前と同じ『ヘンゼルとグレーテル』のお菓子の家をモチーフにしたものだ。

 絵は陽作の目にはほとんど完成しているように見えた。

 その絵を見て、陽作は思い出すことがあった。


「そうだ。一つ質問が」

「なんだ」

「以前、先生は上沼光瑠の絵を見て『分かった』とだけ言っていましたよね。あれは一体どういう意味だったんですか?」

 御子柴が絵を見て、人の本質を見抜くというのなら。


 欠けた人間である陽作の絵が「つまらない」のなら、「わかった」とだけ言われる光瑠はどんな人間なのだろうか。

 光瑠の名前を聞いて、御子柴の筆が止まる。


「はぁ」

 深い、重々しいため息を、御子柴はついた。


「知らんほうがいい」

「どういう意味ですか?」

「そのままの意味だ。この世には、知らない方がいいことがたくさんある。それに」

 御子柴は優し気な顔をした魔女の老婆に一筆入れる。


 微笑むようだった老婆の笑みが、嗜虐的な笑みに変わった。

 むごい顔で子どもたちを手招きする、老婆の絵。


「どうせすぐわかるだろう」


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