第24話 陽作とあきら②
あきらの汚部屋改善大作戦は、夕日が差す頃には終わった。
あきらがこの部屋を利用し始めてまだ日が浅く、物の種類も少なかったことも大きかった。
カーテンを開け放ち、窓を開けて初夏の空気を取り込む。衣類を新品と使用済に分け、使用済の衣類も、使えるものと使えないものに分け、もう使えないものはもったいないが処分した。使えるものは買い物ついでにランドリーに行って、洗濯機に放り込んだ。
レジ袋も全て一度開け、燃えるゴミと燃えないゴミ、プラスチックごみに分別する。栄養ドリンク剤の瓶と割り箸を一緒に入れるな、ごみ処理場のことを考えろと、こっそり義憤に燃えていた。
シャワーを浴びて服を着替えたあきらも、はじめの方は手伝おうと陽作の周囲をうろうろしていたが、手際よく家事をこなす陽作を前にできることなしと、判断したらしい。
ただ、下着に関してのみあきらは譲らなかった。あきらもそこまで女を捨ててはいなかったらしい。もっとも、その下着に関しても、あきらの胸のふくらみは大変控えめということも併せて、色気のかけらもないものばかりだったが。
水場に関しては、意外ときれいさを保っていた。キッチンの流し場は使われた形跡がほとんどなく、亜鉛やビオチン、たんぱく質といったサプリメントの数々が、並べられていた。確か、全部髪にいいものだったはずだ。
まだ水気と熱気の残る風呂場には、見たこともない何やら高価そうなシャンプーやトリートメントが置いてあり、洗面台には手触りのよさそうなブラシがいくつもあった。
いつの間にか、あきらは洗濯されたシーツの敷かれたベッドの上で眠っていた。身じろぎもせず、深い寝息を立てている。
「ほんと、警戒心のない」
そうは思いつつ、よほど疲れていたのだろう。あきらは疲労困憊だったようだし。
「よし!」
栄養のあるものを作ろう。陽作はキッチンに置いた食材の数々を見て、改めて気合を入れ直した。
「――あれ。私?」
「起きたか」
すんすんと鼻を鳴らして、あきらは目を開ける。ぐっと伸びをするとキッチンにいる陽作を見て、何をしているのだろうと首をかしげる。寝起きはいいらしい。「なんで陽作くんがここに!」みたいなやり取りはできないようだ。
「ちょうど出来上がったところだ」
「わぁ」
陽作がかき混ぜる鍋の中身をのぞき込み、あきらが感嘆の声を上げる。作っているのはカレーだった。ぐつぐつと煮えた鍋の中には、ジャガイモやにんじん、玉ねぎ、牛肉と具沢山だ。いつもは豚か鶏を買うところを、奮発して牛にしたのは内緒である。
「組み合わせはあんまりよくないけど」
となりのフライパンにはレバーと野菜の炒め物がすでに作ってあった。
「あの戦いで、結構血を代償に使っただろ。」
「ありがとうございます」
細やかな気遣いに、あきらの表情が緩む。
「さすがに米は買えなかったから、パックご飯になるけど」
「あ、お金……」
「いいよ、別に」
陽作がやりたくてやっていることだ。だが、あきらはよしとしなかった。
「だめです。これは向井くんが支払うべきお金ではありません。それに、私は魔法使いとしてお給金をもらっていますから、実はけっこう余裕があるんです……って向井くん、どうしました?」
「向井くん」
あきらはきょとんとしている。おかしい。戦いのとき、あきらは陽作を呼び捨てで呼んでいたはずなのに。
お金のことと言い、縮まったと思っていた距離はまだまだ開いているらしい。ちょっとショックだった。
「あー、カレーとか皿によそいじゃうから、テーブルに座って待ってて」
「手伝いますよ」
「いや、あきらまだ手を怪我してるだろ……ってあれ?」
あきらの指先には、健康的なピンク色の爪が生えていた。右手、左手と、全ての爪が生えていることを確認する。
「なんで」
「あ、爪ですね。『治し』ました」
「治した?」
「はい。私は魔法使い、ですから」
あきらの右手がうっすらと光を帯びる。
「切り傷とか、爪の欠損とか、ちょっとした傷なら、数時間あれば治せてしまうんですよ。血液も同様です。そうでなければ、代償で爪や血を軽々しく捧げることもできませんよ」
「それは……すごいな」
さらりと言ってのける。この意外とずぼらな少女は、やっぱり非日常の世界の住人なのだ。先入観にとらわれてはいけないと、陽作は改めて思った。
*
「おいしい。手料理というのを久しぶりに食べました」
「あきらは料理の腕って……いやなんでもない」
「やったことがないだけで、やろうと思えばできると思うんです。多分」
カップ麺の匂いは、スパイシーなカレーの匂いに上書きされ、部屋の見えるところには衣類の一つ、ごみ袋一つ存在しない。
「ようやく、人間らしい暮らしになった」
「向井くんって、結構口悪いですよね」
「よく言われるよ」
そんな他愛のないことを話しながら、テーブルで二人食事をとる。
あきらは結構な健啖家だった。何杯もおかわりして、数日分と思って作ったカレーを消費していく。この小さな体のどこに入っているのだろう。これも魔法なのか。陽作には不思議でならない。
食事がひと段落ついたところで、陽作は話を切り出した。
「これからのことなんだが」
「これから、ですか」
「そうだ」
あきらはコップに入った水を飲んでいる。
「本日、無事俺とあきらは従者契約を結んだわけだが」
「はい。私と向井くんは主と従者の関係ですね」
「む……いや、いいや。それでだな、これから俺はどうすればいい? 俺としてはとりあえず、あきらと一緒に町の捜索をするのかな、なんて思っていたんだけど」
「それなんですけど」
コトン、とあきらは空になったコップを置いた。
「調査は私ひとりで行います。向井くんはこれまで通り、学校へ通ってください」
「なんで!」
思わず陽作は立ち上がる。
「言っただろ。俺はあきらのそばにいる、そばで守るって。それなのに」
「向井くんのことを信頼していないわけではないんですよ。……今の状況だと、二人で固まっているメリットが少ないんです」
あきらは最初から決めていたとばかりに、顔色一つ変えずに言う。
「めぼしいところはあらかた回ったはずなんです。今日の倉庫が最後のあてでした。あそこはおそらく町で一番のプラントです。つぶせたのはかなり大きい」
あきらは冷たい表情を見せる。魔法使いとして責務を果たすときの顔だ。
「だけど、プラントを作った呪術師の姿が見えない。捜索は魔法使いとしての定石を踏んでいます。それで見つけられないということは、相手はよほど狡猾か、魔法使いの裏をかくことに長けている。正直なところ、私と向井くんが同行しても成果をあげられそうにない。呪術師は隠れたままでしょう」
あきらの主張には一本筋が通っていた。陽作のエゴより、魔法使いとしての責務を優先する。反論のしようがない。
「それに、向井くんが学校に行くことには大きな意味があるんです」
「意味?」
「はい。私はこの町ではあくまで来訪者、よそ者です。けれど、向井くんは違う。住人として内側から見えるものがあるはずなんです。よそ者の魔法使いである私が見落とした、あるいは気づけないものが。私が期待しているのはそれなんです。頼りにしていますからね」
「……分かった」
不承不承と陽作は再び椅子に座る。
あきらと一緒にいたい。その思いは強いが、その思いだけで行動することはできない。「それに、あなたにはできるだけ、普通の生活をしてほしいんですよ」
「……なんで?」
普通の生活。陽作はそれを捨てるつもりでいたのに、あきらはそれを捨てるなと言う。
「さて。ただの私のエゴですよ」
さりげない言葉だったが、あきらの口調は有無を言わさぬものがあった。
「でもよかったです。もし向井くんが『それでもいやだ!』なんて言ったらどうしようかと思ってました」
「もし言い出したら、どうするつもりだったんだ」
「そんなの簡単です」
あきらは微笑みを浮かべ、足を組んで陽作の額に人差し指を向ける。
「主として命ずるだけですよ。『我が従者よ。毎日休まず学校に行きなさい』と」
小さな女王のような立ち振る舞いに、蠱惑的な魅力を感じる。
「ふふっ。それとも向井くんは命令されるのが好きという、倒錯した趣味をお持ちですか?」
とあきらはいたずらっぽく微笑む。
「……んなわけないだろ」
ちょっぴりそうしてほしいかも、と思った自分から目をそむける。
このまましてやられるのもしゃくなので、陽作は言い返すことにした。
「あきら、口にカレーついてる」
「えっ! なんでもっと早く言ってくれないんですか!」
あきらは慌ててティッシュで口をぬぐっていた。




