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夏、俺は魔法使いに恋をした  作者: クスノキ
第2章 春、俺は魔法使いと約束をした。
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第13話 想う④

「でも、あんまり期待すんなよ」

 帰りがけ、祐介は陽作に言った。


「話を聞く限り、そのあきらって子はこのあたりの学校の子じゃないんだろ。ってなると、見つかるハードルはかなり上がる。小柄な割にめちゃ長い黒髪ってのは、特徴としては悪くないけど、通りすがりの人間ってのは、どうしても意識されづらいもんだ」

 スマホをいじりながら祐介はがりがりと頭をかく。


「いいよ。俺も俺なりに探してみるし。そうだ。夜、例の行方不明事件やらなんやらで危ないんだろ? 送っていこうか」

 ずいぶん話し込んでしまったから、時間はすでに10時を過ぎている。以前見た異形の存在があっての申し出だったが。


「いい、いい。危ないっつっても、こっから俺の家までそんなに離れてないし。大体陽作が俺を送っていくなら、今度はお前が危なくなるだろ。じゃ、またなんか進展あったら連絡するわ」

「わかった。助かる」

「飯、美味かったよ」


 そう言って、祐介は帰っていった。祐介がいなくなると、とたんににぎやかだった部屋が静まりかえる。

「片付けでもするか」


 かすかに寂しさを覚えながら、扉にカギをかけ、リビングに戻り、菓子の袋やペットボトルを片付けていく。散らかっていたリビングが元の殺風景なものに戻っていく。物の少ないリビングを数秒眺めた陽作は、キッチンへ行って洗い物を始める。


 油で汚れたフライパンや、二人分の皿をスポンジで丁寧にこする。ジャー、と水の音が響く。リビングのテーブルの上には、多めに作って食べられなかったハンバーグが一つ残っていた。

 これは明日の朝食にでもしよう。そんなことを陽作が考えていると、


 ガチャリ。


 と、鍵の開く音がした。


 陽作の手が思わず止まる。この家の鍵を持っているのは陽作を除けば一人しかいない。祐介とのやり取りで温まっていた心が急速に冷えていくのを感じた。

 キィ、と音を立てて扉が開かれる。陽作はそれに無言で応える。入ってきた女もまた無言で靴を脱ぎ、リビングへ入ると洗い物をしていた陽作を一瞥する。


「……おかえりの一言もないの?」

 酒臭さが女から漂ってきた。陽作は顔をしかめる。そのしぐさを返事ととらえた女ははぁと深くため息をつく。


「なんてひどい息子だこと。……なんであたしはこんなやつ、産んじまったのかねぇ」

 物心ついた頃から何度も言われ続けた言葉だった。もはや傷つく心はないと思っていたが、それでもずきりと、陽作の胸は痛む。


 30代にしては若々しい見た目の女だ。明るい髪色に派手な化粧とアクセサリー。相当酔っているのか、足取りはおぼつかなく、目の焦点もあっていない。

 なんでこんなやつから生まれてしまったんだろう。喉元まで登ってきた言葉をどうにか飲み込む。


 陽作の母親がこの家に帰ってくることは滅多にない。いつもは付き合っている男の家に転がり込んでいて、その男とけんかしたときに気まぐれで帰ってくる。

 そんなときはいつも泥酔しているものだから、陽作は自分の母親が素面でいるところを何年も見ていなかった。


「あら、おいしそうね」

 陽作の母親はテーブルの上にあるハンバーグに目をつける。


「勝手に食べるなよ。俺の明日の飯だ」

「ふん。誰のおかげでここに住めてると思ってんだよ」

「ガス代も、水道代も、皿やフライパン、食材の金だって全部、俺がバイトで稼いだ金で買ったものだ」

「家賃は払ってないでしょ?」


 事実だった。ぐっと、陽作は唇をかみしめる。田舎町とはいえ、2LDKのアパートの家賃を払えるほど、陽作はバイトで稼げていなかった。

 未成年の高校生でしかない陽作では、違う部屋を借りることはできない。自分の生活の金を全て自分で出すことはできない。中学を卒業してすぐ働くことも考えたが、将来のことを考えると高卒の資格は手放せなかった。


「ま、その金もあたしが出してねぇけど。あんたの種馬が毎月シコシコ出してくれてんだよ」

 けけっと女は笑った。


「……」

 種馬。限界だった。もはや耐えきれなくなり、陽作は洗い物も中途半端に投げ出し、黙って自室へ逃げ込んだ。真っ暗な部屋で、扉を背にして何度も深呼吸する。

 シャー、という音が風呂場から聞こえてきた。シャワーを浴びているのだろう。今日はもう風呂に入れないな。鈍い頭で思考する。


 母親との短い会話は、陽作の体力を大きく消耗させていた。スマホを点灯させ、ラインのアプリを開く。祐介に相談しようかとも考えたが、さっき大きな頼みごとをしたばかりだ。祐介は快く聞いてくれるだろうが、迷惑ばかりかけたくない。

 光瑠は……相談できるはずがない。


「はは……俺、独りぼっちだな」

 自分でも思っていた以上に声に力がなかった。ずるずると、しゃがみ込む。

 パチリとスイッチを押して電気をつける。ベッドと学習机しかない、4畳半のこの小さな部屋は、陽作にとっての最後の牙城だった。ベッドのシーツはしわ一つなく伸ばされ、机に置かれた教科書は高さをそろえて整頓されている。祐介にも見せたこともないこの部屋の机の上には二枚の写真立てが置いてある。


 一枚はすぐ見られるように立てて置いてある。納められているのは高校入学時、祐介の両親にとってもらった写真だ。真新しい制服を着て、満面の笑顔を浮かべて肩を組んでピースをする祐介と、少し硬い笑顔でピースをする陽作が映っている。


 もう一枚は伏せて置かれていた。重い足取りで机まで歩き、伏せた写真立てを持ち上げる。

 古い写真には幸福そうに微笑む若い女と、その女の胸で安心したように眠る赤ん坊が映っていた。


 荷物を整理しているときにたまたま見つけた。使わないものを入れておく段ボールの奥底に入っていたものだ。

 憎んでいるといえるほど嫌いな母親の写真を、陽作はどうしてか捨てられずにいた。


 写真立てを持つ手を大きく振り上げる。たたきつけて壊してしまえ。そう思うのに、体は言うことを聞いてくれない。

 遠い日の記憶。陽作の一番古い記憶がよみがえる。幼い陽作が走っているときにこけて泣いてしまった。陽作は滅多に泣かない子どもだった。母親は陽作を抱き寄せ、こう言ったのだった。


『あんたはね、あたしの太陽なのよ』

 驚くほど優しい声音だったと思う。どういう意味で言ったのかはわからない。だが、陽作が母親のことをどれほど恨んでも、完全に切り捨てられないのは、あの記憶があるからだ。


 結局、陽作は写真立てを元のように伏せて置いた。勝手に入ってこられないように内側からドアの下にストッパーを挟み、ベッドに倒れこむ。


「最後に泣いたの、いつだっけなぁ」

 頭にノイズが走る。夕焼け。公園。幼い少女が、叫ぶように泣いている。陽作が疲弊しきったときによく見る、見覚えのない映像。


 ……思い出せない。とても、大切な記憶だったはずなのに。

 すでに思考はまとまらなかった。電気をつけたまま、陽作は気絶するように眠りに落ちた。


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