表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『透明な君と、彩度を失くした僕の青写真』  作者: 夜凪慶


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/17

第1章 灰色の春、静寂の図書室:埃被った放課後と、君のページ

高校生活というのは、ある種の閉鎖的な箱庭だ。


無味乾燥なチャイムが鳴り響くたび、僕たちは規則正しく管理された時間の中で、模範的な生徒という配役を演じさせられる。


教室の空気は常によどんでいる。 チョークの粉が舞う午後の授業。 窓の外から聞こえる運動部の掛け声。 それらすべてが、どこか遠い世界の出来事のように感じられた。


「湊、お前また死んだ魚みたいな目してるぞ」


不意に背中を叩かれた。 振り返ると、ニカっと歯を見せて笑う相沢陽介がいる。


「……死んではいない。省エネモードなだけだ」 「それを世間では死んだ目って言うんだよ。ほら、次移動教室だぞ」


陽介は僕の幼馴染であり、この色彩のない箱庭において、唯一鮮やかな原色を放っている男だ。 彼の無神経な明るさに、僕は何度救われ、何度辟易へきえきとしただろう。


「今日の放課後、カラオケ行かないか? 隣のクラスの女子も来るって」 「パス。今日は図書委員の当番だから」 「うわ、出た。本の虫。まあいいけどよ」


陽介は肩をすくめると、教室を出て行く他の生徒の波に混ざっていった。


僕は机の上の教科書を鞄にしまい込む。 重たい革鞄の感触。 それが、僕を現実に繋ぎ止める鎖のようにも思えた。




放課後の図書室は、世界から切り離された聖域に似ている。


西日が差し込み、並べられた背表紙を琥珀色に染め上げていた。 古い紙の匂い。 静寂の中に溶ける、微かなページをめくる音。


僕はカウンターの定位置に座り、貸出カードの整理を始めた。 利用者は少ない。 今の時代、わざわざ紙の本を借りに来る生徒など、絶滅危惧種に近い。


そう思っていた時だった。


「……あの」


鈴を転がしたような、とは陳腐な表現かもしれない。 けれど、その声は静寂を壊すことなく、静かに僕の鼓膜を震わせた。


顔を上げる。


カウンターの向こうに、一人の女子生徒が立っていた。 色素の薄い茶色の髪。 少し長めの前髪の隙間から、ガラス玉のような瞳がこちらを覗き込んでいる。


一ノ瀬栞。 クラスは違うが、名前は知っている。 儚げな美少女として有名だが、人を寄せ付けない雰囲気があるとも噂されていた。


「貸出、ですか」


僕が尋ねると、彼女は微かに首を横に振った。 そして、抱えていた一冊の画集を、躊躇ためらいがちにカウンターへと差し出す。


「この本……予約が入っているって聞いたんですけど」


彼女の視線が、僕の手元に落ちる。 その画集のタイトルを見た瞬間、僕の心臓が不快な音を立てて跳ねた。


『未完の青』


それは、僕がかつて憧れ、そして筆を折るきっかけとなった画家の作品集だった。


「確認します」


喉が張り付くような感覚を覚えながら、僕は端末を操作する。 画面上の文字を目で追いながら、視界の端で彼女の様子を伺った。


彼女は、祈るように両手を胸の前で組んでいる。 その指先が、微かに震えていることに僕は気づいた。


ただの本の貸し借りだ。 それなのに、彼女のその姿は、まるで世界の命運を握る何かを待っているかのような、切迫した空気をまとっていた。


「……一ノ瀬さん、ですね。確かに予約が入っていますが、まだ届いていません」 「そうですか……」


彼女の表情が、目に見えて曇る。 落胆の色があまりに深く、僕はかける言葉を失った。


「あの」 「はい」 「その本に、何か?」


余計な詮索だとは分かっている。 普段の僕なら、事務的に対応して終わりだったはずだ。 けれど、その時の僕は、彼女の瞳の奥にある「渇き」のようなものに、奇妙な共鳴を覚えてしまっていた。


一ノ瀬さんは少しだけ躊躇ってから、小さな声で言った。


「探しているんです。……この絵の中に描かれている、ある場所を」


「場所?」


「はい。ここに行けば、失くしたものが……見つかる気がして」


意味が分からなかった。 けれど、彼女の言葉は詩的でありながら、痛々しいほどの切実さをはらんでいた。


西日が彼女の横顔を照らす。 光の粒子が、彼女の輪郭を曖昧に溶かしていく。


その光景があまりに綺麗で。 僕は無意識のうちに、ポケットに入っていたスマートフォンのカメラではなく、右手の指先を動かしていた。


そこに、もう絵筆はないというのに。


これが、僕と彼女。 彩度を失った僕と、透明な彼女の、物語の始まりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ