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『透明な君と、彩度を失くした僕の青写真』  作者: 夜凪慶


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第1章 灰色の春、静寂の図書室:「未完の青」の座標

放課後の図書室には、独特の匂いがある。 古びた紙とインク、そしてほこりが混じり合った、時間の墓場のような匂いだ。


僕はカウンターで文庫本を開いていたが、活字は上滑りするばかりで、内容は欠片かけらも頭に入ってこなかった。


視線だけを、入り口の方へ向ける。


午後四時半。 約束の時間だ。


「……牧村さんは、一緒じゃないんですね」


入り口に姿を見せた一ノ瀬栞に、僕は第一声でそう尋ねていた。 彼女の背後には、あの獰猛どうもうな番犬の姿はない。


栞は少し困ったように眉を下げ、図書室の扉を静かに閉めた。


「玲奈には、内緒にしてきました。……あの子、心配性だから」 「でしょうね。僕が君を食べてしまわないか、気が気じゃないはずだ」


僕が軽口を叩くと、彼女は小さく吹き出した。 昨日よりも、ほんの少しだけ距離が縮まった気がする。


彼女はカウンターの前まで歩み寄ると、制服のポケットからスマートフォンを取り出した。


「昨日の続き、聞いてもらえますか」


「どうぞ。暇人な図書委員でよければ」


僕が促すと、彼女はスマホの画面をこちらに向けた。 液晶の中で光っていたのは、一枚の絵画の画像だった。


息を、飲む。


それは『未完の青』という画集に収録されているはずの、ある一枚の風景画だ。


海が見える廃墟。 崩れかけたコンクリートの壁。 その隙間から覗く空と海は、現実よりも鮮烈な「青」で塗り込められている。


タイトルは『境界』。


「……この絵の場所を、探しているんです」


栞の声が、静寂に溶ける。


「ネットで調べても、どこの風景なのか分からなくて。画家のプロフィールも非公開だし、手掛かりが何もなくて……」


彼女はすがるような瞳で僕を見た。


「篠宮くん。図書委員のあなたなら、何か本で読んだり、知識があったりしないかと思って」


買いかぶりすぎだ、と言おうとした。 たかが高校生に、そんな特定ができるはずがないと。


けれど、言葉は喉の奥でつっかえて出てこない。


視線が、画面の中の「青」に吸い寄せられる。


知っている。 この場所を、僕は知っている。


だって、この絵を描いたのは――。


「……どうして」


僕の声は、自分で思っていたよりもかすれていた。


「どうして、この場所に行きたいんですか? ただの寂れた廃墟に見えますけど」


「記憶があるの」


栞は画面を胸に抱き寄せるようにして、俯いた。


「昔、ここにいた気がするんです。とても大切な人と、一緒に。……でも、それが誰だったのか、いつのことなのか、思い出せなくて」


彼女の言葉は、不安定に揺れていた。 まるで、霧の中を手探りで歩いているような危うさ。


「ここに行けば、失くした記憶が見つかるかもしれない。……そんな、根拠のない予感なんですけど」


自嘲気味に笑う彼女を見て、僕の中で何かがきしんだ。


かつて絵筆を折った僕。 過去の記憶を探す彼女。


僕たちは、どこか似ているのかもしれない。 欠落を抱えたまま、この灰色の箱庭を彷徨さまよっている。


僕は大きく息を吐き出すと、カウンターから身を乗り出した。 そして、スマホの画面を指差す。


「……ここ、多分だけど」


「え?」


「学校の裏山を抜けて、さらに海沿いにずっと歩いたところにある、旧配水場の跡地です」


栞が目を見開く。


「知ってるの……?」


「偶然、ね。昔、風景画の資料を探してて見つけたんです。今は立ち入り禁止になってるはずだけど」


嘘だ。 資料なんかじゃない。 そこは、僕が初めて「世界の色」を捉えた場所であり、そして全てを捨てた場所でもある。


でも、そんなことを言う必要はない。


「案内、しましょうか」


自分でも驚くような言葉が口をついて出た。 面倒事には関わらない。 省エネ主義の僕が、自ら厄介ごとに首を突っ込もうとしている。


栞の表情が、ぱあっと明るくなった。 まるで、曇り空に一筋の光が差したように。


「本当……? いいの?」


「ただし、条件があります」


僕は努めて冷静な声色を作る。


「牧村さんには内緒にすること。彼女に知られたら、僕の命が危ない」


栞は一瞬きょとんとして、それから鈴を転がすように笑った。 その笑顔は、昨日の儚げな印象とは違う、年相応の少女のものだった。


「ふふっ。分かりました。共犯者、ですね」


共犯者。 その甘美な響きが、僕の胸を奇妙に高鳴らせた。


「じゃあ、次の土曜日。駅前のロータリーで待ち合わせで」 「はい。……ありがとうございます、篠宮くん」


彼女は深々と頭を下げ、図書室を去っていった。


残されたのは、僕と、夕暮れの静寂だけ。 自分の右掌てのひらを見つめる。


指先に、幻の絵具の感触が残っているような気がした。


止まっていた時計の針が、動き出す。 僕は、開いたままだった本をパタンと閉じた。


その音は、物語の幕開けを告げる合図のように、誰もいない図書室に響き渡った。

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