第17話 魔法使い④
『ねぇ、私と――』
夕焼け。公園。幼い少女。陽作の頭の片隅から、ノイズがかった記憶が掘り出される。だが、その記憶はすぐ霧散し、あいまいなものに変わる。
「従者契約?」
現実離れした話の連続に、疲れがたまっているのかもしれない。陽作が疲れた時によく見る、いつもの記憶だ。
「そうだ。人形魔法の話はしたろ。命のないものに仮初の命を吹き込むんで作ったもんが使い魔。命がないにも関わらず、使い魔は生物の域を超えた動きができる。なら生きた人間に仮初の命を吹き込むとどうなるか」
「それが従者契約?」
「正解」
あいまいな記憶は、今は置いておこう。陽作は師匠の話に集中する。
「お前は魔法使いにはなれないが、魔法は使うことができるんだよ。従者は魔法使いの魔法を借り受けることができるからな。――昔、昔の話だそうだ。とある魔法使いが人間と恋をした。が、秩序の番人として『ゆがみ』と戦い続ける魔法使いと、ただの人間が一緒にいられるはずがない、ふとしたことで死んじまう。住む世界が違いすぎる。だから、その魔法使いはどうにか人間と一緒にいられる方法はないかと模索し、編み出した方法……をコミュニティが使いやすいように作り替えたもんだ」
オリジナルは魔法使いか従者のどちらかが死ねば、もう片方も死ぬっていうえぐいもんだったらしいからな、と平然と師匠は付け加える。
「師匠にもいるんですか?」
「俺様にはいねぇな。これまでもいたことはねぇし、これからも作るつもりもねぇ。なにせ自分の命の一部を世界の代わりに一個人に捧げるんだ。与える側にも受ける側にもリスクはある。魔法使いと従者の相性もある。仮に従者が死ねば、魔法使い側にもかなりの反動が来るって話だしな。とはいえ、従者をつくる魔法使いは多い」
「なぜ? 命を削るんですよね」
「秩序を守る番人でも、一人は寂しいってことだろ」
なぜだかその言葉は、陽作の胸に重くのしかかった。
「コミュニティも従者を作ることは推奨している。魔法使いがすり減って呪術師にならないようにって対策でな。ちなみに、智則も従者だ。元、って言葉がつくがな」
「御子柴先生が?」
あの枯れ木のような教師の姿を思い浮かべる。黒板の前でいつも一人絵を描いている変人教師。彼が誰かのそばにいる姿はどうにも思い描きにくい。
「あぁ。俺があいつと知り合ったのもその縁だしな。もう何十年も前の話だ。智則はとある高名な魔法使いの従者だった。変わったコンビだったよ。従者は魔法使いの盾になるように立ち回るもんだが、あいつは荒事がめっぽう苦手でな、魔法使いの後ろで、主をサポートする道具ばっかり作ってやがった。ははっ。なんのための従者契約だよって話だ」
「……俺は、従者にはなれますか?」
「重日の孫ちゃんとかい?」
「師匠が言っている人が、俺の考えている人と同じなら」
師匠は心眼とやらで、人の考えていることがわかるのだろう。なら、陽作の思い描く人物と同じかどうかもわかるはずだ。
師匠は左目でじっと陽作を見つめる。数秒の沈黙。
「できるだろう。ここだけの話、陽作も世界に愛されてるって点じゃあ、それなりだ。世界ってのは悲劇が大好きだからな。世界に愛される奴は、不幸な生い立ち、人生を歩みがちだ。で、そっちの資質があるやつは、従者としての資質も高い。お前なら、まあまあな従者になれるだろうさ」
師匠は暗に陽作の人生が苦しみの多いものであったと語っていた。
「ちょっと待ってろ」
師匠はゆっくりと立ち上がり、ぐっと伸びをする。「なんかいいのあったかな」とつぶやきながら、道場の倉庫をあさっている。
「お、あった、あった」
「うわっ」
倉庫の奥から細長いものが投げ渡される。陽作は慌ててそれを受け取った。
「警棒?」
師匠が投げてきたのは、いわゆる特殊警棒と呼ばれるものだった。ワンタッチで伸縮する、護身用の道具。
黒色の警棒はよく見れば、細かい傷が無数に入っていて、新品ではなく、使い込まれていることがわかる。
「やるよ。そいつには、俺様の魔法が込められている。簡単な『強化』の魔法だが、使い魔やゆがみにもダメージを与えられる」
「師匠、師匠は、自分のためにしか魔法を使わないんじゃないんですか?」
「質問に正解したら力を貸してやるって言ったろ」
「言ってましたっけ」
そういえば、そんなことを言っていたような気がする。
「けっ。それに我が弟子に力を貸すってなら、自分のためって言っていいだろうよ。お前が無茶な特攻かまして死にでもしたら目覚めが悪いだろうが。来るのが遅いんだよ。ったく。そこに転がしてる使い魔どもも、ご近所さんが襲われたら気分が悪いからだしな」
早口で師匠がまくしたてる。
「もしかして、照れてます?」
「うっせぇよ。そうだ、陽作よ。孫ちゃんが行きそうな場所だがよ。一つ心当たりがある――」
*
長い話を終え、陽作は家に帰っていった。道場はしんと静まりかえる。男は残り少ないウイスキーの瓶を拾い上げた。コルクを抜いて、瓶のまま一口。男が普段好む酒よりはるかに濃いアルコールが、その喉を焼く。
それだけだ。本来酒がもたらしてくれるはずの酩酊を、男は感じることができない。それを感じる機能は、すでに代償として捧げてしまった。
そもそも、男に酩酊は許されない。
『――もっと。もっと』
「うるせぇ。黙れ」
『――ちょうだい。もっと、ちょうだい。愛してる、から』
一人になった途端にこれだ。魂に直接、声が語りかけてくる。
世界に愛されすぎた魔法使いは、たびたびこの声を聞く。男は自分の名前を捧げてからというもの、この声に悩まされていた。
気を抜けば、底知れぬ場所に引きずりこまれそうな魔性を帯びた響きだ。酒に酔っているときに聞けば、うっかり引きずりこまれてもおかしくない。
こういうとき、男は、自身と関わりのある人物のことを思い出すことにしている。
「死ぬなよ。我が弟子」
男のつぶやきに応えるものはいない。がりがりと頭をかいて、神刀を取り出す。『名前』という自己の中心をなすものを代償に捧げた男は、気を抜くとすぐに自分というものがあいまいになる。
名前を代償にして、破滅した魔法使いは数知れない。
「俺様は、俺様だ」
魔性の声と、自己の希薄化。そのどちらかに負けたら、行く先は男の知る〈裁定者〉の道だ。秩序を維持するシステムに組み込まれたおぞましき操り人形。
あぁはなりたくない。男は本気でそう思っている。
自分のことを「俺様」なんておごった言い方をするのも、自分というものを薄れないようにするためだ。
「――お願いします。〈断罪者〉様」
男はコミュニティの若い魔法使いが訪ねてきたときのことを思い出していた。
男の弟子が焦がれている少女。魔法にあらゆるものを捧げた男の目には、少女は、ひどく痛々しいものに映った。
かわいらしい顔には、あふれんばかりの使命感と張り詰めた使命感ばかりがあった。
見えすぎる男の目には、少女が魔法のために多くを代償に捧げてきたことが見えてしまった。
「あなたの住まう町に、秩序を乱す呪術師がいます。どうか、あなたのお力をお貸しください」
そういって少女は男の前で正座をして、深々と頭を下げた。土下座だ。秩序などのために力を使わないと決めている男ですら、つい「力を貸してやろう」と言いたくなるほどの真摯さだった。
「あまねく邪悪を切り捨てたという〈断罪者〉様のお力があれば、多くの人の命を救えると私は思うのです。ですから」
「悪いが、他を当たってくれ」
少女は頭を上げない。
「俺様は、俺様のためにしか魔法を使わない。いくら頼んでも無駄だ」
少女は頭を上げない。
「頭を上げるつもりはないか?」
少女は頭を上げない。
男は、〈断罪者〉は虚空から神刀を取り出し、抜いた。〈斬る〉という概念そのものを具現化したような刃が世界に触れる。
刹那、世界が悲鳴を上げた。ビリビリと道場は揺れ、竹刀の一本が中ほどからぼっきりと折れた。外の池の鯉が怯えてポチャンとはね、近くにいた鳥たちは一斉に地に落ちた。常人であれば、抗う術なく気を失うだろう圧を、〈断罪者〉は少女に向ける。
「頭を上げろ」
少女は頭を上げなかった。少女の小さな体はがたがたと震えている。全身から滝のように汗を流している。吸って吐く息が不規則なものになる。
恐ろしいのだろう。当然だ。〈断罪者〉の神刀は魔法の最奥、〈理界〉を体現する。長い魔法使いたちの歴史の中で、一度でも使えれば歴史に永遠に残る御業をだ。
〈断罪者〉が求めれば、〈理界〉は具現化する。そうなれば、少女は抗う術なく、死より恐ろしい死を迎えることになる。少女もそれは直感したはず。
それでも、少女は頭を上げなかった。
「……冗談だよ。脅かして悪かったな。戯れだ」
深くため息をついて、男は神刀を消した。少女はいまだ芯から恐怖を感じているようで、呼吸は乱れたままだ。
「なぜそこまでする? あんたみたいな娘が、なぜそこまで」
「じゅ……」
落ち着かない呼吸をどうにか落ち着かせ、少女が答える。
「呪術師が、許せないのです」
ようやく、少女から正しい魔法使い以外の顔を見ることができた。ただし、
「呪術は……あってはならない。滅ぼさなければ、ならない。だから、そのために」
「そうかい」
それは深い憎悪という形であった。
「力は貸さん……が、あんたに役に立ちそうなものがあれば、連絡してやる」
「ありがとう、ございます」
そう言わなければ、少女は納得しないだろうと思った。それでようやく少女は頭を上げ、おぼつかない足取りで道場を出て行った。
『――愛してる。愛してる』
「なぁ、陽作よ」
残ったウイスキーを飲み干し、男は一人つぶやく。
「お前が支えてやれ。あの今にも壊れちまいそうな、ひとりぼっちの魔法使いを」




