ギルド受付嬢
鳥みたいに街並みを眺めていた――自由だ、自由だ!
フラスコの表面を風が撫で、太陽の光が聖なる温泉水をきらきら透かして踊る。
鼻なんてないのに、わかる。
この匂い……冒険の香りだ!
俺――鈴木一樹(元人間・現ダンジョンコア)は、シャルロッテのサッチェルの中で揺られながら、ガラス越しに外を覗いた。
ついに人間! 文明!
中世っぽい活気ある街! 異世界旅行パンフレットが約束した通りの景色!
畑! 広場! ギルド! 舞台っぽい段!
……そして、やたら多い槍と熊手。
槍と熊手?
「ちょっと待て、何あれ!? まさか魔女狩りのど真ん中で新規店舗オープンする気か!?!?」
「引き返す」
「待て待て! 上陸! 上陸ぅ!!」
俺たちは、前回の冒険者をぶっ飛ばした件について謝りに来た。
……が、人だかりの怒りはそこじゃなかった。近くに“未契約で簡単に確保できるダンジョンコア”がある、なんて話でもない。
そう。
未契約のダンジョンコアの噂より、俺のビジネスパートナーが見つかったという噂の方が、よっぽど街に回っていた。
原因はいつも通り――シャルロッテだ。
本来、天使が祈りに応えるのは良いことのはず。
だがシャルロッテの場合は違う。
雨乞いをすれば雷雨。
金運を願えば偽金の山(そして後から来る衛兵)。
善意でやってるのに、結果が最悪の方向へ突き抜ける。
「ある意味すごいよな……」
俺はフラスコの中で泡立ちながら呟いた。サッチェルの中でがぽがぽ揺れる。
「怠けてるとか悪意があるとかならまだ理解できる。でもお前は本気で助けようとして、善意100%で、毎回きっちり事故る……あっ」
「やめてぇぇ!! わぁぁぁ!! 同情しないで!!」
シャルロッテが悲鳴を上げ、翼をバサバサさせる。
街人たちはその様子にさらに警戒を強め、熊手の陣形をぎゅっと詰めた。
「大丈夫だ。お前は俺の最初のビジネスパートナーだ、シャルロッテ」
俺は(聞こえないのに)真顔で宣言した。もう絶対見捨てない、みたいな顔で。
……そして理解する。
こいつ、完全に役立たずだ。
いや、待て待て! 違う、違わないけど違う!
俺は喋っても人間には聞こえない! つまり外界との交渉役が必要なんだ!
もしシャルロッテが「浄化」だの「処刑」だの「天界の更生塾へ強制入校」だのされて連行されたら――誰が客と話すんだ!?
誰が宣伝をするんだ!? 誰が集金……いや、マーケティングをするんだ!?
「どこへ連れていく気だ!? そのダメ天使は俺にとって重要なんだぞ!!」
俺はフラスコの中で必死に泡立つ。
当然、誰にも聞こえない。
背後からは絶対に「天使を燃やせ!」って声がした。聞こえた。確実に聞こえた。
終わった……!
「一樹……」
シャルロッテが情けない声を出す。
「せめて連行するなら、強制労働はあとにしろ!」
俺はフラスコの中で怒鳴り散らす。
「今あいつがいなくなったらスパが無防備だろ! 俺は付き合う相手を選ぶ権利があるんだ! あいつは俺の――強制労働契約の下僕だ!!」
「今の言い方ひどすぎない!?」
シャルロッテが泣きそうな顔で叫ぶ。
「一樹! ヒーローなら言葉を選びなさいよ! たとえばこう!
『シャルロッテ! 君は救いようがないほど役立たずだ、だが私は君の底なしの可能性が必要なんだ! たとえば――』って!」
「無理だろ」
俺は即答した。
「現実見ろ。お前、街の家を壊したり、羊をピンクにしたりしたんだぞ。大人の祈りも子供の祈りも平等に拾うのは立派だけど、お前は“祝福製造機”のくせに不器用だけで呪いを撒いてる」
「わぁぁぁん! 私は最高のビジネスパートナーになるはずだったのにぃ!」
「重労働のあと、俺が最高に洗ってやるから。だから頑張れ」
……と、言った直後に、現実が俺の顔面をドロップキックした。
街人たちは俺の泡立つ抗議など当然無視し、シャルロッテを広場へ引きずっていった。
そしてそこに机を置き、ずらりと並ぶ列を作らせ、彼女に“償いの受付”をさせ始めたのだ。
「お前はこれだけやって借りを返せ」みたいに、祈りの尻ぬぐい係として。
しかも最悪なことに――
シャルロッテが、俺を落とした。
やめろォォ!!
彼女は慌てて掴もうとしたが、サッチェルの紐がずるりと滑る。
フラスコがスポンッと飛び出し、石畳へ――
カラン、コロン!
転がって、跳ねて、滑って、
俺は群衆の足元をすり抜け、情けなく石畳の上を転がっていった。
そして、人の波が移動した先で、落ちたサッチェルと一緒に俺を見つけた人物がいた。
――冒険者ギルドの受付嬢である。
「……あら? これは……ポーション? それとも携帯型の聖泉……?」
彼女はフラスコの側面のラベルを読んだ。
シャルロッテの汚い字で書かれている。
『一樹の聖なるスパ™』
受付嬢は首を傾げつつも、丁寧に俺を持ち上げ、ギルドの建物へ運んだ。
旅人が必ず立ち寄る、でかい施設。依頼が貼られ、報酬が金貨で支払われる場所だ。
彼女はぺこりと会釈して、受付カウンター内の整理された遺失物コーナーに、俺をそっと置いた。
名札が見える。
リン/受付係・記録係
――リン。
彼女はシャルロッテに無いものを全部持っていた。
落ち着き。
礼儀。
仕事力。
(これ、もしかして……天の助け……?)
俺は観察した。
すごい。恐ろしいほどすごい。
書類を捌く速度が化け物。
冒険者のクレームを三件同時に捌き、指示を飛ばし、会話を締め、最後に溜息をつくのは五分に一回だけ。
真っ直ぐな金髪にペンを挿し、微動だにせずカウンターに縛られている姿は、忠犬というより官僚鎖のメイドだ。
この人……絶対スパに行ったことがない。
ガラス越しにでもわかる。肩が凝ってる。疲れが染みてる。
完璧だ。
(古い天使はポイだ。新しい人間を採用しよう)
――新ターゲット、ロックオン。
こうして、ビジネスパートナーが強制労働に従事している間、
俺は遺失物カウンターの上で、静かに“作戦”を練り始めた。
俺たちの最初の新規顧客。
それは間違いなく――
熱い風呂を、心底求めている人。




