第16話 魔法使い③
「……なら、俺もその代償を捧げれば、魔法使いになれるんですか?」
魔法を使うのに必要なのは代償。ならば陽作がそう考えるのも当然のことだろう。
「いんや、そりゃ無理だ」
だが、陽作のわずかな願いを師匠はにべもなく否定する。
「魔法使いってのはな。こぉんなガキの頃から魔法の勉強をさせられる」
師匠は一升瓶を置いて、飲み口の上に手を置いて言う。
「それは例えば難解な書物の解読をさせられたり、舌を噛みそうな呪文を暗記させられたり。でもな、それは究極的には無意味なもんだ」
師匠の唇がへの字に歪む。
「本を読まなくても、呪文を唱えなくても魔法は使える。大事なのは、ガキの頃から魔法のために寝る間もおしんで、食事もおしんで、魔法、魔法、魔法。寝てるときもクソしてるときも魔法のことを考える。そんなとんでもねぇ時間を捧げてきたって部分だ」
それでようやく『代償』になる。師匠は語る。
「『わたくしは偉大なる魔法様のため、秩序のために人生全てを捧げます』ってわけだ。それで、魔法使いは魔法を使えるようになる。陽作くらいの齢で魔法の修練を始めても代償として認められねぇよ。よっほど世界に愛されたやつなら話は違うかもしれねぇが」
「そうですか……」
もともとそこまで魔法を使いたいと思っていたわけではないが、ショックなものはショックだった。
「そういえば、師匠さっき『認める』って言いましたよね。誰が認めるんですか?」
「いいところに気付くな。簡単に言うとな、世界には意思があるんだよ。魔法使いの才能ってのは、ぶっちゃけ、この世界からどのくらい愛されるかによるんだよ。世界から気に入られているやつは、短い時間で魔法使いになれるし、好かれていない奴はどんだけ人生捧げても魔法を使えねぇ」
「師匠は……」
「俺様か? 俺様は世界様に好かれてるよ。もう愛してるってしょっちゅうささやかれるくらいだ。俺から勘弁してくれ~って言うくらいにな」
「なんですかそれ」
師匠の冗談めかした言い回しに、思わず頬がゆるむ。
「だがそんな世界に愛されたやつでも、魔法を使うには足りないんだな。並みの魔法なら使えるが、強い魔法を使おうと思えば、人生を捧げる程度の代償じゃ足りない。さて第三問だ。強い魔法を使うために必要なものとはなんだ? ヒントはこれだ」
トントンと、師匠は自分の白濁した右目を指さす。
今度はすぐに答えが分かった。が、その答えは決して気持ちのいいものではなかった。あきらがあのとき捧げていた代償は――
「目。いや、体の一部を代償にするってことですか?」
パチンと師匠が指を鳴らす。
「正解。魔法の代償は、魔法使いが大切で、かけがえのないものだと思っていればいるほど、代償としての効果は増幅する。んで、これが結構いろいろでな。俺様の場合は右目と」
禿げ上がった自分の頭をたたく。
「髪の毛を捧げた。髪とか血は瞬間的な魔力のブーストに便利だからな。代償としては結構でかい」
「え、それってただ師匠がハゲてただけなんじゃ」
「おう、我が弟子はどうやら真っ二つになりたいらしい。プラナリアがお望みか?」
師匠が左手をかかげると、虚空から一振りの刀が現れた。武骨な拵えの刀を居合の姿勢で構える師匠に、陽作はペコペコ頭を下げる。
「すみません。冗談です」
「わかってるよ。ちなみによ、俺はでかい代償としてもう一つ捧げたもんがある。わかるか?」
「ほかに、ですか?」
陽作は師匠をじっと観察する。師匠がこれまで捧げてきたのは、髪と右目。両手足はそろっている。目に見える範囲で失った体の部位はなさそうだ。
「我が弟子。お前、俺様の名前を知ってるか?」
「はい?」
疑問。陽作にとって師匠は師匠であり、それ以外の存在ではない。
それ以外の存在では、ないが。
「……あれ?」
そういえば、陽作は師匠の名前を聞いたことがない。バイト先でも師匠は「ボス」とか「社長」とか呼ばれていて、苗字すら知らない。
師匠の名前を、陽作は知らない。知ろうとすらしていなかった。
「俺様はこの神刀を作り出すために、俺様自身の名前を捧げた」
「名前、を?」
「この神刀が、俺様の名前そのものだ」
ぞっとした。恩師の名前を知らなかったのに、これまでずっとおかしいと思わなかったことにも、名前なんてものを捧げてしまえる師匠にも。
そんなことを可能にしてしまう魔法というシステムに対しても。
よく知っているはずの師匠が、得体のしれない何かに見えてくる。
「どうして、そこまで」
「昔、どうしてもぶっ殺したいやつがいてな。そのために」
気づいてしまった。師匠が手にした神刀から、息苦しいほどの圧迫感が発せられている。もしこの刀が抜かれたのなら、陽作のようなちっぽけな人間は、存在すら許されないだろう。
死、その言葉が頭に浮かぶ。
ぱっと、師匠の手から刀が消えた。道場を支配していた圧力が消え、陽作は自分がだらだらと大量の冷や汗をかいていたことに気付く。心臓の音がうるさい。シャツは冷たい汗で重たくなっていた。
「かっ!! 俺様の話は、今はどうでもいいわな。ともかく、代償ってのは体の一部だけじゃないんだよ。五感や記憶、身体機能。自分にとって大事なものならなんでも代償になる。代償を捧げれば捧げるほど、魔法使いは強くなる。俺の知る限りで最強の魔法使いは〈裁定者〉って存在なんだが」
師匠は心底不愉快そうに、眉をひそめた。
「そいつは自分の名前に加えて、両手足と五感の全て、自分の将来の可能性を捧げた」
「将来の、可能性……」
「その上で、他にもいろいろ捧げちまったらしい。その代わりに、不老不死の肉体と『標的を確殺する』なんてでたらめな効果をもつ魔法を手に入れた。魔法使いとして、死ぬこともできずに永遠に秩序を保つなんて呪いと一緒にだ。なぁ、陽作。この話を聞いてどう思う? 怖いと、思わないか? 異常だと思わねぇか?」
「思い、ます」
魔法使いは秩序の番人だと師匠は言った。だが、秩序のために幼いころから人生を捧げ、肉体を捧げ、記憶も、名前も何もかも捧げる。その結果が秩序というあいまいなものの維持だというのなら、陽作にしてみれば、異常だとしか思えない。
あるいはあきらも、そんな異常な魔法使いということだろうか。
陽作は自分が追いかけている人の、深い闇をのぞいた気持ちになる。
「俺様の右目を代償に得た〈心眼〉は、見えるものでも見えないものでも、なんでも見ることができる。重日の孫ちゃんは正しい魔法使いだ。この目で見たから間違いない。純粋な思いで、必死に、ひたむきに秩序ってあいまいなもんを守ろうとしている。俺様には無理だったね。だからコミュニティを抜けた」
師匠は空になった酒瓶をひっくり返して、一滴でも飲もうとしている。
「ぶっ殺してぇやつもぶっ殺したしな。だが、魔法使いも人間だよ。秩序なんてものじゃなく、自分の願いを叶えたいやつもいる。秩序のために自己犠牲をし続けることに耐えきれなくなったやつもいる。そういうやつは得てして代償を踏み倒したがる」
「できるんですか?」
「できる。自分の大事なもんじゃなく、他人の大事なもん、多くは命だ。それを無理やり代償として支払う。それが正しくない魔法、呪術だ。だが正しくないもんだから、『ゆがみ』が生じる。さて、話が最初に戻ってきたな」
「じゃあ……」
師匠は理解しただろ、とうなずく。
「魔法使いは自分たちの成れの果てである、呪術師の生み出したゆがみを消滅させるために自分自身をすり減らしているわけだ。その果てに自らもすり減って呪術師に身を落とす。世界が平和にならないわけだよ。ったく」
吐き捨てるように、師匠が言った。
あきらの顔が頭に浮かんだ。あの冷たい、張り詰めた表情の裏に、どんな思いを抱えているのか、ほんの少し理解できた気がした。
「俺は、彼女の役には立てないんでしょうか」
気づけば口に出していた。陽作自身、妙にしっくりくる考えだった。師匠は、陽作は魔法使いにはなれないと言った。それでも、何かできることはないかと。
あきらを支えたいと、思った。
「お前らみたいなやつは、そういうんだよなぁ」
師匠は玄関口の方を眺めながらつぶやく。振り向くが、そこには誰もいない。
「あるぜ。一つだけ」
「それって」
「『従者契約』ってやつだ」




