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『透明な君と、彩度を失くした僕の青写真』  作者: 夜凪慶


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第1章 灰色の春、静寂の図書室:週末の逃避行、錆びついた空の向こう

土曜日の駅前ロータリーは、学校とは違う種類の喧騒けんそうに支配されていた。


家族連れ、部活帰りのジャージ集団、手をつなぐカップル。 その色彩の洪水を、僕は自動販売機の横でぼんやりと眺めていた。


「……遅い」


約束の時間の五分前。 文句を言うにはまだ早いが、独り言でも呟かないと落ち着かなかった。


休日に女子と二人で出かける。 そんなイベントは、僕の人生のスケジュール帳には記載されていないはずのバグだ。


「篠宮くん!」


人混みを縫って、聞き覚えのある声が届く。 顔を上げると、改札の方から小走りで駆けてくる一ノ瀬栞の姿があった。


息を飲む。


制服姿しか知らなかった彼女の私服は、想像以上に破壊力があった。 淡い水色のワンピースに、白のカーディガン。 華美ではないが、彼女の持つ透明感をこれでもかと引き立てている。


「ごめんなさい、待たせちゃって……!」 「いや、僕も今着いたところだから」


テンプレ通りの返答をしてから、僕は心の中で舌打ちした。 なんだその優等生みたいな返しは。もっと気の利いた冗談の一つも言えないのか。


「行きましょうか。ここからバスで二十分、そこから徒歩です」 「はい。……ふふ、なんだか不思議」


栞は隣に並びながら、少し悪戯いたずらっぽく笑った。


「学校の外で篠宮くんと会うのって、秘密の任務みたい」 「任務か。失敗したら牧村さんに消される種類のやつだな」


「あはは。玲奈には『図書館で勉強してくる』って言ってきちゃった」


共犯者の笑顔。 それが妙にまぶしくて、僕は視線を少しだけ逸らした。




バスは市街地を抜け、海沿いの道路へと入っていく。


窓の外を流れる景色は、次第に建物が減り、代わりに錆びついたガードレールと防風林が増えていった。 車内には、僕たち以外に乗客はほとんどいない。


隣に座る栞は、窓枠に肘をつき、じっと海を眺めている。 その横顔は、教室で見せる「深窓の令嬢」の仮面が剥がれ、どこか幼い少女の素顔を覗かせていた。


「ねえ、篠宮くん」 「何?」 「海を見るの、久しぶりかも」


彼女の声は、バスのエンジン音にかき消されそうなほど小さい。


「あの絵にも、海が描かれていましたよね」 「……ああ」


『未完の青』。 あの絵を描いた時、僕はどんな気持ちで筆を走らせていただろうか。 焦燥感か、それとも諦念ていねんか。 今となっては、それすらも灰色の霧の中だ。


「次は、岬下みさきした〜。岬下です」


アナウンスが流れ、バスが停まる。 僕たちは降り立つと、潮の香りをはらんだ風に包まれた。


「こっちです」


僕は先導して歩き出す。 整備された道路から外れ、雑草が生い茂る獣道へ。 鬱蒼うっそうとした木々のトンネルを抜けると、急に視界が開ける場所があるはずだ。


「足元、気をつけて」 「うん。……すごい、本当に何もないところだね」


栞が少し息を切らしながらついてくる。 坂道を登ること十分。


目の前に、朽ち果てたフェンスが現れた。 その向こう側に、かつて配水場として使われていたコンクリートの廃墟が鎮座している。


「ここだ」


僕は立ち止まり、振り返った。


栞が追いつき、顔を上げる。 その瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれた。


「――あっ」


言葉にならない感嘆。


廃墟の壁面はツタに覆われ、崩れた屋根の隙間からは、暴力的なまでに鮮やかな空が見える。 そして、その奥には水平線が広がっていた。


錆びた鉄の赤。 コンクリートの灰。 植物の緑。 そして、圧倒的な空と海の青。


それらが混ざり合い、一枚の絵画のような調和を生み出している。


「あの絵と……同じ」


栞が夢遊病者のように、ふらりと前に進み出る。


「ここだったんだ。本当に、あるんだ……」


彼女は震える手で口元を覆い、その場に立ち尽くした。 風が吹き抜け、彼女のワンピースの裾と、長い髪を激しく揺らす。


僕はその光景を、一歩引いた場所から眺めていた。


僕がかつて切り取った景色の中に、今、彼女が立っている。 その事実が、僕の胸の奥底でくすぶっていた残り火に、静かに風を送っていた。


「……思い出しそう?」


恐る恐る尋ねる。 栞はしばらく沈黙し、やがてゆっくりと首を横に振った。


「ううん。まだ、はっきりとは」


彼女は振り返り、泣きそうな、けれどどこか晴れやかな笑顔を僕に向けた。


「でも、懐かしい匂いがする。……連れてきてくれてありがとう、篠宮くん」


その笑顔を見た瞬間。 僕の視界の中で、彩度を失っていた世界に、ぽつりと一滴、色が落ちたような気がした。


「……礼には及ばないよ」


僕はポケットに手を突っ込み、ぶっきらぼうに答える。 そうでもしないと、自分の鼓動の音が聞こえてしまいそうだったからだ。


だが、僕たちはまだ知らなかった。 この場所が、単なる思い出探しのゴールではなく、もっと残酷で、もっと切実な物語の入り口に過ぎないことを。


廃墟の影から、カシャリと。 僕たちを記録するような、シャッター音が響いた気がしたのは――恐らく、気のせいではなかったのだ。

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